03
「おかえりなさいませ、ライラさま」
「ブラオンさん」
一度もうしろを振り返ったりはせず、ライラは一直線に部屋に戻った。すると待機していたマーシャが静かに声をかける。
「マーシャでかまいませんよ。なにか召し上がりますか?」
気づけば昼時が過ぎている。しかしライラは首を横に振った。部屋の中に足を踏み入れ、そっとテーブルにつく。
それを見て、マーシャはカチャカチャと音を立てながらお茶の準備を始めた。
「旦那さまに一通り城の中を案内していただけました?」
なにげない問いかけにライラは目をぱちくりとさせた。マーシャを見れば手を止めた彼女もライラの方を向き、視線が交わる。
「結婚宣誓書は無事に受理されましたよ。ご結婚、おめでとうございます」
「ですが私たちは……」
「事情も通じております。それでも結婚とはおめでたいものでしょう?」
マーシャの言葉にライラは続けようとした反論を封じ込めた。握りこぶしを作り、両膝の上に置く。
「そう、かもしれません。ですがバルシュハイト元帥にとっては、この結婚は陛下から命令されたからであって、私のことは迷惑でしかないんだと思います」
「そうですね。スヴェンさまは、なによりも陛下の命令を優先しますから」
マーシャははっきりと言い切った。ライラの前に用意されたカップに透明さのある茶色の液体が湯気を伴って注がれる。
柑橘系の香りが鼻孔をくすぐった。手を動かしながらマーシャは続ける。
「スヴェンさまは、ルディガーさまと違ってあまり感情を表には出しませんから誤解を受けやすいんです。昔はそうでもなかったのですが……」
マーシャはどこか寂しそうに遠くを見つめた。幼い頃から彼を知ってる身としては、色々やるせない思いもあるのかもしれない。
「陛下が王位に就き、アードラーに就任してからは国のため、陛下のために日々粉骨砕身しています。それこそ、こちらが心配になるほどに」
そこでマーシャは一度話を切る。ライラはカップから再びマーシャに目を向けた。
「とはいえ、あの人も人間です。冷たいように見えても、それだけではありません。せっかくご結婚なさったんです。どうかスヴェンさまを悪く思わないでくださいね」
ライラはなにも答えずに、カップに静かに手を伸ばす。
正直、スヴェンのことは苦手だ。彼も自分にいい感情を抱いていないのがありありと伝わってくる。
しかし嫌いというわけではない。嫌いや好き、悪く思う以前にライラはスヴェンのことをなにも知らない。
口に含んだ紅茶は飲みやすく美味しかった。けれど後味はどこか苦くもあった。