第一章 10
ユージーンの部屋は、明かりもなく真っ暗な状態だった。
ロウは袂から金属の小箱を取り出し、中から紙巻の煙草を一本摘み上げる。
口に咥えると、先端をぴんと指先で弾いた。するとじわりと火が灯り、やがて薄く開いた口から白い煙が零れる。
虚空に浮かぶ煙を握りしめ、ロウが魔力を込める。するとポンと音を立てて、手のひらに球体の光が生まれた。ふよふよと浮かぶそれと共に、ロウは奥へと足を進める。
「灯りくらい点けたらどうだい?」
返事をしないユージーンを無視し、ロウはそのまま窓辺へと歩み寄った。締め切られたカーテンを開けると、夜空に煌々と輝く青白い満月が姿を見せる。
同時に、ソファに座り込んだまま俯くユージーンの姿が照らし出された。
「ちゃんと送ってきたから、安心していいよ」
窓の錠を外して、少しだけずらす。木枠の隙間から涼しい風が吸い込まれ、室内の淀んだ空気が少しだけ紛れた気がした。一言も発しないユージーンをよそに、ロウは机に寄り掛かると、手にしていた煙草を再び咥える。
「……メイベルちゃん、泣いていたよ」
「……」
ふうーとロウが長く息を吐く。白い呼気が闇の中に混ざり、やがて消えていった。沈黙は続き、途切れたままの会話をロウは辛抱強く待つ。
音の盗まれた世界で、ようやくユージーンが口を開いた。
「……婚約を解消するか、と聞いた」
「はあ、なるほどねえ」
苦笑しながら、ロウは吐き出した煙を手繰った。すると靄の中から白い花が一つ、ほろりと取り出される。それを手慰みにしながら、ロウは言葉を続けた。
「まあ正直、お前が婚約したと聞いて、不安はあったよ」
「……」
「俺たちは長命だ。彼女は必ず、お前より先に死ぬだろう――お前はそれに耐えられるのか?」
ぽとり、とロウの手から白い花が落ちた。床に落ちたそれに視線を落としたまま、ユージーンは「わからない」と掠れた声を落とす。
「耐えられないかもしれない。それでも僕は、すべて覚悟の上でそれを望んだ」
初めての恋だった。
でもそれは、失うことが確定している恋だ。
ユージーンは必ず、メイベルの死を看取らねばならない。いざそうなった時、自分がどうなるのか想像もつかない。
それでも――そのわずかな時間だけでいいから、傍にいてほしかった。メイベルの傍にいたかった。だから婚約という、確かな形を願い乞うた。
「でもそれはメイベルを……人の世界から引き離してしまうことだったのかもしれない……」
魔術師は人ではない。ユージーンも散々投げつけられて来た言葉だ。
自分だけであればよかった。だがこのままでは、化け物に嫁いだ姫として、メイベルまで後ろ指をさされてしまう。
「魔力を捨てる方法や、寿命を縮める方法も探した。だけど見つからない。大量の魔力を使う魔法はあるけれど、それでも彼女の寿命には追いつかない。……僕はどうやっても、メイベルと共に死ぬことは出来ない……」
以前のユージーンは、自分が魔術師であることに不満を覚えたことはなかった。呆れるほど長い命も、魔法という不可思議な力も、自らの知的好奇心を満たし続けていくのには悪くないと思ったほどだ。
だがたった一人。
メイベルという大切な人が出来た瞬間、全てがユージーンに牙を向いた。
まさかそれが、当の彼女にまで及んでしまうなんて。
「――誰かを好きになるなんて、考えてもいなかった。ましてやそれが、……こんなにもどうしようもなくて、苦しいものだと、……思っていなかったんだ……」
両手で顔を覆ったユージーンが、ぐしゃりと自身の前髪を握りしめた。それを見たロウは再び紫煙を燻らせる。
「――彼女を、好きにならなければよかった?」
薄く開いたロウの口から、穏やかな声が紡がれた。
ユージーンは首を左右にゆっくりと振る。
「……それでも、好きになったことを後悔はしていない」
化け物と呼ばれる自分が、こんな気持ちを抱えること自体が、罪なのかもしれない。
でも好きだから。
好きだからこそ、彼女には本当に幸せになってほしい。
そのために必要なら――僕は隣にいなくてもいい。
「……お前はすごいよロウ。こんなに複雑で厄介で、切っても切り離せない感情を抱えられるなんて……」
ユージーンの呟きに、ロウは驚いたように眉を上げた。
だが口角を上げると、長い睫毛をそっと伏せる。赤い瞳の輝きがわずかに陰った。
「そうでもないよ。本当に好きな人には、……好きとすら言えない臆病者だからね……」
ロウは再び煙から白い花を作り出すと、一輪を机に転がす。美しい月が、青々とした二人の影を描き出していた。








