02
「バルシュハイト元帥に副官はいらっしゃらないのですか?」
「いないし、俺には必要ない」
質問に答え、そこでスヴェンがライラに向き直る。
「俺の部屋は隣だ。その奥が自室になる」
スヴェンの言葉を追ってライラは目を動かす。アルノー夜警団の団員は三百人近くほどいるが、この城で、ましてや王のそばで生活する者は限られた一部の人間だけだ。
結局、スヴェンの部屋は見せてはもらえず城の中の案内は再開された。
受け身に説明を聞く一方だったライラだが、城の入り口近くに来て、思い切って自分からスヴェンに声をかける。ずっと気になっていたものがあった。
「あの、外を、中庭を見に行ってもいいですか?」
勇気を出して放った言葉に、スヴェンは表情をまったく変えず了承も却下の意も唱えない。代わりに一度ライラから視線を逸らして、外に歩みを進める。
その後をライラは子どものようについていった。
ファーガンの屋敷にいたときもずっと部屋の中だけで生活してきた。だからライラはできれば広い外を見て、澄んだ空気に触れたいと願ってしまう。
今日は雲に太陽が隠れているせいか、日中でもあまり気温は高くなく薄暗い。中庭は建物に囲まれているおかげで余計にだ。
けれどライラの心は嬉しさで弾んでいた。
中庭には様々な植物が植えられ、季節的に彩は寂しいが緑が生い茂っている。井戸や小さな池など貯水設備もあり、ライラは物珍しそうに顔を動かしてそれらを見つめた。
そして庭の一角に設置されたガゼボのような屋根があるところに注意がいく。あきらかに観賞用ではなく密集して植物が植えられているのを見つけた。
今までずっとスヴェンのうしろが定位置だったライラだったが、ここに来て彼の前に立ち、興味深そうにそこへ近づいていった。
「ここ、なんですか?」
「薬草園だ。今は管理する者がいないから、荒れている」
スヴェンの言葉を肯定するべく本来入り口部分となる箇所には、なにかの葉っぱが塞ぐように覆っていて長らく人の手が加わっていないのを物語っている。
「中に入ったりは、できないんでしょうか?」
躊躇いがちにライラが尋ねるとスヴェンは煩わしそうな顔で入り口を覆う葉に手を伸ばした。払うように乱暴に端に寄せてスペースを空ける。
古くなった木の枝がちぎれる音と共に入り口がこじんまりと中を覗かせた。
「あ、ありがとうございます」
そこまでするスヴェンの行動がライラにとっては正直、意外だった。素直にお礼を告げると、忍び込むようにして薬草園に足を踏み入れる。
「すごい。立派……」
持ち前の生命力で繁茂しているものもあるが、中は思ったよりも荒れていなかった。
「クリーア。ハイレンの実もある!」
ライラは見知っている植物の名を呼び、近くまで行くと嬉しそうに顔を綻ばせた。ふとスヴェンの方に視線を投げかけると、ライラの血の気がさっと引く。
「手、大丈夫ですか? もしかしてさっきの葉で?」
慌てふためき足早にスヴェンの元に歩み寄る。スヴェンの手の甲は細かい切り傷ができて、血が滲んでいた。
スヴェンも指摘されて気づいたのか、なにげなく自分の手を浮かして確認する。その手にライラが触れた。
「エアケルトュングの葉でしょうか? あれは小さくて鋭い刺があるから」
「触るな」
即座に拒絶するようにライラの手を振り払い、スヴェンは冷たく言い放った。目を丸くさせたライラにスヴェンは低く、苛立ちを含めた声で続ける。
「俺への気遣いはいらない。余計な真似をするな。お前はただ、こちらの指示に従いおとなしく言うことを聞いていればいいんだ」
これでまた彼女はおとなしくなるだろう。スヴェン自身、自分の態度が威圧的で冷たいものだと自覚もある。
けれど、これでいい。優しくするつもりも、へたに関わるつもりもない。だから恐れられて嫌われるくらいがちょうどいい。
しばしふたりの間に沈黙が走る。ややあってライラが小さく呟いた。
「……いやです」
予想外の言葉にスヴェンは驚きと共に眉を寄せる。
「なんだって?」
ライラがまっすぐにスヴェンを見つめる。髪に隠された合間からかすかに覗く金色の瞳、そして深い緑を湛えた目は共に揺れることがない。
「私は物ではありません! それに陛下からの命令とはいえ、私たちは書類上だけとはいえ結婚したんですよね? だったらあなたの心配をするのは当然ですし、それくらいの権利が私にあってもいいじゃないですか!」
今まで堪えていた感情を爆発させてライラは強く告げた。その瞳に迷いはなく、まるで初めて対峙したときのようだった。
虚を衝かれたのも事実で、スヴェンは言葉を失う。異なる色の瞳が自分をじっと捕えていた。
しかし、すぐに我に返ったライラは一度ぎゅっと唇を結び直し、伏し目がちになる。
「……自分の立場も弁えずに申し訳ありません。私のワガママで怪我をさせてしまい、すみませんでした。部屋に戻ります……けっして外には出ませんから」
一方的に告げライラは先に薬草園から出ると、さっさとスヴェンとの距離を広げていく。後を追うか迷い、ライラが城の中に入ったのを見届けてから、スヴェンはその場で大きく息を吐いた。
『俺たちは物なんかじゃない!』
先ほどのライラの台詞で沈んでいた記憶が呼び戻される。スヴェンは無造作に前髪を掻き上げた。そして傷ついた自分の手を見つめる。
これくらいたいした怪我じゃない。痛みもほぼない。それなのに珍しく動揺にも似た感情が自分の中を駆け巡っていた。