第四章 3
「――ああ、そうだ」
しばらくして、ユージーンはメイベルの手を取った。
そっと開かせると、その中にぽとりと何かを落とす。何だろう、と不思議に思ったメイベルが窺い見ると、そこには白金の指輪が輝いていた。
頂点にあたる部分には、磨き抜かれた氷のような、高い透明度の宝石が収まっており、傾けると断面に虹色が次々と映り込む。よく見ると花の形に細工されており、まるで水晶で出来た薔薇のようだ。
「遅くなったけど、これ」
「お、覚えていてくれたの⁉」
「当たり前だ」
以前アマネから求婚攻撃を受けた時、ユージーンと交わした約束。メイベルは嬉しさのあまり、その美しい指輪を右に左にと眺めている。
「その石は僕の魔力で出来ている」
「え?」
どこかで聞いたような説明に、メイベルははてと記憶を巡らせた。しかしすぐに思い出し、慌てた様子でぶんぶんと首を振る。
「ま、待ってください⁉ ユージーンさんの魔力って、……もしかして、『心』……?」
「そうとも言うな」
「こ、『心』って確か、一生に一度しか作れないんですよね⁉」
「ああ」
「それにたくさん魔力を使うから、……魔術師の寿命を縮めて、しまう、と……」
「よく知ってるな。その通りだ」
平然としたままのユージーンに、メイベルは嘘でしょ、と心の中で呟いた。そして持っていた指輪をユージーンの手に押し戻す。
「も、貰えないです! こんな、……指輪なんていらないです。それよりユージーンさんに、長く生きていてほしい……」
今にも泣きだしそうなメイベルの様子に、ユージーンは自身の手のひらに視線を落とした。戻された指輪を見つめながら、そっと睫毛を伏せて微笑む。
「これは僕の誓いだ」
「誓い……?」
「僕は生き永らえることより、お前と一緒にいることを選ぶ。……お前のいない三百年を生きるより、お前と共に生きる三十年の方が大切なんだ」
静かに紡がれる言葉に、メイベルは恐る恐る顔を上げた。視線がぶつかると、ユージーンは安堵したように顔を綻ばせる。まるで年相応の青年のように、嬉しそうに笑うユージーンを前に、メイベルは心臓が強く拍打つのが分かった。
やがて戸惑うメイベルの左手を、ユージーンはそっと引き寄せた。捧げ持つように自身の手を添えると、メイベルの薬指についと指輪をはめる。静かに目を伏せると、祈りを捧げるように口を開いた。
「僕は生涯ただ一人、お前を――メイベル・ラトラ・イクスを愛する。お前がいなくなっても、ずっとずっと思い続ける。他の誰をも好きにならないと誓う」
――最初で最後の恋にするから。
「だからお前も……生きている間は、僕だけを愛してくれないか」
メイベルはその時ようやく、自分が泣いていることに気づいた。
次から次へと涙が溢れ、留まることがない。だが以前流したような、悔しさや悲しさを含んだものではなく、ただ心が温かく満たされていくような、途方もない喜びだけがあった。
返事をしないと、とメイベルは何とか口を開いたものの、出てくるのは濁った音ばかり。
「ほんとに……」
「うん?」
「本当に、私でいいの?」
「ああ」
「私、先に死ぬわ。あなたより、ずっと先に」
「……そうだな」
「一人になっちゃうのよ?」
「お前と出会わなければ、元から一人だったよ」
反論を失ったメイベルは、滂沱と流れていた涙をようやく拭うと、何度か強く瞼を閉じて瞬いた。赤くなった目元を隠すでもなく、ユージーンに向かって微笑む。
「――誓うわ。メイベル・ラトラ・イクスは、この命の続く限り……ユージーン・ラヴァだけを愛します」
ようやく得られた答えに満足したのか、ユージーンはメイベルの腰に腕を伸ばすと、力の限り抱きしめた。そのままメイベルの頬に手を添え、顔を傾けて唇を重ねる。
街は市民たちのにぎやかな声や、通りを走る山車の喧騒で溢れていた。
だがメイベルには、それらの音が全く聞こえていなかった。お互いの呼吸と体温と、息遣いだけが支配する世界に、二人きりで存在しているかのように。
「……ん、」
やがて苦しくなったのか、メイベルが短く声を上げた。ユージーンが口を離すと、メイベルはそっと睫毛を上げる。吸い込まれそうな緑色の光彩を見つめ返しながら、ユージーンは再びメイベルの体を抱きしめる。
「ユ、ユージーンさん?」
「足りない」
「え、あの」
メイベルの抵抗むなしく、二度目の口づけが下りてくる。
後頭部を押さえられ、逃げ出すことを許さないと言わんばかりのキスに、メイベルは内心パニックに陥っていた。
触れられる指先の艶やかさや、緩急をつけて啄むような口づけに、メイベルはただされるがままだ。両手でユージーンの胸を押してみるが、解放してくれる様子はない。
(ど、どうしよう……)
考えてみれば、ユージーンはメイベルよりずっと長く生きていて。
もしかしたら、そうした経験にも圧倒的に慣れているわけで。
メイベルは恥ずかしさに気を失いそうになりながら、倒れまいと必死に堪えることしか出来なかった。
やがて花の祭典は終わりを迎え、イクス王国に日常が戻ってきた。
騒動の主犯であったカイリとその部下たちは、縛り上げられたまま騎士団へと連行された。どうやらまだユージーンの魅了が解けていないらしく、目を覚まさない人や、うなされている人など、騎士団もどうしたものかと困惑する有様だったという。
もっとも最初のうちは、カイリが他国からの来賓ということもあり、扱いに困ると思われていた。だが同じキィサの国民であるアマネの部下や、事件の一部を見ていた港の男たちからの証言があり、イクスは正式にキィサへ抗議。多額の賠償金と正式な謝罪を受け取る予定だという。
また「メイベルの新しい婚約者として、議会が呼んだ相手らしい」という噂もどこからか漏れており、説明を求められながらも議会は沈黙を貫いていた。だが目に余るカイリの行動を知った国民は憤慨し、そんな国と繋がりを持つ気か、と何件もの訴えが議会に届いたそうだ。
結果として、議会はメイベルとキィサとの婚約関係を進めることが出来なくなった。
その一方で、祭りの際にユージーンの姿を見た人々は「メイベル様は、実はあの魔術師が本当に好きで婚約したのではないか」という話題で盛り上がっていた。
怖い、恐ろしいと思われていた魔術師が、昼間から姿を現したという衝撃にくわえ、彼の腕に抱かれていた末姫・メイベルがあまりに幸せそうにしていた、ということが原因だったらしい。
何より、顔の半分を仮面で覆われていながらも分かる、ユージーンの端正な顔立ちに心を奪われた女性が続出した。もちろん魅了の魔法がかかったわけではないが、とんでもないご高齢と思われていたユージーンが実は年若い青年で、しかも比肩し得ない美形とあれば、ご婦人方が騒ぎ出すのは当然だ。
こうしてたった一晩で、メイベルは『化け物と無理矢理婚約させられた、可哀そうな姫君』から『超絶美形と、幸せな婚約を結んだ姫君』へと変貌したのだった。








