第七章 3
その後も一日が過ぎ、二日が過ぎ、気づけば一週間が経過していた。
体力を温存するよう動いていたためか、思ったほど体に不具合はない。
だが閉塞された空間や陽の差さない環境に、精神の方が先に悲鳴を上げそうだった。
「ムタビリス、大丈夫?」
「……うん、大丈夫」
そんな中、隣の牢に入っているムタビリスとの会話は、わずかながらでもメイベルの癒しとなっていた。最初は返事をしてくれなかった彼だったが、最近では少しずつだがメイベルの質問にも答えてくれるようになった。
「ムタビリス、あなたはいつからここにいるの?」
「昔、から」
「昔?」
その言葉にメイベルは少しだけ考える。メイベルは公に出来ない人質として、監禁されているのは分かる。だがその隣に拘束されているムタビリスは、どうして捕らえられているのだろうか。
(悪いことをした、とかなら普通の牢があるでしょうし……何よりそんなに悪い人には感じられないけれど)
数日話をしただけではあるが、ムタビリスの答えは実にシンプルで、声の低さを除けば子どものような素直さすらある。
「ムタビリス、その、――答えたくなかったらいいのだけれど、あなたはどうしてここに捕まっているのかしら」
しばしの沈黙が落ちる。
辛抱強くメイベルが待っていると、やがてたどたどしく言葉が返ってきた。
「大切なものが、あって」
「大切なもの?」
「うん。それを取り戻したくて、ここにいる」
メイベルはその言葉にふうむと首を傾げた。
取り戻したい、ということは元々ムタビリスのものだったのが、奪われたということだろうか。
であればこの牢に入れられている状況から言っても、奪った相手はウィスキの王族という可能性が高そうだ。
(一体、何を取り戻したいのかしら……)
何か協力できることがあるかもしれない、とメイベルが励ますように声をかける。
「ムタビリス、それは何かしら。もしも聞いていいのなら、私も協力を……」
「――囚われ同士、脱獄の相談ですか?」
突然割って入った声に、メイベルは身を固くした。
聞き覚えのあるそれはトラヴィスのものだ。
「……何をしに来たの」
「お言葉ですね。いい知らせを持ってきてあげたというのに」
鉄格子の向こうに立ち、メイベルを見下ろしてくるトラヴィスを、こちらも負けずににらみ返す。トラヴィスは楽しそうに口元を歪めると、メイベルに向けて告げた。
「イクス王国が声明を発表したそうです」
「な、なんて」
「三姫キャスリーン・ラトラ・イクスと、魔術師ユージーン・ラヴァとの婚約です」
再びにやりと笑ったトラヴィスに対し、メイベルは言い返す言葉を失っていた。
(どういうこと? お姉さまとユージーンが、婚約……?)
「まさか国一番の美姫を差し出すとは……イクス王国もなりふり構わなくなってきたようですね」
ふん、とトラヴィスが息を吐く。すると彼を探しに来たらしいシュトラウスが、鼻息荒く叫んだ。
「トラヴィス! こんなところにいたのか」
「これは殿下。いかがされました」
「どうしたもこうしたもないだろう! お前がのろのろしてるからキャシーが大変なことになってるじゃないか!」
「ああ、魔術師様と結婚なさるとか」
「魔術師なんかにキャシーを渡せるわけがないだろう! いいから早く何とかする策を考えろ!」
そのままトラヴィスは、シュトラウスに引きずられるように連れて行かれてしまった。それを見送ったメイベルは、改めてイクス王国が出した声明について考える。
(やっぱり、キャスリーンお姉さまだから、結婚するの……?)
確かに姉はメイベルとは比べるべくもない美人だ。
だが彼の性格を考えても、顔だけで判断する人のように思えなかったのに。
(やっぱり、私じゃ……)
メイベルの目の前が暗くなる。そんな時、隣の牢からムタビリスの声がした。
「メイベル?」
「……なに」
「メイベルはユージーンを、知っているの?」
その問いにメイベルは一瞬迷ったが、すぐに口を開いた。
「知ってるわ。……多分、好きだった人」
「好きな、ひと?」
「振られちゃったけどね。でも全部、私のせいだから……」
嘘をついて近づかなければ、彼はメイベルとして私を好きになってくれたのだろうか。
今となっては意味のない仮定の話だ。言葉尻が消えていったメイベルを心配したのか、ムタビリスが再度言葉を紡ぐ。
「メイベルは、魔術師でも好きなの?」
「どういうこと?」
「魔術師は、怖がられる。普通の人にはない力があるし、それが人を傷つける。……危険な存在なのに」
思わずメイベルは悲しげに眉を寄せた。
確かに、メイベルもユージーンと直に接するまでは、魔術師がどういう存在なのかよくわかっていなかったことを思い出す。
「……そんなことないわ。ユージーンは確かにひきこもりではあったけど、危険なことはしなかったし、そもそもほとんど魔法を使わなかったわ」
「魔法を使わない?」
「そうよ。だからいつも髪はぼさぼさで、ご飯は食べ忘れて倒れるし……なんて、こんな話しても仕方ないわよね」
「……」
メイベルの苦笑いを察したのか、ムタビリスはそれ以上話しかけてこなかった。
再び沈黙が支配するようになった牢の中で、メイベルは一人ベッドに体を横たえた。
涙は、不思議と流れなかった。