第六章 4
城に連れ戻されたメイベルは、その後何度も脱出を試みた。
だが王宮すべての使用人と兵士に伝令が出されているらしく、少しでも外に出ようとすれば止められ、買い物に行きたいと言えばすぐにメイドが調達してくる。外交の場に出ることも禁止され、完全に軟禁状態に陥っていた。
部屋には常にメイドが待機し、外は兵士が見回っている。
(どうしよう、早く戻りたいのに)
突然のことで、ユージーンに何も言えずに来てしまった。あんな告白を受けて、考えたいといった直後にだ。
(告白が嫌で逃げたとか思われてないかしら。あああ、早く何とかしないと)
しばらく自室の中をうろうろと歩き回っていたメイベルだったが、何かを思いついたのか机に向かうと便箋を広げた。筆記具の背についた風切り羽が、ゆらゆらと揺れる。
「失礼します、メイベル様」
トントン、と控えめなノック音が響いたと思うと、すぐにウィミィが扉を開けて入って来た。その表情は暗く、今もうつむきがちだ。今にも泣きそうな声を絞り出す。
「あの、本当にすみませんでした。私、どうしても誤魔化しきれなくて」
「ウィミィ、無事だったのね。良かった……!」
メイベルはすぐに椅子から立ち上がってウィミィの傍に駆け寄った。
城に戻されてからずっとウィミィの姿を見ておらず、聞けばしばらく会わせることは出来ないと言われていた。おそらくメイベルを庇っていたせいで、トラヴィスあたりから厳しく指導されていたのだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「いいの。私の方こそ、嫌な役を頼んでごめんなさい」
ここまで大ごとになると思っておらず、メイベルは自らが軽率なことをしてしまったと改めて思い知らされた。ウィミィはメイベルのそんな言葉に、更に目からぶわりと涙をあふれさせている。
「メイベル様こそ、無事でよかった……」
しゃくりあげるウィミィは、ようやく訥々と言葉を続けた。
すぐに戻ると思ったら随分と時間が経ってしまったこと。もしかしたら魔術師に捕まって、逃げられなくなったのではと不安になったこと。仕方なくゾエに相談したところをトラヴィスに聞かれてしまったことなどを一気に吐き出す。
「わたし、私、心配で……」
ウィミィの背中をよしよしと撫でながら、メイベルは息を吐いた。
彼女が不安になるのも無理はない。メイベルだって、実際にユージーンのことを知るまでは、胡散臭い魔術師としか思っていなかったのだから。
ようやくウィミィが落ち着いてきたのを見計らって、メイベルはおずおずと口を開いた。
「ウィミィ、早速で悪いのだけどお願いがあるの」
「はい! 私で出来ることでしたら何なりと!」
目を赤く腫らしたウィミィが、真剣な目でメイベルを見上げた。そんなウィミィを見て、メイベルは机の上に広げていた便箋をまとめる。
「手紙を出してほしいの」
「どなたにでしょう?」
「ユージーン様に。ルクセン商会にセロという人がいるから、彼に預けてもらえば良いわ」
その言葉に、ウィミィの顔色はさっと引いた。
「な、なんで、ですか」
「……どうしても伝えないといけないことがあるの」
メイベルの必死な様子に、ウィミィはそれ以上何も言わず、無言で頷いた。
城の出入りを制限されてから二週間が過ぎた。
さすがのメイベルも抜け出すことを諦め、日々大人しく過ごしている。今日は珍しく薔薇園の中にある東屋に来ていた。三女のキャスリーンに誘われて、お茶と恋愛相談の相手をするためだ。
「それでね、ゲオルグ様ったら――」
キャスリーンが嬉しそうに、最近お気に入りの騎士団長について話をしているのを聞きながら、メイベルは心の片隅で違うことを考えていた。
(手紙の返事……来ないわ)
ウィミィに手紙を頼んでから随分と経った。だがユージーンからの返事はない。
(やっぱり怒っているのね……)
手紙には急にいなくなったことへの謝罪に始まり、ウィミィというのは偽名で、メイベル本人だったこと、騙すような真似をして申し訳なかったということを綴っていた。告白についての返事を書こうか迷ったが、直接言うべきことな気がして書けなかった。
無意識にはあ、とメイベルはため息をつく。それに気づいたのかキャスリーンは話すのをやめてメイベルの方を見た。
「メイベル? 大丈夫?」
「え、あ、はい! ごめんなさい、ちょっと考え事を……」
えへへとごまかすように笑う。だがそんなメイベルをキャスリーンはしばらくじっと見つめていた。エメラルドのような美しい翠眼に咲き初めの薔薇のような唇。傾国の美姫と名高い三番目の姉の視線に、メイベルは何故か心臓がざわめいた。
そんなメイベルをよそに、キャスリーンはにっこりと口元に笑みを浮かべて言った。
「メイベル、あなた――恋をしているの?」
「え?」
突然のことにメイベルは目を丸くする。
「違っていたらごめんなさいね。でも、まるで誰かのことを思っているみたいで」
恋、と言われて一瞬何のことかわからなかった。
確かにユージーンのことを考えてはいたが、それは恋とかそういうものではなく、単純に彼に嫌われていないかが気になっているだけであって。
(……ん? それって、……恋なの?)
脳内で思考がぎゅんぎゅんと回る。だがどれだけ考えても答えが見当たらない。一方でキャスリーンはそんな妹の様子が面白かったのか、嬉しそうに頬を染めてほほ笑んだ。
「嬉しいわ。メイベルはそういうこと、あまり興味がないのだと思っていたから」
「そ、そういうこと、ですか?」
「そう。誰かのことを考えたり、好きになってほしいと思ったり。メイベルは優しいけれど、いつも自分のことは二の次にする癖があるから」
そう指摘されて、メイベルは改めて自分の心に問い直した。
ユージーンのことが気になるのは、自分が嘘をついていたという負い目からだと思っていた。でも本当に、それだけが理由だったのだろうか。
(私、どうしてすぐに言えなかったのかしら)
すぐに正体を明かして帰る機会はいくらでもあった。でもメイベルはそれをしなかった。
それはあの館での生活が楽しかったから。段々と打ち解けてくれるユージーンのことを、もっと知りたくなったから。
だから本当のことを話して、ユージーンから嫌われるのが怖かった。
「……お姉さま、好きになってほしい、じゃないんですけど。嫌われたくないっていうのも、その……恋、なんですか?」
メイベルのたどたどしい問いかけに、キャスリーンは少しだけ目を丸くした。だがすぐに嬉しそうに微笑むと、うつむくメイベルの頭に手を伸ばす。
「そうね、きっとそれも恋の一つの形。素敵なことだと思うわ」
優しく髪をなでられ、メイベルはようやく永い眠りから覚めたかのように目を見開いた。
普段は髪がどうだとか、化粧品が欲しいだとか、自由気ままに生きている印象の姉だが、こうしたことに関しては非常に心強かった。メイベルはキャスリーンを見つめて、再度問いかける。
「お姉さまも、恋をしているの?」
「ええ。私はいつでも恋をしているわ」
ふふ、と笑う姿は、同性のメイベルが見ても頬を赤らめたくなるほど可憐なものだった。キャスリーンはその艶々とした唇に笑みを浮かべ、恥ずかしそうに紅茶のカップを手に取った。