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05

「あの、バルシュハイト元帥」


 ライラはぎこちなく自分の前を歩く男に声をかける。時間が遅いこともあり、声は小さかったものの静まり返った城の廊下にはよく響いた。


 目の前の男は足を止める。


「私のせいでご迷惑をおかけしてすみません。ですが本当に私と結婚を……?」


 びくびくしながらライラは尋ねた。元々大人の男性にはあまり慣れておらず、さらに愛想もなく威圧感だけは人一倍のスヴェンは、ライラにとって気後れしてしまう存在だった。


「国王陛下の命令だ」


 拍車をかけるようにスヴェンは端的に冷たく返す。再び前を向いた彼の後をライラは無言でついていった。


 案内された部屋はかなり立派なものだった。蝋燭の明かりに灯された室内は小さな天蓋つきのベッド、装飾が重厚な机と椅子。


 ファーガンの家で宛がわれた部屋よりも広く、豪華さも比較にならない。至る所に王家の紋章である双頭の鷲の銀細工が施され、異様な存在感を放っていた。


 そして、まじまじと室内を見つめ呆けているライラに声がかかる。


「字は書けるのか?」


「は、はい」


 突然のスヴェンの問いかけに慌てて答える。彼はライラの方を見ようとはしなかった。


 そこでライラの視線が窓の外へなにげなく向く。ファーガンの家で見たときよりも離れてしまったが、丸い月が遠くの夜空に浮かんでいた。


「今宵は月が綺麗ですね」


 なにげなく話題を振った。月はライラにとっての癒しであり特別な存在だったからだ。


「俺にとっては満月は忌むべき存在だ。好きじゃない」


 ところが、返ってきたのはあまりにもばっさりと切り捨てるような言い草で、ライラの顔が強張る。


「朝、お前の世話をする人間が部屋を訪れる。それまでは部屋からけっして出るな。なにかあればドア越しに声をかけろ。警護の者が対応する」


「……はい」


 用件だけを伝え、部屋を出るスヴェンをライラは静かに見送った。ひとりになりライラは窓際にそっと歩み寄る。気を使わなくても、足音は上質な絨毯にかき消された。


 私、これからどうなるんだろう。


 顔にかかっている髪を手で寄せ、金色の瞳にも月を映す。月を見る度にライラはかすかに記憶の中に残る幼い日の自分、そして伯母のことを思い出す。


『伯母さん、私の目の色変だってみんなが言うの』


 この瞳の色でからかわれるのは何度目か。子どもたちは直接的な言葉で、大人たちは間接的な態度でライラの瞳について畏怖や好奇の目を向けてきた。


 自分が他の人間と違うのは理解できる。でも、自分ではどうにもできない。その葛藤が幼い心に重くのしかかる。


 そんなライラに伯母はいつも申し訳なさそうな顔をしながらも優しく諭すのだった。


『ライラ、あなたの瞳の色はとても大事な印なの』


『しるし?』


 ライラと目を合わせるため腰を屈め、伯母は微笑んだ。ライラと同じ栗色の髪、しかしライラとは違い伯母の髪はふわふわでその髪に触れるのがライラは好きだった。


『そう。伯母さんもそうだったから、あなたの気持ちは痛いほどわかるわ。でもずっとじゃない』


『ずっとじゃない? いつになったら治るの?』


 伯母の言葉に声を弾ませ、希望の炎が心に灯る。しかし叔母は曖昧な表情になった。


『そうね……あなたがもっと大きくなって素敵な人に出会って恋をする頃かしら?』


『こい?』


 聞き返すライラに伯母は困ったように笑う。そしてライラの額に軽く口づけた。


『ライラの瞳はお月さまみたいに綺麗よ。どうかあなたに満つる月のご加護があることを』


 このやりとりを何度交わしたのか。もっと聞きたいことがあった。知りたいことがあったのに。直接、伯母の口から聞けたのはこれだけだ。


 ライラが自分の瞳について詳しく知ったのは、両親を亡くし孤児院に入ってからだった。不確かな記憶を辿れば自分がグナーデンハオスにやって来たのは、六、七歳の頃。


 そして十二になって迎えた初めての春、シスターからある手紙を受け取った。差出人は伯母で『十二歳になったライラへ』と宛名に書かれていた。


 この手紙はどこから来たのか。シスターはライラが孤児院に預けられた当初、渡された荷物の中に入っていたと説明した。


 手紙には初めて知る事実ばかりが記されていた。自分が王家の伝説に登場するフューリエンに関係するなど、にわかには信じられない。この瞳に色が本当に消えるのかどうかも怪しい。


 でも疑ったところで他に信じるものもない。この孤児院で慎ましく生きていく。十二歳の少女はすでに自分の未来を決めていた。


 いつか誰かに必要とされるかもしれないと思ったりもした。迎えに来てくれる人がいるかもしれないと。


 けれど初対面の人間がこの容姿を見れば、どんな反応をするのかライラは嫌というほど思い知った。だから、もう期待はしない。


 あれこれ思い巡らせ、ライラは息を吐く。とりあえず今日はもう休もうとベッドに近づいた。寝間着は用意されていないので、着ていた服を脱ぎ肌着になるか迷ったところで、そのまま体をベッドに倒す。


 ここにいるためとはいえ、私、本当に結婚するの?


 なにも知らない男との結婚。さらには自ら結婚相手にと名乗り出た男は、どう見ても形だけ、渋々といった感じだった。きっと必要以上に関わることさえ望んでいない。


 結婚ってこんなに簡単にできて、こんなにも呆気ないものなんだ。


 柔らかいベッドは文句なしの寝心地だった。けれどライラの心は重く沈んでいく。


 平気。生きているだけで恵まれているんだもの。今までだって乗り越えてきたんだから、この先だってきっと大丈夫。私には両親と伯母さんと、そして――


 なにげなくライラは自分の左目を覆った。


「どうか満つる月のご加護があることを」


 捧げた祈りは部屋の空気にすぐ溶ける。ライラはゆっくりと瞼を閉じた。

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