第四章 3
そして翌日。メイベルは鬱蒼とした森の前にいた。
いつものワンピース姿から、ここに来た時の完全武装に着替えている。
一歩足を踏み入れると、相変わらず湿気を含んだ土に靴底が飲まれた。う、と口の端をゆがめたが、メイベルは力強くもう一方の足を出しては進んでいく。地図を片手に持ちながらずんずんと歩いていくと、あっという間に張り出した木々によって陽の光が遮られていく。
(相変わらず不気味な森だわ……)
よく考えたらこんな森をセロは一日おき位に往復している訳で、そのことにメイベルは改めて感心した。慣れていると言っても絶対に楽な道ではない。
持ってきた水筒から少し水を飲む。休憩を挟みながら、セロが教えてくれた辺りまで進んでいくと、木々の向こうに明るく照らされている場所が見えた。
「ここが崖、かしら」
どうやら森を抜けたらしい。
眩しいくらいの陽光が降り注ぎ、平地が広がっていた。
だがあまり広くはなく、すぐに隆起した部分にたどり着く。その先は深い谷になっているようで、直線的な崖がそのむき出しの斜面を晒していた。
(うう、高い……)
すぐに崖には背を向け、森の方へと戻る。周囲を見まわすと、大きな岩の根元に背丈の低い木々が並んでいるのを見つけた。
メイベルが近寄ってその場にしゃがみこむと、そこには沢山の赤い小さな実が揺れている。
「あった!」
笑みをこぼしながら、メイベルはその一つを摘み取った。軽く拭いて口に入れる。
酸味と甘味が絶妙なその味に、幸せそうに眼をつむった。よく熟れているものを選んで一つ、二つと摘んでいく。
(……ん?)
あまり取りすぎてもいけないと、厳選しながら十個ほど麻袋に入れた時だった。
何か空気が震えるような音がした気がして、ふと顔を上げる。メイベルの目に入ったのは先ほど抜けてきた森と、その木々の合間からこちらを見ている金色の両眼だった。
「え、」
暗がりからこちらへ近づいてくるそれは、すぐに獣の姿を現した。
犬よりは随分と大きい。狼か、と息を飲む。
よく見ると一匹ではなく、二匹、三匹と続けて姿を見せた。狼たちはゆっくりとメイベルに近づいてきており、危険を感じて立ち上がった。
(どうしよう、まさか狼がいるなんて)
狼たちはなおも足を緩めない。メイベルは背中を向けないよう後ずさりするが、それすら構うことなく三匹は迫ってくる。
いつしか崖の上に上り詰めてしまい、これ以上後ろに行くことが出来ない位置にまで来てしまった。狼たちはメイベルと一定の距離を保ったまま、歯をむき出して威嚇する。
(に、逃げ場が、)
仕方なく足元にあった石を投げてみるが、全く怯える様子もない。どうしよう、と振り返るが、谷底から吹き上げる風がメイベルの額に当たるだけで、恐怖が増しただけだった。
そうしているうちに、狼たちは距離を詰めてくる。ぐるる、と並びの良い牙を露わにした一匹が、前足をかがめた。これは、まずい。
「――っ!」
瞬発的に狼の後ろ脚が跳ね、メイベルに向かって飛び掛かってくる。その勢いにメイベルは思わず一歩後ずさった。同時に足元が崩れ、メイベルの体がふわりと宙に浮く。
(おち――)
急激に体に重力がかかる。
谷底に引っ張られていくのを感じ、メイベルは強く歯を噛み締める。だが、がくんという大きな反動に巻かれ、首と足が上下に揺れた。
脳を揺さぶるそれにぐえと変な声を上げたメイベルだったが、肩と膝裏を支えられている感触にすぐに気づいた。
そして間近に見える黒い仮面。
「ユージーン様⁉」
気づけばユージーンがメイベルの体を抱きとめていた。でも今崖から落ちたはず、とメイベルが下を見ると、そこには終わりの見えない谷底が広がっている。
「え?」
「動くと落ちるぞ」
へ、と情けない声を上げたメイベルは、ようやく自分とユージーンが空に浮いていることに気づいた。どうして、という疑問はユージーンの背中越しに見えるそれが解消してくれる。
それは、白く大きな翼。
まるで巨大な鳥が羽ばたくかのように、彼の背中から長い両翼が伸びていたのだ。