第三章 3
どうやらメイベルを追いかけてきたアマネが、部下を使って伝令を送っていたようだ。突然現れたユージーンを前に、メイベルは一体何から話したらいいのかと言葉を探す。
「あの、私、……」
「――貴方が噂の化け物ですか」
だが甲板から飛んできたカイリの声に、メイベルはすぐに緊張を走らせた。
下を見ると、ずらりと並んだ彼の部下たちが、二人に向けて一斉に矢を番えている。カイリはユージーンの翼を熟視すると、実に嬉しそうに口角を吊り上げた。
「珍しい。生け捕りにしなさい」
その言葉を皮切りに、無数の矢が放たれる。
メイベルは思わず目を閉じるが、矢はユージーンの体に触れる寸前で、見えない盾に守られているかのように弾かれ、地上へ雨のように次々と落ちていく。
常軌を逸した光景に驚きながらも、部下たちは懸命に弓を引き絞った。だがどれだけの名手が射たものであっても、ユージーンを傷つけることが出来ない。
「何をしているのです。相手は人じゃない、多少手荒でも死にはしません」
カイリにも焦りが生まれたのだろう。攻撃はなおも激化し、先端に火を点けた矢まで飛び交い始めた。焦りのせいだろうか、互いの軌道が邪魔をして、船上や倉庫の上に落下していく矢も散見し始める。
そのうちの一つが甲板に刺さり、静かに燃え上がり始めたのを見て、メイベルはユージーンを見上げた。
「ユージーンさん、ここを離れないと、火で港が大変なことに」
しかし応じようとユージーンが口を開いた瞬間、空気を震えさせるほどの、巨大な爆発音がした。なに、と驚いたメイベルが下を見ると、船首部分に設置されていた金属の円柱が、黒い口を開けてこちらに狙いを定めている。
少し遅れて港の方から悲鳴が上がり、湾岸にあった倉庫の一角が、鉄球によって押しつぶされているのが視認できた。
「大砲か。銃とはけた違いだな」
ユージーンの口ぶりから察するに、どうやらあれは大砲というものらしい。カイリが持っていたものを巨大化した造りに見えるので、小型の方を銃と呼ぶのだろう。しかしユージーンは恐れる素振りも見せず、冷静に眼下を眺めている。
続いて二発目。
だがこれも精度が足りないのか、放物線を描きながら海面へ着地したかと思うと、高い水柱を上げて消えていった。新たな被害が出なかったことに安堵していたメイベルだったが、落下で揺れるその水面が、先ほどよりも明るくなっていることに気づく。
どうやら夜明けの時間が近づいているらしい。
空が白んでいくのに合わせて、次第に矢の勢いも収まり始めていた。攻撃を歯牙にもかけないユージーンを前に、甲板にいた男たちにも限界が来ているのだろう。
「情けない。見本を見せてあげましょう」
漂い始めた怯えや弱気に苛立ちを覚えたのか、ついにカイリ自らが銃を構えた。
しかしその銃口はユージーンではなく、メイベルに向けられている。
「化け物に当たらないのなら、――女を狙いなさい」
言いざまに軽い発砲音が響いた。
メイベルはすぐに身構えたが、強く抱きしめられる感覚に襲われた。痛みはなく、恐る恐る顔を上げると、メイベルを護るようにユージーンが身を翻している。
どうやら仮面の端に被弾したのか、固定していた金具がカシャリと外れた。やがて間を開けて、黒く繊細な仮面がユージーンの顔から剥がれ落ちる。
「案の定です。次は頭を――」
半笑いを浮かべたカイリの顔は、張り付いたようにそのままひくりと固まった。その視線の先には、ユージーンの輝くような金の両眼がある。仮面という枷が無くなり、露わになったユージーンの相貌は――それはそれは、美しいものだった。
計算されつくした骨格に、琥珀色の光彩。
通った鼻筋は、薄い唇へと続いており、今は真一文字に結ばれている。長い睫毛の一本、艶やかな髪の毛の一房までもが、神に愛されて作り出されたかのようで、――言葉では言い表せない眉目秀麗さに、カイリは一時呼吸を忘れていたほどだ。
「……⁉」
だがそれは単に、ユージーンの美貌のためだけではなかった。
そのことに気付いたのは、カイリの周りにいた部下たちが、次々と昏倒し始めた時だ。
皆一様に胸を押さえ、体を丸めて悶える部下の姿に驚いていたカイリだったが、自らもようやく息苦しさを感じ、膝をつく。
必死に肺に空気を取り込もうとするが、心臓の跳ね上がりの幅が大きく、上手く吸い込むことが出来ない。どくんどくんと拍打つ体に対し、頭の中は先ほど焼き付けられた、ユージーンの見目で占められていた。
恋情、思慕……と言ってしまうにはあまりに凶悪で、恐ろしい感情に心を奪われていると分かる。
(これが、魔法……⁉)
やがて、うずくまるカイリの前にユージーンが降り立った。動悸を堪えながら必死に顔を上げるカイリを、すうと目を細めて睨みつける。
「気が済んだか」
「……、あ……」
「お前の望んだ化け物だ。これでもまだ足りないか?」
そう言うとユージーンは、冷笑をカイリへ手向けた。
途端にカイリの震えは激しくなり、額や胸からじわりと嫌な汗が滲んでくる。まるで心臓を直接掴まれ、潰すタイミングを見図られているようだ。
恐ろしいことに――その悪魔のような顔がすぐ隣にあるというのに、ユージーンの腕に抱かれたメイベルは、平然と彼とこちらの両方を見返していた。その様子にカイリはようやく、メイベルに手を出すべきではなかったと悟る。
(どうして、これに耐えられる……⁉ 信じられない……)
やがてカイリは、気絶するように床に倒れこんだ。
意識がなくなると同時に魔法も解けたのか、横たわったカイリの体がわずかに上下しているのを確認し、メイベルもまた安心したように息をついた。
(すごい……ユージーンさんの顔を見ただけなのに……)
たしかにこれは『惚れてしまう』などといった生易しいものではない。
もちろん、彼が本気で魅了の魔法を使ったせいでもあるのだが、メイベルは改めてユージーンの凄さを思い知らされた。
だが一息置く暇もなく、メイベルは「ああっ」と声を上げる。
「海にアマネさんが! 落ちて! 助けないと‼」
「――落ち着け」
すぐにでも甲板に降りようと、腕の中でもがくメイベルに、ユージーンははあと眉を寄せた。








