第六章 5
「私はね、いつかお母さまみたいな恋をするのが夢なの」
「お母さま?」
その単語に、メイベルはきょとんと眼をしばたたかせた。
メイベルたちの母親は、メイベルを生んでから数年たってから病によって亡くなったと聞いていた。幼いメイベルは母の記憶がほとんどないが、キャスリーンたちは母親から色々な話をしてもらったのだと聞いたことがある。
「そう。お母さまは昔、あの『仮面魔術師』と恋をしていたんですって」
メイベルは思わず飲んでいた紅茶を吹き出すかと思った。メイベルとユージーンの結婚についてはまだ姉たちには伝えられておらず、メイベルは仮面魔術師という単語を恐る恐る繰り返す。
「仮面、魔術師と、ですか?」
「そう。お父様と結婚する前のことらしいけれど」
聞けば母は身分の高い貴族の出身で、現国王である父との結婚もなかば既定路線のようなものだったらしい。本人もそれに疑問を持つことはなかったが、ある日一人の仮面魔術師と出会い、恋に落ちたのだという。
「でもお母さまは未来の王妃。かたや魔術師という身分。そんなある日、仮面魔術師は突然姿を消したんですって」
――君の未来に、幸せが訪れますように。
仮面魔術師はそう書いた手紙だけを残し、母親のもとを去った。
母はしばらく嘆き悲しんでいたが、そんな彼女を当時王太子だった父が支えたのだという。相手が他の男と恋仲であったことを諫めもせず、ただひたすらに母へと愛を捧げ続けた。そんな誠実な父の姿に惹かれ、二人は予定通り結婚した。
「もちろんお父様のような誠実な恋も素敵だわ。でも自ら身を引いた魔術師も、きっと同じくらいお母さまのことを思っていたと私は思うの」
キャスリーンはそう言うと、再度嬉しそうに笑った。
今まで母の話をあまり聞いたことのないメイベルは、どこか遠い存在のように感じていた。だがその話を聞いていると、不思議とくすぐったい思いがする。
「ふふ、だからメイベルの恋も私は応援するわ」
キャスリーンがカップを手に取ると、小さく「あら」と声を上げた。どうやら紅茶が無くなってしまったらしい。メイベルがおかわりを、と立ち上がろうとすると、キャスリーンが優しく制する。
「いいわ。たまには私が行くから」
ゆっくり考えてなさい、と居城に戻っていくキャスリーンを見送って、メイベルは改めて大きなため息を吐いた。
(お母さまも、仮面魔術師と……)
メイベルが知る魔術師はユージーンと、この前来たロウという男性だけだ。あと何人かいると聞いたことがあるが、誰が母と恋に落ちたのだろう。
(……ユージーンが相手ってことはないわよね?)
ふとメイベルの心に陰りがよぎる。確か仮面魔術師は、その魔力のために長命なのだと聞いたことがある。それが本当だとすれば、ユージーンと母が恋に落ちたという可能性もなくはない。
何故か心がずきりと痛んだ。
流石にそんな相手であれば、ユージーンだって言うだろうし気づくだろう。大丈夫なはず、と言い聞かせながらメイベルは自分の内心が落ち着かないことをもどかしく思った。
その時木々の揺れるがさりとした音が聞こえた。キャスリーンが戻って来たのだろうとメイベルはそちらを振り向く。
だがそこにいたのは三姫ではなく、黒い覆面を被った人間の姿。体格からみても男性で、手前に一人、奥にもう一人いる。
「あなたたち、誰――」
メイベルが立ち上がり叫ぼうとする間に、男たちは素早くメイベルに向かって駆け寄った。一人の男が大きな麻袋を取り出すと、メイベルの頭上に広げる。
(――なに、これ!)
視界は閉ざされ、メイベルは狼狽する。更にその胴体に強く締め付ける縄のような感触があった。縄は固く巻かれており、メイベルは腕の自由を失う。
そうこうしているうちにぐらりと体が傾いだかと思うと、メイベルの体は横向きに抱えられた。
(やだ、なに、助けて)
足と肩を掴まれたまま、男たちはメイベルをどこかへ運んでいく。それはあまりに一瞬のことであった。