第七章 8
「な、なにをするんです!」
「それを使うのを待っていたんだ」
冷たく眇められたムタビリスの目を見て、トラヴィスは慌てて逃げようとした。
だがその上空にはユージーンがおり、トラヴィスの頭上めがけてゆっくりと人差し指を下ろす。
途端にトラヴィスの周りの景色が歪んだように見え、次の瞬間トラヴィスは急に喉を押さえて苦しみ始めた。
(ど、どうなっているの?)
トラヴィスは口や目を大きく開き、はくはくと悶えている。
やがて地面へ倒れ込むと、脱力したように横たわった。
それを見たユージーンが、右手で何かを払うような仕草をすると、トラヴィスを包んでいた空間の歪みがふつと糸を切るように消える。
気づけば上空で争っていた二人はその喧騒を中断しており、メイベルは恐る恐るトラヴィスの方へと歩み寄った。
しゃがみ込んでよく見ると、苦悶の表情を浮かべて気絶しているではないか
「人に必要な要素を抜いた」
ばさり、と大きな羽音がしてユージーンがメイベルの隣に降り立った。
その言葉にメイベルは疑問符を浮かべる。
「必要な要素?」
「人が生きていく中で、常に取り入れなければならない要素というものがある。普段はそこら中にあるから気にならないが、こいつの周りだけ意図的に抜いた。だからそれが欠乏して一時的に気を失ったんだ」
淡々と告げるユージーンの言葉に、メイベルは感心するとともに少しだけ怖くなった。
もしもその要素とやらを戻さなければ、トラヴィスはきっと意識どころか命も奪われていたのだろう。
ユージーンはトラヴィスが生きていることを確認すると、少し離れたところに立つムタビリスへと視線を向けた。
「これでよかったんだろう?」
「……うん。ありがとう」
ムタビリスはそう答えると、軽く首を傾けた。
「あの武器は、一度発動すると少しの間隙が出来る。でも、君に当たるところだった。本当に、ごめん」
「当たらなかったから問題ない」
ちらとユージーンが視線を向けたのに気づき、メイベルは少しだけ嬉しくなる。
だがすぐに「あっ」と声を上げたかと思うと、メイベルはムタビリスに向かって問いかけた。
「あの、あなた私に呪いをかけたって言ってなかったかしら」
だがその問いに、ムタビリスは口元に笑みを浮かべる。
「うん。かけた。でも君にはかかってないよ」
「え?」
「正確には『かけられなかった』。メイベル、きみは――」
「話中悪いが、まだ片付けが残っている」
ムタビリスの言葉を遮るように、ユージーンがメイベルの隣に立った。
確かに先ほどからの爆発は止まったものの、まだ城内にも多くの兵士がいる。
「うん。そうだね」
ムタビリスは頷くと、そっとメイベルの傍に歩み寄った。
思わず距離を取るメイベルに苦笑して申し訳なさそうに呟く。
「メイベル、お願いがあるんだ」
「な、なに……?」
「この仮面を外してほしい」
どういうことだろうとメイベルは眉を寄せていたが、ムタビリスはそんなメイベルを見ながら、「お願い」とにこりと口元を笑みに変えた。
良く分からないけれど、とメイベルは恐々とその手をムタビリスの白い仮面へと伸ばす。
耳の傍の金具に指を添えると、そこがじわりと熱を帯びたのが分かった。
だが火傷をするようなものでもなく、メイベルはそのまま仮面を外す。
仮面の下から現れたのは、白く透き通った肌と、晴れ切った夏空のような青色の目。
縁取る睫毛は銀色で、女性に見まがうほどに長い。
通った鼻筋に薄い唇が、儚い雪の精霊のような雰囲気すら漂わせる。そんなムタビリスの素顔にメイベルは嘆息を漏らした。
(ユージーンやロウとは違うけれど、また綺麗な顔だわ……)
これが仮面魔術師というものか、と感心するのもつかの間、ムタビリスはメイベルと目が合うとにこりと微笑んだ。その顔が思いがけず幼く見えて、メイベルは少しだけどきりとする。
「ありがとう。これでもう大丈夫」
「大丈夫って……」
「おれはこの仮面のせいで、ウィスキに力を縛られていた。でももう自由なんだ」
そう言ってムタビリスは再び羽を広げると上空へと舞い上がった。
上には既にユージーンがおり、戦火を上げる城下を眺めている。
「おまたせ」
「……他の奴に解かせてもいいだろうが」
「ごめんね、でも今いる人間はメイベルだけだったから」
解呪のためには、呪いが付与されている媒体を、呪術者とは別の人間から外してもらう必要がある。
その方法については知っていたが、ユージーンとしてはメイベルが間近でムタビリスの顔を見て、惚れてしまわないか心配なのだろう。
そんなユージーンの心配を知ってか知らずか、ムタビリスは眼を眇めた。








