第四章 誓いの花を君に
孤児院にいたリッドは、いつもより少し早く目を覚ました。
周りの子どもたちはまだ眠っており、リッドは物音を立てないように気を付けながら、そっとベッドを下りる。
今日は花の祭典。
朝一番に建物や鐘楼から花が舞い落ちてきて、人々はそれを身に着けて祭りを楽しむのだ。
早朝の街が花で埋め尽くされる光景は何度見ても美しく、リッドは祭りの始まりが待ちきれないとばかりに、部屋の窓に走り寄った。月明かりを遮るためのカーテンを開き、透明なガラス窓をのぞき込む。
すると、綺麗な太陽がリッドの目の前に落ちてきた。
リッドは驚いて、思わず窓を開ける。地面をのぞき込むと、それは太陽ではなく、鮮橙色に色づいた大輪の生花だった。さらに頭上から、一つ、二つと花が落ちてくる。
「わあー! すごい!」
すると、リッドの大きな声に目を覚ました他の子どもたちも、わらわらと窓辺に集まってきた。彼らは上空を見上げると、それぞれ「わー!」「きれーい!」と声を上げる。
子どもたちの瞳に移るのは、青空から零れ落ちる極彩色。
紅、茜、深紅、桃、卵色、群青、白――大きさも種類も様々な花が、流れるように地上へ降り注いでいた。真珠のような朝の光を浴びながら、ゆったりと波を描くように、花の洪水がイクスの空を覆っている。
「あれ、鳥さんかなあ?」
やがて子どもの一人が、色が生み出されている先頭を指さした。
そこにはたしかに、白く大きな翼が広がっており、時折ばさりと音を立てている。やがて鳥と思しき何かは、広場の中央にある鐘楼をぐるりと旋回したかと思うと、再びリッドたちのいる孤児院の方角へと飛んで来た。
近づいてくるその正体を見て、リッドは嬉しそうに叫ぶ。
「あ、メイベルさまだ!」
大きな鳥だと思ったものは、背中に真っ白い翼の生えた人だった。
全身は黒で包まれており、顔の半分も何かで隠されている。その腕の中には末姫・メイベルが横向きに抱きかかえられており、彼女は楽しそうに膝に溢れる花々を手に取ると、そっと地上へとばら撒いていた。
やがて窓際にいたリッドに気付いたのか、メイベルがひらひらと手を振る。その姿を見て、リッドは興奮冷めやらぬといった様子で大きく口を開いた。
「あれってもしかして、『まじゅつし』かなあ!」
「魔術師って、見ちゃダメなんじゃないの?」
「でもメイベルさまもいたし、オレたち見たけど何ともないぞ」
「それはそうだけどー」
「なんか、メイベルさま、嬉しそうだったね」
子どもたちの、きゃっきゃと花の咲くような笑い声が弾む。すると騒ぎを聞きつけたのか、孤児院の院長が姿を見せた。それに気づいた子どもたちは、先ほど見た『大きな鳥の人』の話を我先にと口にする。
イクスの特別な一日は、こうして賑やかに始まった。
「ユージーンさん、疲れてないですか?」
「ああ」
街の東部に花を撒きながら、メイベルはユージーンに尋ねた。
「まさか、アマネさんの花がこんなところで役に立つなんて」
微笑むメイベルの膝には、以前アマネが身に着けていた魔道具のネックレスが置かれていた。ただし魔法防御の効果は既に損なわれており、代わりにユージーンによって『移動の魔法陣』が刻まれている。
テントに設置されていたもう一つの魔道具は、同じ細工を施されてユージーンの城の倉庫に置かれていた。倉庫の床には傾斜がつけられており、保管されている花が少しずつその魔法陣へと吸い込まれる。
すると、メイベルが持っているこちらの魔法陣から出てくる、という仕組みだ。
最初は、造花の代わりに生花を使うことに少し抵抗を抱いていた。
しかしこの花はユージーンが魔法を施しているため、多少落としたくらいでは傷がつかない。また、送り主のアマネ当人からも「役に立つなら使ってほしい」と頼まれたこともあり、倉庫で保管してダメにしてしまうよりは、とメイベルも心を決めたのだ。
羽ばたいていたユージーンが、ゆっくりと進む方向を変える。
旋回に合わせてメイベルが花を手落とすと、下にいた市民たちが歓声を上げた。懸命に手を振ってくる子どもに気付き、メイベルが手を振り返す。
すると目を輝かせた子どもの一人が「天使さまだ!」とユージーンを指さした。
背中に生える白い翼は、なるほど宗教画に見る天使の姿にうり二つだ。
「天使ですって」
「……冗談じゃない。早く配って帰るぞ」
嬉しそうに見上げてくるメイベルに対し、ユージーンは不機嫌を露わにしていた。
だが仮面に隠れていない耳の端が赤くなっているのを発見し、メイベルは思わず口元が緩んでしまう。それに気づいたユージーンは、じとりと仮面の下の目を眇めた。
「何笑ってるんだ」
「な、なんでもありません! あ、王宮がまだでしたね!」
行きましょう、とメイベルが誤魔化すように顔を背ける。ユージーンははあ、と大きく息を吐くと、長く伸びる両翼を傾けた。
そんな二人を見ていた街の人々は、戸惑いと驚きを隠せないようだった。
「もしかしてあれが、仮面魔術師ってやつかい?」
「近くで見てしまったが、大丈夫なのか?」
「というか、何で今年は造花じゃなくて本物の花なんだろうねえ」
すると雑踏の中にいた、筋骨たくましい男の一人が「ああ、それはな」と続ける。
「なんでもキィサの王子とやらが、祭り用の花を燃やしてしまったらしくてな。代わりにメイベル様が花を用意してくださったらしい」
「え、じゃあもしかしてこれ、魔法なの⁉ 触っても大丈夫かしら?」
気味悪く思ったのか、慌てた女性の一人が花を路傍に捨てた。だが隣にいた女の子が、すぐにそれを拾い上げ、「はい」と女性に向けて返そうとする。
「お母さん、捨てちゃうの可哀そうだよ。こんなに綺麗なのに」
見れば少女は、たくさんの花を頭に飾っており、洋服のポケットにも溢れんばかりに詰めこんでいた。自分の娘に言われて戸惑ったのか、女性は一度捨てた花を改めて手にする。
にっこりと笑う少女を前に、周囲の人も何となく、花を粗雑に扱うことが出来なくなってしまった。
「うーん、見た目は普通の花だし……お祭りの間だけなら、まあ……」
「メイベル様も触っていらしたし、害は無いのかもね」
魔法と聞いて臆した面々も、よく見るとただの生花よりも色が鮮やかで、しおれる様子もないことに気付き、意外と悪くないと言い出し始めた。先ほど花について説明した男もまた、武骨な手に薄黄の花を収めたまま笑う。
「保管していた倉庫もやられたらしいが、あの仮面魔術師というやつのおかげで、倉庫は直ったらしいぞ」
「ああ、俺もそれは耳にしたな。一瞬で元通りになったとか」
へえーと大人たちは口を揃える。魔術師は恐ろしいものと噂には聞いていたが、実際に見てみると別に倒れる人がいるわけでも、呪いをかけられるわけでもない。
おまけに『無理矢理婚約させられた』はずのメイベルが、こともあろうか魔術師の腕の中で、幸せそうに微笑んでいた。その光景を思い出した街の人々は、口には出さないものの、それぞれ思考を巡らせる。
やがて祭りの始まりを告げる鐘の音が、王都全体に響き渡った。
一点の雲もない青い空を、キラキラと虹色の粒を落とす巨大な魚が泳ぐ。
極彩色の尾びれをそよがせるそれを、先導するように純白の羽で駆けるユージーン。そんな彼の傍らで花を生み出し、地上へ零れ落とすメイベル。
そんな二人の姿は、花の祭典の始まりにふさわしい――言葉に出来ない祝福と幸せに満ち溢れていた。
「しかしまあ、本当に嬉しそうだこと」
「もしかしたら、魔術師というのも、言うほど変な奴じゃないのかもねえ」
胸に深紅の花を挿した女性たちが、王宮に向かって飛んでいく二人を見て、顔を綻ばせていた。








