第三章 3
二日目。
メイベルは朝一番にユージーンの部屋へと向かった。
「うーん、もったいない……」
案の定、扉の前に手付かずのトマト煮が残っていた。
しょんぼりとしながらお盆を持ち、厨房へと向かう。多少ショックではあるが、やることは今日も沢山あるのだ。めげている時間はない。
(多分もう一度煮れば大丈夫だし)
姫にあるまじき思考回路と言われそうになりながら、メイベルは今日の掃除計画を組み立てていた。
今日のメインは厨房だ。昨日は時間がなく、必要最低限の場所しか出来なかったため、一日で片付けてしまいたい。メイベルは再び口元を布で覆うと、濡れた雑巾とバケツを手に厨房に乗り込んでいった。
「――ふう、意外と色々そろっていたのね」
気が付けば夕方になっており、メイベルはようやく掃除の手を止めた。
白い埃と黴臭さに埋め尽くされていた厨房は、見事に従来の姿を取り戻していた。棚に置かれたままになっていた食器や調理器具はすべて洗われ、種類ごとに整頓されている。
どこからか発掘した調味料もずらりと並んでおり、これだけあればしばらく料理には困らないだろう。
すっかり汚れてしまった雑巾と箒を手に厨房を出る。すると玄関の付近で何かが動く気配がした。ユージーンだろうか、と思いそちらに向かってみる。
(だ、誰……!)
だがそこにいたのはユージーンではなく、背中に大きな荷物を背負った青年だった。
彼は慣れた様子で城内に入ると、階段下にしゃがみこんで、なにやらごそごそと動いている。
これはもしや俗にいう泥棒では。
メイベルは一瞬呼吸を忘れた。
だがすぐに静かに息を吐くと、手にぎゅっと力を込める。
(ユージーンは多分今日も二階だわ……階段を通らずには呼びに行けない)
幸い相手はメイベルに対して背中を向けている。
ならば、とメイベルは息を詰めながらそっと青年の背後に歩み寄った。手にしていた箒を両手で握りしめ、相手に向けて構える。以前習ったガートルードの護身術授業を思い出しながら、メイベルは叫んだ。
「ええーい!」
大きく声を上げながら、手にしていた箒を振り下ろす。途端に青年は飛び上がり、振り向いたかと思うと体を横に転がした。箒は石の床をしたたかに打ち、メイベルはしまったと顔を青くする。
「え、ちょ、なに」
「で、出て行って!」
「いやだから、」
慌てて箒を持ち上げると、再び青年に向けて振りかざす。だが青年はそんなメイベルを見て、必死に自身の体の前で手のひらを振っていた。その姿にメイベルはあれ、と力を緩める。
彼の足元に転がっていたのは見覚えのある缶詰。その脇には草の根っこのようなものもある。
「缶詰……?」
「あーびっくりした……危ないじゃないすか」
青年はようやく息を吐くと、服についた埃を払いながら立ち上がった。茶色の髪に茶色の目をした彼は、改めてメイベルを見て問いかける。
「驚いた。まさか人がいるとはねえ」
「人って……ここってユージーンの城でしょう」
「旦那は出てきたことありませんから」
はは、と笑う顔は穏やかだ。派手ではないが幅広の目や、すっと通った鼻は良い配置をしており、下町で人気のある青年といった印象をメイベルは抱いた。
「あの、あなたは?」
「ああ、俺はルクセン商会のセロ。週に一度ここに荷物を運んでる」
「そうだったのね! ごめんなさい、突然殴りかかったりして」
「ほんとですよ。で、おたくは?」
メイベルは一瞬思考を巡らせた。
ここでメイベルの名前を出せば、そこから情報が漏れ、連れ戻される危険がある。なんとかごまかさねば。
「ええと、昨日からここのメイドをしています。ウィミィといいます」
「へえ、ここで働くの」
セロは本気で驚いているらしく、茶色の目を見開いて丸くしていた。だがすぐに笑顔になると、持っていた缶詰をメイベルに手渡した。
「それじゃ、お得意さんだな。これからよろしく」
缶詰を見つめて、メイベルはようやく笑った。どうやら泥棒ではなく、食料を運んでくれる商会の人らしい。なるほど、どおりで全く出歩かないユージーンの城に、これだけたくさんの調味料や食材があるわけだ。
「こちらこそ。ところでセロ、運んでいるのは缶詰だけなの?」
「基本的にはそうだな。あと旦那から特別に依頼があれば、薬草とかも入れるけど」
「依頼?」
「この辺に手紙が置いてんだよ。そこに書かれたものを、次の時に持ってきてるってわけ」
ふーん、とその仕組みに感心していたメイベルだったが、何かを思いついたのかセロに向かって口を開いた。
「あの、私からの依頼は出来るかしら」
「お嬢ちゃんから?」
「お金も少しならあるので……」
「ああ、旦那のために使う分ならいらないよ」
聞けば、ユージーンのために運ばれてくる物資は、国がその費用を負担しているのだという。
そのためメイベル個人で使うようなものでなければ、その費用から出せるだろうということだった。
そういえば魔術師の取り扱いとして、各国手厚く保護すべし、のような文言を聞いたことがある気がする。ユージーンは辺境とはいえイクス王国に住んでいるので、国がそれを負担しているということだろう。
「よかった。じゃあ、小麦粉と野菜を少しお願いしたいのだけど」
はいはい、とセロは慣れた様子で紙に書きつけていた。