第一章 8
は? と口にしたいのをなんとか堪え、メイベルは怪訝な表情をあらわにした。
「婚約解消って……アマネさんとの話なら、断るように既に伝えています」
「違います。魔術師殿との婚約です」
「……は?」
言ってしまった、とメイベルが言葉を飲み込む。
すると、ようやく本題を切り出すことが出来たとばかりに、書記長が矢継ぎ早に話を進め始めた。
「先日のウィスキ侵攻からこの国を守っていただいたことは、本当に感謝しています。ですが、それとこれとは話が違います」
「話が違うって……そもそも、ユージーンさんとの婚約は、あなたたち議会からの提案でしょう?」
「たしかに我々は、それが最善策としたこともありました。ですが今思えば、あれは逆賊・トラヴィスの言葉巧みに乗せられた部分があった、と言わざるを得ません」
ウィスキに捕らわれた時、蔑むようにトラヴィスから向けられた言葉を、メイベルはようやく思い出した。
――自分で考えることの出来ない人間は困ります。……あの言葉にまだ翻弄されなければならないなんて。
「ですが常識的に考えて、相手は魔術師です。寿命も力も何もかも我々とは違う、人ではない存在です。そんな相手と、イクスの王族が一緒になるなどありえないでしょう」
「たしかにユージーンさんはとても長生きで、すごい力もあるわ。だけど、私たちと何も変わらない。風邪だってひくし、熱だって出る。傷だって負うのよ。……大体、あの場でお父様の許しも得たわ! それをいまさら無かったことにするの?」
「陛下はお優しいのです。姫君たちの婚約を決める時も、必ずあなた方の心を一番に考えてほしいと常々言っておられた。しかも、あの特異な力で救われた手前というものもありましょう」
「だったら……!」
「ですが我々議会もまた、国の中枢を担うものとして、しかるべき判断をしなければならない。陛下が許したとて、議会は――メイベル様の婚約を認めません」
はっきりと告げられたその宣告に、メイベルは下唇を噛んだ。
だが書記長は後追いをかけるように続ける。
「……これはメイベル様のためでもあるのです。先ほども申し上げた通り、我々人と魔術師では、生きていける年月が違いすぎます。逆に言えばメイベル様の存在が、魔術師殿の自由を奪ってしまう可能性だってあるのですよ」
その言葉にメイベルは目を見開いた。
「メイベル様が亡くなった後、魔術師殿はどうなりますか? 誰か他の相手を探せと言えますか? その時になって、失敗だったと気付いても遅いのです。……それに、イクスの民たちが何と言っているかご存じですか、みなメイベル様のことを――」
「書記長殿、それはちょっと」
最後の言葉は、隣にいたもう一人によって制された。
書記長は短く咳払いをすると、再びメイベルの目を正面から捉える。
「以上が、今日お呼び立てした用件です。ご理解いただけましたら、まずはメイベル様から魔術師殿にお伝え願えますか」
「そんな、……勝手すぎるわ……」
「……つらいお気持ちは分かります。メイベル様から言い出せないようでしたら、我々から伝えることも出来ましょう。ただ、忘れないでいただきたい。お二人の幸せを考えれば、これが最善の方法なのだと」
やがて議会の二人は席を立った。
一人残されていたメイベルだったが、眼には零れる寸前の涙が張り詰めており、瞬きをするとたちまち一筋の雫となって頬を伝った。
(私だって、そんなこと……わかってる……)
メイベルは次の涙が落ちる前に、ぐいと手の甲で目を拭った。
悔しい。
どうしてここまで、言われなければならないのか。
(帰ろう……)
早くユージーンに会いたい、とメイベルは逃げ出すようにその部屋を後にした。
渡り廊下を足早に歩きながら、玄関ホールへ向かう。
すると曲がり角で、向こうから来た誰かと鉢合わせてしまった。
「ああ、失礼」
「――っ、ごめんなさい」
幸い直前で気付いたので、正面からぶつかることはなかった。
しかし驚かせてしまったと、メイベルは慌てて謝罪をする。
そこにいたのは綺麗な顔をした青年だった。肌はよく日に焼けており、長い髪は綺麗な銀色で、三つ編みにして右肩側にまとめている。
「私もよく前を見ておりませんでしたので。お怪我は?」
「い、いえ、大丈夫です……」
良かった、と青年は目を眇めた。
その瞳は、南国の海に似た深い青色をしており、メイベルは引き込まれるように見入ってしまう。
だがすぐに青年はメイベルの来た方向へと歩いていき、メイベルもまた一歩を踏み出した。