第八章 2(完)
「メイベル……」
肘をつき、ユージーンがゆっくりと上体を起こす。
それに合わせてメイベルも少しだけ身をかがめた。
唇が触れ合う――その寸前で、ばさりと大きな羽音が頭上から降りてきた。
しかも二人分。
「おっと。出直した方が良かったかな」
「ご、ごめん、おれ見ないようにするから……」
「……」
真っ赤になって離れたメイベルの一方、ユージーンは不機嫌そうに空からの来客を睨みつけた。
視線の先にいるのは真っ赤な髪と同様、深紅の仮面を身に着けたロウと、仮面の上から手で目を覆うムタビリスの姿がある。
「何しに来た」
「いや、こいつがお前に会いたいって言うから」
「ご、ごめん……」
ロウから指さされたムタビリスは、更に申し訳なさそうに頭を下げた。二人は羽ばたきを変え、ゆっくりと地面に降りて来たかと思うとふわりと優雅に着地する。
「改めまして、おれはムタビリス。アーキタイプは『シャドウ』だよ」
「……ユージーン。『アニマ』だ」
はあ、とユージーンがため息をつくのを見て、再びムタビリスは頭を下げた。
「この前は、ありがとう」
「別にお前のためじゃない」
「うん。分かってるよ」
その会話を見ていたメイベルだったが、話が途切れたタイミングを狙ってムタビリスにおずおずと話しかける。
「あ、あの、ムタビリス」
「メイベル。どうしたの」
「ずっとお礼を言わないといけないと思っていたの。あなた、私に魔法をわざとかけなかったのね」
声を出すと死に至る魔法。
呪いと呼んでいたそれは、結局メイベルにはかかっていなかった。
おそらくムタビリスがかけたふりをしてくれていた、とメイベルは考えたのだが、対するムタビリスの返事は意外なものだった。
「ううん、メイベル。おれはちゃんとかけたよ」
「え?」
「でもかからなかった。君の持つ『魔法』のせいでね」
その単語に今度はユージーンが反応した。
ムタビリスもそれに気づいたのか、彼の方に視線をずらす。
「約束通り、それを言いに来たんだ。多分だけど、メイベルは――心に魔法を持っている」
「心に、魔法を?」
メイベルが繰り返すのを聞きながら、ムタビリスは言葉を続ける。
「うん。おれが君に魔法をかけようとした時、強い魔法の力で弾かれた。だからメイベルにはおれの魔法がかからなかったんだ」
「弾かれた……」
「イクス王国に行って更に確信したよ。君のお姉さんたちもそれぞれ魔法を持っている。屈強な体、美しい歌声、類まれなる美貌、優れた楽才……それらと同じ魔法が、君の場合心にかかっているんだと思う」
きらびやかな姉たちに比べて、何も持たない末の姫。
でも彼女にもちゃんと魔法はあった。それは誰からも見えない、心という場所に。
「なるほどね。だからメイベルちゃんは俺たちの顔を見ても魅了されないのか」
「うん。多分あらゆる魔法を無効化する力があるんだと、思うよ」
その会話を聞いていたユージーンは、ようやく全てつながったと感じていた。
許しなき者が入れないはずのこの森を通れたのも、自分の素顔を見てもなんともないのも。獣の姿になった自分を見ても命を落とさなかったのも、全て彼女が持つ心の魔法によるものだった。
ちらりとメイベルの方を見ると、当の本人は未だ良く分かっておらず首をかしげていた。その様子を見てユージーンは苦笑する。そんな二人を前にして、ムタビリスはぎこちなく笑った。
「でもよかった。メイベルのおかげで、おれも自由になることが出来たから」
「私のおかげ?」
「うん。仮面を外して呪いを解いてくれたのもあるけれど、『メルヴェイユーズの心』のありかが分かったから」
「メルヴェイユーズの、こころ?」
そう言えばあの時も、その言葉をトラヴィスが叫んでいた。
「そう。おれはずっと『メルヴェイユーズの心』を探していた。昔、ウィスキがそれを持っていると聞いて、譲ってほしいと頼んだ。でも彼らは『自分たちに協力すれば考えてやる』といって、そのままおれの力だけを騙し取ったんだ」
「そんな……」
「逃げ出す方法も考えていたけど、『メルヴェイユーズの心』はどうしても取り戻したかった。でもそれもあいつらの嘘だった。……だってもう、『メルヴェイユーズの心』はどこにもなかったんだから」
そう言うとムタビリスはメイベルを見て微笑んだ。
「『メルヴェイユーズの心』は、彼女の娘たちに分かたれていた。魔法という形になってね。メイベル、君もその一人だ」
「……私のなかに?」
「そう。『メルヴェイユーズの心』は、君のお母さんの持っていた魔力の塊のこと。彼女は自分が死ぬと分かって、それを自分の娘たちに分け与えたんだ」
「お母さんが、魔力を持っていたの?」
「正確には、お母さんに恋をした魔術師が与えたもの、というのが正しいかな」
――君の未来に、幸せが訪れますように。
そう願って姿を消した魔術師は、彼女に自分の加護を残した。
彼女の死後、その魔力がどうしても見当たらず、ムタビリスは探して歩いていたのだという。
「もしかして、それを与えたのがお前なわけ?」
「ちっ違うよ! その、おれの、師匠に当たる人、っていうか……」
「ははあ、師匠の後始末って訳か」
ムタビリスの言葉を聞いてから、メイベルはそっと自分の胸に手を当てた。
母が、娘たちに魔法をかけた。
姉たちにはそれぞれの才能や美貌、そしてメイベルには、その心にしっかりと魔法がかかっている。それを知ったメイベルは自然と笑みが零れた。
その後も何かとロウに質問されて、しどろもどろになっているムタビリスを一瞥したかと思うと、ユージーンは二人に向けて顎で城近くの森を指し示した。
「どうでもいいが、そろそろ帰れ」
「はあー……彼女が出来た途端これですよ」
「え! そうだったんだ、ご、ごめん、気づかなくて」
「早く帰れ!」
じゃあねーと赤い羽根を羽ばたかせロウが浮かび上がると、それに続いてムタビリスも黒い翼を広げる。優雅に飛び去って行く二人を見送ると、メイベルはユージーンを見て、満足そうにうなずいていた。
「なんかびっくりしましたけど、私がユージーンさんの顔を見ても平気な理由はそれだったんですね」
「ああ。確かに心に魔法がかかっていれば、そう簡単にはかからないだろうな……」
はあ、とユージーンは頭をかいた。メイベルはそれを見ていたが、やがてそっとユージーンの前に立つとその手を取る。
「お母さんにありがとうって言わないと」
「……?」
「おかげで、ユージーンさんとこうしてまっすぐ向き合えるから」
メイベルはそう言うと、ゆっくりと微笑んだ。ユージーンはその表情に少しだけ笑みを返すと、メイベルの指先を握り返す。
「それなら僕もだな。……ありがとう、傍にいてくれて」
「……はい!」
さわさわと軽く草原が揺れる。その音の中で、二人はそっと唇を重ねた。
イクス王国には五人の姫がいた。
一番目の姫は戦姫。剣を取らせれば並みの男ではかなわない。
二番目の姫は歌姫。その声はセイレーンに勝るとも言われている。
三番目の姫は美姫。王子様に騎士団長、流した浮名は数知れず。
四番目の姫は奏姫。ピアノにヴァイオリン、彼女が奏でるは天上の音楽。
五番目の姫は心姫。優しくて勇敢な心の持ち主は、世界一の魔術師と恋に落ちて、幸せに幸せに暮らしましたとさ。
(了)
以上、物語は終わりです。
一か月という短い間ではありましたが、お付き合いくださいました皆様、本当に本当にありがとうございました!ブクマやアクセスにとても救われています…!
もしよろしければ、評価や感想をいただけると大変嬉しいです!
一旦完結にはいたしますが、また短編や番外編、続編を書きたいなあとも思っています。
出来れば姉たちの恋の話も書きたいです(笑)
それではまた、機会がありましたらお会い出来たら嬉しいです!
本当にありがとうございました!








