第七章 5
だが良い方法を思いつくよりも先に、シュトラウスをはじめとした一団はイクス王国の王宮へと向かっていた。当然裏切ったトラヴィスは同行しておらず、どこか別の場所で控えているようだ。
王宮の周囲の警備はいつもより厳重になされており、物々しい雰囲気が漂っている。どうやら式典のため、関係者以外の立ち入りを禁じているようだ。
先頭の兵士がイクス王国の門番に何事かを告げると、彼は大慌てで城内へと駆けだしていった。メイベルがじっと様子を伺っていると、門番はすぐに戻ってきてシュトラウスに対して答えた。
「陛下が是非お礼を述べたいと申しております。ぜひこちらへ」
メイベルにとっては見慣れた廊下を、今までで一番重い足取りで歩く。
どうしよう。父は嘘を信じているのだろうか。
王宮の中でも最も大きな扉。それは国王との謁見や国の催事が行われる部屋だ。
メイベル達を案内してくれた門番が、その仰々しい扉を開く。広く作られた室内は豪奢な装飾が施され、壁沿いにぞろりとイクス王国の貴族たちが並び立っていた。その最奥にはイクス王国の王であり、メイベルの父でもあるリヒトが鎮座している。
そしてその右隣には長女ガートルードと二女クレア、四女のファージーがそれぞれ正装で座っており、反対側には白く繊細なドレスを纏ったキャスリーン。そして――
(ユージーン……!)
キャスリーンの隣には、すらりとした男性が座っていた。
ぼさぼさだった前髪は、今は綺麗に整えられており、その端正な姿は貴族の青年となんら遜色がない。
相変わらずその額から鼻にかけては黒い仮面に覆われていたが、フロックコートの着こなしといい、一人で自分の城に籠っていた頃とは見違えるほどだ。
「久しぶりだな、シュトラウス殿下」
「ご機嫌麗しく、リヒト陛下」
中央に座るリヒトが親しげに声をかける。
それに対し、シュトラウスはこれ見よがしに恭しく礼をした。その様子をメイベルは内心苦々しく見つめている。
「今日は娘のキャスリーンの婚約の日でな。大げさな出迎えになってしまってすまない」
「いえ陛下、祝いの席に同席出来て光栄ですよ」
狙って来たくせに、というメイベルの歯噛みは届かない。それどころかリヒトは嬉しそうな様子で言葉を続けた。
「それで、聞いたところによると我が娘メイベルを、無事見つけ出してくれたと」
「ウィスキで悪事を働いてた窃盗団がおりまして。先日それを取り締まった時、人質として囚われているメイベル様をお助けした次第です」
「なんと……。メイベル、無事でよかった」
心の底から安堵している父の顔を見て、メイベルは今すぐにでも真実を叫びたかった。
だがここで叫んでメイベルが命を落としてしまえば、この場がパニックになるだけだ。
確実にシュトラウスの思惑を妨害できるタイミングを待たないと、とメイベルは強く唇を噛む。
「……」
「シュトラウス殿下、心より感謝申し上げる。貴公には礼をしなければなるまいな」
何か希望のものはないか、と問いかける。
するとシュトラウスはその整った眉毛を下げ、嬉しそうに笑った。
「心遣い、感謝いたします。でしたら、一ついただきたいものがあるのですが」
「ほう、何かね」
「そちらの――キャスリーン嬢をいただきたく、」
シュトラウスの言葉が終わるのを待つ間もなく、彼の後ろに控えていた兵士たちが突然剣を周囲に向けた。一拍遅れて、ご婦人の悲鳴や男性陣のどよめきが走る。
高い位置からそれを見ていたリヒトは、途端に厳めしい顔つきに戻り、シュトラウスに向けて叫んだ。
「シュトラウス殿、一体何を」
「やれ、傷はつけるなよ」
刹那、メイベルの背中が強く押された。思わず床に倒れこむと、彼女の体を飛び越えて兵士たちが壇上へと走り出す。
絹を裂くような悲鳴と共に、姉たちが椅子から立ち上がるのが分かった。
狙いの最たる存在であるキャスリーンも当然逃げようとするが、兵士たちは我先に彼女を捕まえようと手を伸ばす。
だがその時、彼らの足元から竜巻のような風が起こり、兵士たちは驚いた声を上げながら足を止めた。
「――失礼」
見ればユージーンがキャスリーンを背後に庇うように立っていた。
仮面を纏った男の異様な迫力に、戸惑った兵士たちだったが、再度戦意を取り戻しユージーンに切っ先を向ける。
メイベルはその姿を見ながら、姉が無事なことへの安堵と、同時に胸が締め付けられるような感覚に襲われていた。
(ユージーンが、お姉さまを守っている……)
やはり、もう彼の心は離れてしまったのか。
そんなメイベルの胸の内を知る由もなく、キャスリーンを守るユージーンは襲い掛かってくる兵士を見事にかわしていた。
やがてユージーンは腕に風を纏わせて刃のようにし、それを向けられた兵士たちは思わずたじろぐ。騒動を聞きつけたイクス王国の兵士たちも集まり始め、シュトラウスは焦ったのか、声を荒げた。
「ええい、何をしている! 早くしろ、でないと――」
その言葉の最後は、まるで――至近距離で大砲が暴発したかのような轟音によってかき消された。
「何事だ!」
リヒトが近衛兵長に叫ぶ。
たじろぐ兵長をよそに、入り口を守っていた門番が駆け込んできた。
「失礼いたします! 敵襲です、ウィスキが攻めて来ました!」
続けざまにもう一発大きな破裂音が響き、メイベル達のいる部屋が大きく揺れた。
来賓たちは逃げまどい、出入り口付近は人がひしめいている。
「トラヴィスの奴、予定より早いじゃないか!」
くそ、とシュトラウスは悪態をついて壇上を見た。
混乱の最中、相変わらずキャスリーンはユージーンによって守られ、兵士たちも手出しが出来ないようだ。
気づけばイクス王国の兵士たちに押され始めており、このままではまずいと思ったのか、シュトラウスは座り込んでいたメイベルの腕を掴んだ。喉元に剣先を突き付けられる。
「――っ!」
「作戦変更だ。お前にはもう一度人質になってもらう」
メイベルは必死にその手を払おうとするが、体格差もあるためか敵わない。そのまま足をもつれさせながら、部屋から引きずり出された。