第一章 2
こうして、アマネによる『メイベル陥落作戦』が始まった。
全く穏やかでない対面が終わった翌日、朝の掃除をしようとメイベルが一階に降りたところ、突然玄関の扉が開いた。
なにごと、とメイベルが思う暇もなく、次々と応接室に衣装箱が運び込まれていく。
その一団の中にはセロの姿もあり、彼はメイベルを見つけると弱々しく手を上げた。
「おはよう、メイベル……」
「セロ! どうしたの、こんなに朝早く。それにこの荷物……」
「えーと、それは……」
心なしかぐったりしているセロが言葉を続ける前に、背後から快活なアマネの声が飛んできた。
「メイベルか、丁度いい! こっちに来い」
半ば強引に応接室に連れていかれたメイベルは、目の前の光景に眩暈がした。部屋の中に広がっていたのは、十や二十をとうに越したドレスの山々だったからだ。
白の精緻なレースをあしらった薄黄のアフタヌーンドレスや、肩を出すように作られた濃紺のイヴニングドレス。
なだらかな曲線を描くマーメイドラインに、真珠が波打つように縫い留められたもの。さらにはキィサの民族衣装なのだろう、色鮮やかな絹糸で何層にも織り込まれた一枚の布を、これもまた輝くばかりの銀糸で編んだ帯で縛る、という着物もある。
アマネの従者らしき人々が、素晴らしい布地を次々と並べていく姿は魔法のようで、年頃の女性であれば誰もがうっとりするほど壮観だった。
だがメイベルは、はっと目を覚ましたかのように瞬く。
「こ、これは一体なんですか⁉」
「いやなに、ちょっとした贈り物だ」
開いた口が塞がらないメイベルに、アマネはさらりと答える。その間も美しい衣装たちはところ狭しと増えていき、応接室内を埋め尽くさん勢いだ。
「好きなものを好きなだけ着るがいい」
「と、言われましても……」
「オレとしては、この薄青のオーガンジーを使ったイヴニングドレスか、黒のチュールレースをあしらった深紅のドレスがお前に似合うと思うが」
そう言いながらアマネが手にしたドレスは、透けるように光を弾く、非常に柔らかい絹地で出来ていた。イクスでは見たことも無いような逸品だ。
さすが商業大国というだけあって、こちらの大陸ではまだ流通していない生地や織物などが数多く存在するのだろう。
物珍しさに思わずドレスを手にしたメイベルだったが、違う違うと慌てて首を振った。
「いただけません、こんな高価なもの」
「どうしてだ? オレの婚約者になるのだから、これくらい当然だろう」
「だから、なりませんって! それにこんなドレスじゃ掃除も料理も出来ないですし」
「そんなもの、使用人にさせればいいだろう?」
何が問題だ? と言わんばかりのアマネを見て、メイベルは、たしかに王族なら仕方ない反応よね、と心の中で呟いた。そもそもメイベルのように、メイドも入れず家事を一手に担っている方が珍しいのだ。
「私は自分でしたいんです。この部屋も掃除したいので、片付けてもらえませんか?」
「しかし――」
なおも粘ろうとするアマネだったが、突然バァンと開け放たれたドアの音に、その場にいた全員が飛び上がった。
さらにメイベルの目の前にいたアマネが、突然ふわりと浮かび上がったかと思うと、開いたドアに向かって運ばれていく。
「な、なんだ、これは!」
驚くメイベルをよそに、アマネの従者たちも次々と浮遊したかと思うと、彼に続くように一列になって飛んで行った。セロも最後尾に浮いていた。
あちこちに敷き詰められていたドレスも、我先にと衣装箱へ殺到し、一杯になったものから順に蓋が閉まっていく。小気味よく鍵がかかり、準備が整ったものからすいすいと部屋の中を通り抜けたかと思うと、そのままアマネたちを追いかけて行ってしまった。
その怒涛の光景に、メイベルは言葉を失っていた。
すると一連の犯人――ユージーンがドアの向こうから姿を見せた。仮面をしているが、きっと眉間には深い縦皺が刻まれているのだろう、とメイベルは察する。
「朝から何なんだ。あいつは」
「あ、ありがとうございます……」
あははと乾いた笑いを浮かべていたメイベルは「怪我をしてないといいな……」と高く広がる晴れ空を、応接室の窓からぼんやりと見つめていた。
だがそう簡単にアマネが諦めるはずがなかった。
強制送還の翌日、二階の廊下で窓ふきをしていたメイベルは、階下の騒がしさに何だろうと足を向けた。すると一階の広間に、大量の花が運び込まれている。
急いで階段を駆け下りていき、粛々と花を山盛りしていく従者たちに声をかけた。
「あ、あの、これは一体」
「ああメイベル、昨日ぶりだな」
案の定、列の最後からアマネと、ついでに昨日よりも疲労困憊しているセロが姿を見せた。
怪我がなかったことに胸を撫でおろしたメイベルだったが、気を取りなおして足元に散らばる切り花についてアマネに言及する。
「お花ばかりこんなに……一体どうするんですか」
「女性はみな、花が好きなものだろう。溢れんばかりのオレの思いとして、受け取ってもらえないか」
快活な笑みを浮かべたアマネは、ひときわ目立つ深紅の一輪を、メイベルの鼻先へと差し出した。
彼の情熱的な心を映し出したかのような華麗な花を前に、メイベルは眉を寄せる。
「お花はたしかに好きです。でもこれは、あまりに可哀そうで……」
「可哀そう? 花がか?」
「摘み取らなければ、もう少し長く生きていられたはずです。それなのに……」
切られた花の美しさには、期限がある。
必要な量だけにとどめておけば、もっと他の人の目を楽しませることも出来たはず、とメイベルは床に膝をつくと、短く茎の切られたそれらを一つずつ拾い始めた。
その姿にアマネは少しだけ狼狽える。
「花に感情はない。オレはただ、お前が喜ぶと思って」
「……お花は好きですし、いただいたら嬉しいです。でも、こんな方法は嫌いです」
む、とアマネはそれ以上の言葉を飲み込んだ。
怒って立ち去るかしら、と思っていたメイベルだったが、予想に反してアマネはその場にしゃがみこんだ。しばらく逡巡していたかと思うと、メイベルにならい、腰を折って花を掬い取っている。
メイベルはその態度に、少しだけ意外な印象を抱いた。
(……言えば、ちゃんとわかってくれる部分もあるのね)
だが次の瞬間、玄関の扉がけたたましい音を立てて開いた。
呆気にとられる間もなく、昨日と同様アマネと従者御一行は、全員外へと放り出されて行く。今日は随分と遠くに運ばれているようだが、配送先は王宮だろうか。
メイベルはもはや驚くこともなく、階段の踊り場を見上げた。
そこにはユージーンが立っており、自らの城に突如現れた花畑を前に、実に嫌そうに口元を歪めている。
「しつこいな。おまけになんだこれは」
すたすたと一階へ降りて来たユージーンは、メイベルが拾い上げていた花をひょいと手に取った。
アマネが持っていたものよりずっと小ぶりで、目立たない白い花だったが、ユージーンは珍しいものを見るかのようにそれを指先で転がす。
「アマネさんが持って来たんですけど……このままじゃ、すぐに枯れてしまいます」
「花はそういうものだろう」
「でも、花に罪はないのに……」
しゅんとするメイベルを前に、ユージーンははあと深いため息をついた。軽く右手を掲げると、その動きに合わせて床の花たちがざわりと波立つ。
「……永遠という訳には行かないが、僕の魔法でしばらくなら永らえるはずだ。外の氷室に運んでやるから、好きな時に取りに行け」
ユージーンの言葉通り、紅や黄、橙といった鮮やかな色の花々が空を泳いだかと思うと、窓を通って城外へと導かれていく。
あっという間に元通りになった広間を見回したメイベルは、それこそ花が咲くような、満面の笑みを浮かべてユージーンの方を振り返った。
すぐに駆け寄って、彼の両手を握り締める。
今度はユージーンの方が、首から上を赤くする番だった。
「あ、ありがとう……! どうしようかと思っていたの」
「――ッ、……こんなことくらい、いつでも言え」
(……ありゃ絶対『可愛い』って思ってるな……)
その光景を、今日は何故か置いて行かれたセロが、一人静かに眺めていた。








