第四章 2
王宮へ着いたメイベルたちは、城下と同じように花を撒いていく。
城門の前や狭間のある回廊にいた兵士たちは、何事かと空を見上げていたが、落ちてくる花を見ては笑みを浮かべた。
中庭にはさらに多くの兵士たちが祭りの警備準備をしており、その先頭には一姫・ガートルードの姿がある。邪魔になっては悪い、とメイベルは一旦花を零す手を止めた。
だが足元を走った巨大な影に気付いたのか、ガートルードが空を仰いだ。
王宮の、しかもこんな明るい時間にユージーンが現れたことに驚いたのだろう、ガートルードは目と口を開いたまま呆然としていた。そんな姉に向けて、メイベルがぶんぶんと手を振ると、ようやくやれやれと苦笑いを浮かべてそれに答える。
続けてユージーンに届くように、ガートルードは叫んだ。
「ユージーン殿、今度城にお越しください! うまい酒を用意します!」
当然のように返事はなく、ばさりと羽音を残したまま、二人は王宮の奥へと飛んで行った。その姿にガートルードは、やれやれと片方の口角を上げた。
中庭を通り越すと、メイベルたちが住んでいる居宅と庭園が見えてきた。
庭園にある薔薇の植え込みの間に、両手を振って微笑む三姫・キャスリーンがおり、その隣には護衛を務めている騎士団長ゲオルグの姿もある。その険しい眼差しを上空のメイベルたちに向けていた。
メイベルは姉に手を振り返した後、淡い桃色と濃藍の花を一輪ずつ選び取り、二人に向けて投げ落とした。手を伸ばしたキャスリーンよりも早く、ゲオルグがぱしりと中空で掴み、確認をしてから手渡す様子に、メイベルは知らず口元が緩む。
ありがとう、と声を上げる姉に向けて、メイベルもまた「頑張って!」の気持ちを込めて握った拳を高く掲げた。
こうして街中に花を届け終えた二人は、広場の中心にそびえたつ鐘楼へと帰って来た。
塔の一番上は四方が大きく開いており、装飾柱が均等に並び立っている。中央には青銅の鐘が鎮座しており、静かに次の出番を待っていた。
柱の間に降り立ったユージーンはメイベルを下ろし、自身の翼も解除する。
「お花も全部なくなったみたいね」
黄色と白の小さな花が出てきたのを最後に、メイベルが手にしていた魔法陣は輝きを失った。メイベルが「はい」と両手で二輪を差し出すと、ユージーンはしばらく無言で見つめていたが、不承不承といった様子で白い花を手にする。
残された黄色の花を髪に挿し、メイベルは祭りで賑わう街を見下ろした。
建物や看板には色とりどりのブーケが飾られ、道で笑いあう人々の髪や服にも、同じく生花が華やかに彩られている。遠くに目を向けると港に並ぶ帆船の列があり、船の帆柱や甲板に多くの花束が誂えられているのが分かった。
無事に花の祭典を迎えられた喜びに、メイベルはようやく安堵の息を吐き出す。振り返り、指先で白い花を弄んでいるユージーンに向けて、ゆっくりと頭を下げた。
「ユージーンさん、ありがとうございました」
「別に、大したことじゃない」
冷たく言い捨てるユージーンだったが、メイベルは喜びを隠しきれなかった。
(嬉しい……)
どれだけ願っても、ユージーンは頑なに閉じこもったままだった。
でもメイベルが本当に危なくなった時は、いつだってすぐに助けに来てくれた。
ウィスキに捕らわれた時も今回も、メイベルのためならば、姿を見せるのも人前に出ることも、ユージーンは厭わないのだ。
花を持って街中を飛び回るなんて、彼が一番毛嫌いしそうな仕事。文句を言いながらも付き合ってくれる理由は――うぬぼれでなければ、メイベルのため以外に無い。
「あの、私……ユージーンさんに……ずっと謝りたかったんです」
「謝る?」
「私、嘘をつきました。本当は、他に好きな人なんて見つけてほしくない、です」
なんて我儘を言っているのだろうと、メイベル自身も理解していた。でも、それでもいいと、アマネに断言されてようやく口にする勇気が湧いたのだ。
「私が生きている間も、……出来ればいなくなっても、ずっとずっと、……私だけを好きでいてほしい」
本当にユージーンの幸せを願うなら、こんなことは言うべきではない。
それでも。
「これが私の素直な気持ちです。……あの時は『こうすることが、ユージーンさんのためなんだ』と思って、無理矢理自分の気持ちを誤魔化していました。でももう、いい子のふりは、やめます」
こんな私に幻滅しますか? とメイベルはユージーンを見つめた。その緑色のまっすぐな視線を受け止めながら、ユージーンは「するわけないだろ」と静かに首を振る。
「謝るとしたら、僕の方だ。僕と婚約したせいで、お前が『可哀そうな姫君』と呼ばれていると知って……なんてことをしてしまったんだろうと、後悔した」
契約を願ったばかりに、自分だけで負うべき悪評が、メイベルまでも傷つけてしまったのではないか、と思った。
「だから婚約を解消すれば、……僕がいなくなれば、お前は幸せになれるんじゃないかと思って、心にもないことを言ってしまった」
その言葉を聞きながら、メイベルは胸を痛めた。
やはりユージーンは知っていたのだ。メイベルがどのように噂されているかを。
「そんなの、間違ってます」
「……」
「私……ユージーンさんがいないと、幸せになんてなれません」
はっきりと断言するメイベルを見て、ユージーンはふ、と口元を緩めた。
「……あいつの言ったとおりだったな」
え? と首を傾げるメイベルを前に、ユージーンは少し不満げに腕を組んだ。
「アマネに言われた。『メイベルがそう言ったのか?』と。思えば僕は……ただ逃げていただけだったんだな」
メイベルはユージーンの幸せを。
ユージーンはメイベルの幸せを。
お互いがお互いの幸福を願ったはずなのに、それを素直に口にしなかった。勝手に頭の中で考えて、思い込んで――結果として、二人はすれ違ってしまったのだ。
「散々怒られた。お前に肩身の狭い思いをさせるな、と」
「お、怒られ……」
「腹が立ったが、おかげで目が覚めた」
ユージーンはアマネになりたいと願った。でも実際は思うばかりで、何一つ行動に移してはいなかったことにも気が付いた。
変わりたい、変えたいのなら――自分が動かなくては意味がない。
メイベルの立場が悪いとすれば、それは自分の存在が恐怖の対象だから。
それならばユージーンが『恐ろしい魔術師ではない』と伝われば、メイベルに寄せられる奇異の目を、少しでも減らすことが出来るかもしれない。
「お前を『化け物の贄』なんて言わせない。そのために、僕は……変わろうと、思う」
たどたどしく言い終えたユージーンは、そのまま深く俯いた。メイベルはそんなユージーンに歩み寄ると、そっと両手をユージーンの頬に添えて顔を覗き込んだ。
「じゃあ、私も頑張ります」
「……?」
「可哀そうな姫君でも、化け物の贄でもないって、ちゃんと反論します。周りに何を言われても、ちゃんとユージーンさんが好きだって言います」
驚いたように目をしばたたかせるユージーンに対し、メイベルはいつものように優しく目を細めた。そのまま仮面に指を伸ばすと、ユージーンの顔から仮面を外す。
露わになったユージーンの素顔は、相変わらず完璧な美しさだ。
だが動揺を見せるその表情は、けして凍り付いた魔性のものではなく、紛れもない一人の青年のものだった。今はその白い肌が、真っ赤に染まっている。
「魔術師でも、人でもいい」
「……メイベル」
「私はユージーンさんが好き。一番近くにいたいし、ずっと一緒にいたい」
メイベルは腕を下ろすと、黒手袋に包まれたユージーンの手を握りしめた。ぎゅ、と力を込める感触に、ユージーンは眉を開く。そのまま穏やかな笑みを浮かべた。
「僕も――好きだ。……傍に、いてくれ」
その答えにメイベルもまた、満足そうに微笑む。
やがて二人の影は、隙間なく一つになった。