第二章 6
そう語るムタビリスの顔は白い仮面に覆われていて、どんな表情で言っているのか、メイベルには分からなかった。ただその声がとても心細いものに感じられて、メイベルは励ますようにムタビリスの両手を取る。
「――きっと、優しい魔法よ。そのおかげで私はこうしてムタビリスや、ユージーンさんの傍にいられるんだもの」
「そうかな……そうだと、いいなあ」
「きっとそうよ」
メイベルのその言葉に、ムタビリスは嬉しそうに目を眇めた。それを見てメイベルもつられたように笑う。やがてムタビリスはそっと口を開いた。
「メイベル……魔術師と人が恋をして、――幸せになれるのかな」
「どうして?」
「――死の間際、先生はすごく泣いていたんだ。おれは……メイベルもユージーンも、大切だから……そんな風になってほしくない……」
先生の死。
その光景が目に浮かぶようで、メイベルは唇を噛んだ。ムタビリスにも分かっているのだ。魔術師と人が結ばれるために、越えなければならない障害があまりに多いことを。
メイベルは伏せていた視線を上げると、ムタビリスを正面から見据える。
「大丈夫、……と言いたいけれど、ごめんなさい、自信はないの……」
「……そう、なんだね」
「私は必ず先に死ぬし、それどころか、ユージーンさんに嫌われてしまうかもしれないわ。昨日だって喧嘩して、勝手に出て来ちゃったし……それでも、私、ユージーンさんと一緒にいるとそれだけで幸せなの……」
魔術師だから。人だから。そんな問いは意味をなさない。
メイベルの答えに、ムタビリスは安心したように口角を上げた。
「――ユージーンが、うらやましいな」
「え? どうして」
「メイベルに、こんなに思ってもらえる。すごく、羨ましい」
ふふ、と柔らかく微笑んだムタビリスは、まるで恋をする少年のように、愛し気にメイベルを見つめてきた。ムタビリスは思ったことをただ素直に口にしてしまうだけだ、と分かっているメイベルでも、思わず顔が赤くなってしまう。
その時部屋のドアを叩く音が響いた。
「――またね、メイベル」
瞬時にムタビリスは飛び上がり、星空の中を泳ぐように駆けていった。残されたメイベルが扉に向けて応答すると、ウィミィが顔を出して「あら?」と首を傾げる。
「空を見ていらしたんですか?」
「ううん、魔術師の友達が来ていたの」
するとウィミィはひい、と悲壮な声を上げた。
「ま、魔術師ですか⁉ また戻って来ますか⁉」
「帰っては来ないと思うけど……どうしたの、そんなに慌てて」
「だ、だって、顔見たら気が触れるとか、倒れるというじゃありませんか……」
せわしなく視線を動かしながら怯えるウィミィに、メイベルは「大丈夫よ」と笑う。
「それはただの噂よ。確かに素顔を見ると少し危ないけど、命を奪われたりはしないし、みんな仮面を着けて気をつけているもの」
「そ、そうなんですか……?」
メイベルの太鼓判に少しだけ安堵したのか、ウィミィははあと息を吐き出した。
「そんなに怖がらなくてもいいのに」
「だって魔術師ですよ? どんな人かもわからないし、不思議な力も持っているらしいし……」
「その力で、この国を守ってもらったのに?」
「それはそうですけども……」
むう、と困ったように眉を寄せてウィミィは続ける。
「でも町の人だってみんな怖がっていますよ。それにあの事件があったせいで、『メイベル様は国のために、無理矢理婚約させられた』なんて言う人もいるし……」
え、とメイベルは目を見開いた。
「どういうこと⁉ 私、無理矢理なんかじゃないわ!」
「もちろん、否定はしているんですが……やはり魔術師と言われると、信じる方も多いみたいで……」
口籠るウィミィの様子に、メイベルは今日の街での違和を思い出した。城下町を歩いていた時に感じた視線、内緒話。あれは『魔術師と婚約させられた』メイベルに向けられたものだったのだ。
(そんな……誤解なのに……)
思えば気付くべきだった。
書記長の言葉を遮られたとき。リッドから『かわいそう』だと言われたとき。
アマネが市街地から逃げるようにメイベルを連れ出したのは、きっと周囲から向けられる、好奇や哀れみの目からメイベルを守るためだったのだ。
そしてメイベルは一番恐れていたことに気付く。
(ユージーンさんもこのことを知って、……だから婚約を解消しようと……?)
メイベルはクローゼットの前に足を進めると、来ていた室内着を脱き始めた。外出着を着こんでいるメイベルに、ウィミィはどうしたことかと慌てる。
「メイベル様⁉ 突然どうしたんですか」
「ユージーンさんのところに戻るわ。勝手に出て行ってしまったことを謝って、ユージーンさんの本当の気持ちをちゃんと聞くの」
靴を履き替え、部屋の扉を開ける。どうしたらいいかわからず戸惑うウィミィに、振り返ったメイベルはにっこりと微笑みかけた。やがて前を向くと、薄暗がりの廊下を颯爽と歩いていく。
(もしもユージーンさんが、ムタビリスの先生のように悩んでいるなら)
メイベルに愛想をつかして、婚約を解消するなら仕方がない。でも万一――メイベルのために諦めようとしているならば。
逸る気持ちは、大きな歩幅となって現れる。
だが急ぐメイベルの前に、見知った男性が姿を見せた。美しい銀の髪、アマネの兄であるカイリだ。後ろには供の者もいる。
「――おや、メイベルさまではありませんか。こんな時間にどちらへ?」
「婚約者のもとに戻ろうと思いまして。私の気持ちをちゃんと伝えないと」
気持ちですか、と繰り返すカイリに向けて会釈をし、メイベルはこの場を切り上げようと靴先を外に向ける。
だがカイリの口から零れたのは、耳を疑うような言葉だった。
「それは困りますねえ。だってあなたの婚約者は――私ではありませんか」
次の瞬間、カイリに付き従っていた一人が、メイベルを羽交い絞めにした。
その口に分厚い布を押し付けられ、驚きのままもがくメイベルだったが、強い酒を浴びたような酩酊感と、息の出来ない苦しさに、徐々に頭の芯がぼうっとするのが分かった。
やがて意識が途切れ、メイベルはぐたりと弛緩する。
侍従が抱きかかえるその姿を見て、カイリはその美しいかんばせを綻ばせていた。