第二章 本音と願い
――メイベルは夢を見ていた。
城の外。
メイベルは広がる草原に立っている。
視線の先にはユージーンがおり、メイベルは彼の名前を呼んで走りだそうとした。
だが思うように足が動かない。
おかしいと思って下を見ると、メイベルの足は細くやせ衰え、車椅子に座っていた。慣れない動作で必死に車輪を手押すが、上手く進むことが出来ない。力を籠めるその手にも、多くのしわが刻まれている。
たまらずユージーン、とメイベルは叫んだ。
だが口が動くだけで音にはならない。やがて彼のそばに誰かの影が見えた。長い髪。女性だろうか。
するとユージーンは、自身の隣に立つ女性の手をそっと取った。彼の顔に仮面はなく、あの美しい相貌が穏やかな笑みを浮かべている。
(……嫌……)
今までメイベルにだけ向けられていたそれが、全く知らない誰かに捧げられている。
メイベルはなおも二人に近づこうと試みるが、距離は一向に縮まらない。
やがてユージーンは女性を抱き寄せ、顔を近づけると――
「――!」
メイベルは大きく見開いた目を何度か瞬かせた。
王宮にあるメイベルの自室。
見慣れた天井を確認すると、はあ、と大きな息を吐きだしながら、メイベルはゆっくりと上体を起こした。昨日から泣き続け、腫れてしまった瞼が痛々しい。
(そうだわ……昨日、ロウさんに送ってもらって……)
お礼を言わないと、とぼんやりと思考を巡らせていたメイベルだったが、やがて昨日ユージーンと交わした会話が甦ってくる。
(私、どうしてあんなことを言ってしまったのかしら……)
――自分がいなくなったら、他に好きな人を探してほしい。
ユージーンのためにと口走ったくせに、メイベル自身、その覚悟はまったく出来ていなかった。……夢で見ただけで泣いてしまうほどに。
(ユージーンさんを、怒らせてしまったわ……私が考えなしに、あんなことを言ったから……)
だがメイベルとしても、許せないことがあった。
――婚約をなかったことに。
ユージーンが言いかけた言葉を思い出し、メイベルはふるふると首を振った。その言葉だけは、言ってほしくなかった。
婚約解消の話をされた直後ということもある。
メイベル自身は絶対にしたくないと思っていることを、ユージーンがいとも簡単に口にしたことに、腹を立てた部分があったのは否めなかった。
「……でも、それとこれとは別よね……」
謝って許してもらえるだろうかと考えるだけで、じわりと目の端に涙がたまる。だが泣いても解決しない、とメイベルは強く目をつむって、必死に悲しみを払いのけた。
しかし、すぐにユージーンのもとへ帰る勇気は出なかった。
もやもやとした気持ちを抱えたまま、王宮の一角にある図書室に向かったメイベルは、魔術師について書かれた書籍を手に、丁寧に頁を手繰っていた。
もしかしたら魔術師と結婚した人の記録があるかもしれない、とわずかな期待を抱いての行動だったのだが、現実は厳しい。
(やっぱり……物語や伝承に近いものばかりね)
本に書かれているのは、魔術師が今よりも多かった時代のお伽話や、彼らが見せた魔法についての逸話ばかりだった。魔術師というものがいかに特別で、人とは違うものであるかをいっそう見せつけられたようで、メイベルはさらに次の項目を読み進める。
だがどの部分を読んでも、魔術師と結ばれた人の話は出てこない。
本当に今まで誰もいないのかしら、と意気消沈するメイベルだったが、挿絵として描かれていた白い仮面を見て、そういえばと思い出す。
「……ムタビリスのお師匠様は?」
メルヴェイユーズ――メイベルの母親。
そして母に恋をした仮面魔術師が、ムタビリスの師匠だ。
二人は恋に落ちたが、魔術師は別れを告げ、代わりに自身の魔力を捧げたという。彼の心情が分かれば、ユージーンの気持ちも理解できるかもしれない。
「何とかして、聞いてみたいけれど……」
ユージーンかロウに頼れば、ムタビリスと連絡を取ることは可能だろう。
だがメイベルはまだあの城に帰る覚悟が出来ていない。おまけに、どうして連絡を取りたいのかと尋ねられでもしたら、上手く答えられる自信がなかった。
再び頭を抱えたメイベルだったが、ふと思い立ち顔を上げる。
(ルクセン商会に頼んだら、連絡がとれるかも)
セロはユージーンの城に物資の配達をしていた。
同じようにムタビリスにも、繋がりを持つ商人がいるかもしれない。そうと気付いたメイベルは、いてもたってもいられず椅子から立ち上がった。
急ぎ戻った部屋でムタビリスに宛てた手紙を書き、市街地にあるルクセン商会へと向かう。だが王宮を出てすぐのところで、聞き慣れた声に呼び止められた。
「メイベル! 戻っていたのか」
「アマネさん、どうしてここに?」
アマネが手を振りながら、メイベルの方へと近づいて来た。久しぶりに見た元気な姿に、メイベルはほっとする。
「少し呼ばれていてな。出かけるのか?」
「はい。ちょっと街に行こうかと」
「なるほどな。よし、オレも付き合おう」
「えっ⁉ いいですよ大丈夫です!」
「護衛代わりだ。気にするな」
言うが早いかアマネはメイベルの手を取ると、ぐいぐい引きながら歩き始める。その強引さに驚くメイベルだったが、今はアマネの明るさが心地良くもあった。
城下に下り大通りへ向かう。イクスの中心地であり、多くの人々で溢れる街中を進んでいくと、巨大なレンガ造りの建物に辿り着いた。そこには両開きの玄関扉があり、上には『ルクセン商会』の看板が堂々と掲げられている。
受付で呼び出してもらうと、慌てた様子で奥からセロが姿を見せた。
「メイベル、急にどうした?」
「突然来てごめんなさい。実はお願いがあって……」
メイベルが事情を伝えると、セロはすぐに了承してくれた。どうやらメイベルの予想通り、ルクセン商会は各地の魔術師それぞれに繋がりがあるらしく、ムタビリスに連絡が取れる商人へと渡すと約束してくれた。
「でも、旦那に頼んだ方が早いんじゃないか?」
「それは、……」
セロの素直な疑問に、メイベルは二三度瞬いた後、そっと顔を伏せる。その態度に何かを察したのか、セロは「あ、悪い悪い」とすぐに首を振った。