番外編:甘いものをあなたに
ユージーンの城から程近い場所にある大きな木陰。
今日はその下で、賑やかなパーティーが開かれていた。
「たくさんあるので、どんどん食べてくださいね!」
メイベルのその言葉通り、色とりどりの食事がテーブルに並んでいた。
ゆでた卵を荒く潰してマスタードと胡椒で和えたものや、細かく切った牛肉を甘辛く味付けしたものにレタスを添えたサンドイッチ。トマトやコーンといった新鮮な野菜のサラダに、丸々一羽ローストされた七面鳥。
その隣にはカップケーキに焼き菓子、そしてなんといっても目を引くのが、これでもかとばかりに大皿に並べられたクッキーだった。
真ん中にジャムを挟んだものに始まり、ココアとバニラの混ざったものや、薄焼きにアーモンドがあしらわれたもの。粒の大きな砂糖が全体に散りばめられたものから、果ては仮面型に作られたものまで、ずらりと並んだクッキーの全景に、男たちはただただ感嘆の声をあげていた。
パーティーに招かれたのは、ロウとムタビリスの二人。ちなみにメイベルは彼らの美貌に耐性があるため、珍しく全員が仮面を外している。
「いやー……前に食べたお菓子の時も思ったけど、メイベルちゃん、料理が得意なんだね」
「得意というか、それくらいしか取り柄が無いもので」
「それにしたって焼きすぎじゃないか?」
どこか冷めたようにクッキーを見つめるユージーンに対し、先ほどから感動で目をキラキラと輝かせているムタビリスが、力強く拳を握って反論した。
「大丈夫! おれがちゃんと全部食べるよ!」
その言葉に、メイベルはありがとう、と嬉しそうに目を細めた。
実はこのパーティー、そもそもがメイベルの希望で開催されたものだった。
「その、ウィスキで捕まっている時に、ムタビリスにクッキーを作ってあげる約束をしていたの……」
だめかしら、とメイベルに可愛らしく打ち明けられたユージーンは迷い、悩み、考えに考えた結果――ムタビリスの元へ行くのは却下。プレゼントとして渡すのも禁止、という結論を出した。
「どうして⁉」
「婚約者が他の男に物をあげるのに、いい顔をする奴がいるか」
正式な婚約者という関係になってから、ユージーンは以前よりも素直にメイベルと向き合ってくれるようになった。だが意外と嫉妬深いところもあるのか、異性に関しては時々厳しい面が見られる。
もちろん、ユージーンが大切にしてくれているからだと分かるので、メイベルも決して嫌な気分という訳ではない。だがムタビリスはイクス王国の恩人でもある。出来るなら約束を守りたい。
「それなら、皆がいる場所ならいいかしら?」
――というわけで開かれたのが、このクッキーパーティーであった。
やれやれと眉を寄せるユージーンをよそに、ムタビリスは先ほどの宣言通り、クッキーの前に陣取ると、丁寧に一種類ずつ皿に取って食べ始めた。
「おい、しい……」
一枚口に運ぶたび、実に幸せそうな笑みを浮かべるので、見ていたメイベルもついついつられて口元が緩んでしまう。
少しずつ、しかし着実に消えていくお菓子の山を前に、コーヒーを手にしたロウが、苦々しくユージーンに話しかけた。
「しかし、よく許したな」
「何がだ」
「これ。お前のことだから、絶対にこんなのしないと思ってたのに」
「……」
ロウのその言葉に、ユージーンは置かれていたサンドイッチを無言で手に取った。黙々と口に運ぶ姿を見て、ロウは「ふーん」と伏し目がちな視線を向ける。
「まあどうせ何かダメ出しして、メイベルちゃんが譲歩した結果がこれなんだろうけど」
ぼそり、とロウが零した言葉を聞いたユージーンは、飲んでいた紅茶でむせそうになった。すんでのところで平静を装ったが、なおもロウのからかうような微笑は続く。
「独占欲が強すぎると、嫌われるぞ」
語尾に星でも付きそうな、無邪気なロウのアドバイスを聞きながら、ユージーンは静かにメイベルの方に目を向けた。
あれほどあったクッキーは既に半分以下になっており、メイベルは甲斐甲斐しくムタビリスに紅茶のお代わりを淹れていた。時折メイベル自身もクッキーを食べては、ムタビリスと何やら感想を言い合っている。
二人で笑いあっている姿を見て、ユージーンははあとため息をついた。
「少し、席を外す」
ユージーンはロウにそう告げると、一人翼を広げて城へと戻った。
その夜、自室に戻って本を読んでいたユージーンのもとに、メイベルがやって来た。
「今日はありがとう、ムタビリスもロウさんもすごく喜んでくれたみたい」
「そうか」
素っ気ない返事のユージーンに、メイベルはおずおずと持っていたお皿を差し出す。
「それであの、……まだ食べてないんじゃないかなと思って……」
そこにはクッキーが綺麗に並んでいた。
どうやらわざわざ一種類ずつ取り分けていたようだ。
「ムタビリスにやるためのだろ? どうして僕に」
「それもあるけれど、やっぱり一番は……ユージーンさんに……食べて、もらいたい、から……」
消え入るようなメイベルの声を聞きながら、ユージーンはしばらく目を丸くしていた。
何の返事もないことに恥ずかしくなってきたのか、メイベルは「も、もういいです」と早口で告げると、クッキーの乗ったお皿を隠そうとする。
「僕に?」
だがユージーンは立ち上がると、一足先にその皿を奪った。
ああ、と彼の手のひらの上で揺れるクッキーを見て、メイベルは悲鳴をあげる。
「か、返してください!」
「食べないとは言っていないだろ」
「え?」
「こっち」
そう言うと、ユージーンはクッキーを持ったまま、部屋の奥にあったソファに腰かけた。どさりと座ったかと思うと、メイベルに顎で自身の隣を指す。
「……?」
メイベルが仕方なく言われた位置に腰を下ろすと、ユージーンは目の前に先ほどのお皿を掲げて、その薄い唇を開いた。
「ほら」
「ゆ、ユージーンさん……?」
「食べてもらいたいんだろ?」
にやりと笑うユージーンの表情に、メイベルは「絶対からかってる」と眉を寄せる。だがここで引いては彼の思うつぼだ、と意を決してクッキーを手に取ると、そうっとユージーンの口に運んだ。
柔らかい唇の感触に一瞬手が止まる。だがユージーンはすぐに、ぱくりとクッキーを口に含んだ。さく、とあっという間に食べ上げてしまう。
「もう一枚」
「……自分で食べたらいいじゃないですか……」
もう、と思うメイベルだったが、普段素っ気ないことの多いユージーンがここまで甘えてくるのは珍しい。今日はずっとムタビリスやロウと話をしていたから、こうして二人の時間を取れることは正直嬉しい。
クッキーはみるみる消えていき、最後の一枚となった。赤いジャムの載ったそれを手にしたメイベルは、慣れた様子でユージーンの口に運ぶ。
「はい、これで最後で――」
はくり、とユージーンが歯を立てる。
だがクッキーではなく、なんとメイベルの指先にその歯牙をかけていた。
「ひゃっ⁉」
慌てたメイベルはクッキーを取り落としてしまい、ユージーンは何事もなかったかのようにそれを拾い上げると、先ほどと同じようにもぐもぐと食べている。
一方噛みつかれたメイベルは、可哀そうなほど真っ赤になって、自分の手を握りしめていた。
(いま、指、……噛んだ⁉)
甘噛みだったのか、痛みはない。だがユージーンの体温や息遣いがダイレクトに伝わってきて、自分の指だというのに、まるでその感覚を忘れることが出来ない。
やがて空になった皿を見て、ユージーンはふん、と笑った。
「食べられたかったんだろう?」
「そういう意味じゃありません!」
憤慨したメイベルは勢いよく立ち上がると、空のお皿を持ったままユージーンの部屋から逃げ出した。後ろ手で扉を閉めてから、ようやくはああと大きな息をつく。
(びっくりした……)
心臓が先ほどより早まっていくのを感じながら、メイベルは自身を落ち着けようと、大きく深呼吸しながら台所へと降りて行った。
「……」
一方のユージーンも少しやりすぎた、と頭を抱えていた。
昼間のパーティーで、ムタビリスと楽しそうに話すメイベルの姿や、ロウから言われた言葉がちらついて、つい意地の悪いことをしてしまった。
(僕は一体、何年生きているんだ……)
あんなあからさまな嫉妬をしてしまった。
おまけに自分と遥かに年の離れたメイベル相手に、それをぶつけてしまうなんて。
人よりも長い時間を過ごしてきたはずなのに、メイベルのこととなると、まるで普通の若者のように翻弄されてしまう。
はあ、と先ほどから一ページも進んでいない本を前に、ユージーンはため息をついた。
(……『またパーティーを開いていいぞ』と言えば、許してくれるだろうか…‥)
その言葉に目を輝かせるメイベルの姿を想像して、ユージーンは思わず口元を手で押さえる。そうと決めれば明日だ、とばかりにユージーンは立ち上がると、読みかけていた本をそっと閉じた。
(了)
というわけで、ブクマ・評価・お気に入りのお礼代わりの番外編でした。
本編では甘さが少なめでしたので、糖度を気持ち多めに配合しております。
また番外編・本編続きが出来ましたら更新していきますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします!