第四章 4(完)
数日後、メイベルとユージーンは港へ来ていた。保存食や貨物を運び込む船員たちの中から、アマネの姿を発見したメイベルは、名前を呼びながら大きく手を振る。
「アマネさん!」
「メイベル!」
嬉しそうに目を見開いたアマネが、隣にいた船員に断りを入れた後、嬉しそうにこちらに駆け寄ってきた。銀髪の頭には派手なターバンが巻かれており、元々褐色だった肌は日に焼けて一層艶々と輝いている。
「来てくれたのか」
「はい。確か今日出航でしたよね」
あの夜大怪我を負ったアマネは、ロウの処置が良かったのか驚くべき速度で回復した。やがて普通に動けるようになったアマネは、自らの身分を隠したまま、イクスの海の男たちに弟子入りしたそうだ。
「ああ。人に使われるというのも、なかなか面白いものだな。下手をするとすぐに怒鳴られるし、オレより小さい奴でも、先輩だと頭を下げさせられる始末だ」
幸い、顔をはっきりと知るものがいなかったらしく、アマネはただの青年として働くことが出来るようになった。かつての尊大な態度のアマネを思い出したメイベルは、不平を漏らしつつも楽しそうな彼の姿に、つられたように笑みを浮かべる。
おそらく、アマネの部下がキィサに戻り次第、主が亡くなったという報告が伝わることだろう。それを元に彼の籍はキィサから失われ――本当の意味で自由となるのだ。
「本当に良かったんですか? ……その、今からでもキィサに戻る方法を探すとか」
「いいんだ。オレはもう、あの国にも王族にも縛られたくない」
少し不安そうなメイベルに、アマネはまっすぐ視線を向けた。
海に沈む寸前の、壮麗な夕日の色。その眼には重たい枷から解放されたかのような、穏やかさだけが滲んでいる。
それを見たメイベルは、しっかりと口角を上げて笑った。
「……わかりました。応援します」
「ああ」
そう言うとアマネは、メイベルの背後に控えていたユージーンにも目を向けた。
「お前にも迷惑かけたな」
「本当にな」
「そこは嘘でも『そんなことはない』というとこだろうが」
ふ、とアマネが噴き出すように笑う。ユージーンは仮面の下で険しく眉を寄せてはいたが、以前のような嫌悪ばかりではないと、傍らにいたメイベルは察していた。
「まあいい。――ようやく吹っ切れたようだしな」
「……ああ」
短く答えたユージーンを見つめた後、アマネはメイベルへと優しい眼差しを向けた。
「メイベル、一つだけ願いを聞いてもらいたい」
「はい?」
「オレはもうキィサの王子でも何でもない。だからアマネ、と呼んでくれないか」
思わずえ、と言葉を詰まらせたメイベルに、アマネは挑戦的に微笑みかける。その顔は王族や重責といったしがらみのない、彼本来の優しい顔つきで、メイベルは仕方ないとばかりに苦笑すると、そっと唇に音を乗せた。
「いってらっしゃい――アマネ」
「……ああ、行ってくる」
呼び捨てにされた名前を噛みしめるかのように、アマネは目を細めた。
同時にメイベルを抱き寄せ、その頬に素早く口づけを落とす。
「――⁉」
「おっと」
驚いたメイベルが声を上げるよりも先に、アマネは腕を離し、さっとその場にしゃがみこんだ。すると先ほどまでアマネの顔があった場所に、シュンと白い風の刃が飛んで来る。
メイベルが後ろを振り返ると、ユージーンが威嚇するような目つきで、まっすぐに腕を伸ばしていた。立ち上がったアマネは、ふふんと口角の片方を上げる。
「ふん、甘いな」
「わざと外してやったんだ。メイベルに見せたい光景じゃないからな」
「どうだか」
再びスァンと白い波が中宙を走り、アマネはひょいと体をそらせた。気のせいか、背後からユージーンの舌打ちが聞こえた気がして、メイベルはこれ以上被害が広がってはまずいと宥める仕草をする。
そのまま走り出したアマネは、先輩船員たちに呼ばれるままに船へと戻っていった。上り詰めた甲板の上から、メイベルたちに向かって大きく手を振る。
「メイベル! オレは一回り大きな男になって戻って来る! 帰ってきたらもう一度お前に結婚を申し込むからな!」
覚悟しておけよ! と闊達に笑うアマネに、メイベルは真っ赤になったまま「無理ですから!」と叫び返した。
「行っちゃいましたね」
「最後の最後までふざけた奴だったな」
アマネが乗った船を見送った二人は、嵐のように過ぎ去った時を思い出しながら、それぞれ複雑な表情を浮かべた。
「私たちも帰りましょうか、ユージーンさん」
「……」
振り返り帰路を促すメイベルだったが、不思議なことにユージーンは足を止めたまま動こうとしない。それどころか、メイベルの方をじっと見つめてくる。
「ど、どうしました?」
「どうしてあいつが呼び捨てで、僕がさん付けなんだ」
あ、とメイベルは口ごもった。
たしかにユージーンに対しては、未だに『さん』を付けたままだ。だが改めて呼びなおすのは恥ずかしい、とメイベルがちらりとユージーンを伺い見る。
だがユージーンはなおも仮面の向こうから、メイベルが名前を呼ぶのを静観して待っていた。どうやら呼ばないという選択肢はなさそうだ、とメイベルは観念する。
「ユ、ユージーン……」
「……」
返事がない。まだ呼ばれ足りないようだ。
「ユージーン……」
「……」
「ユージーン!」
いよいよ顔を赤くしたメイベルが、なかば自棄のように叫ぶ。
するとユージーンは自身の口元に手を添えると、堪えるように密かに笑い始めた。その様子に「からかわれている」と気付いたメイベルは、くるりと身を翻すとユージーンをその場に残し、ずんずんと歩き始める。
「もう呼びません!」
「冗談だ。悪かった」
ようやく笑いが収まったユージーンが、メイベルの後を追う。
穏やかな漣が、二人の未来を祝福するかのように、柔らかく広がっていた。
(了)
以上で推定~2は完結です!
短い間でしたが、お付き合いくださりありがとうございました〜!