04
「メーヴェルクライス卿はまだよかった。お前を館の中に閉じ込め、祈りを捧げる程度だったのだから。だが、フューリエンを欲しがる人間が彼のような者ばかりとは限らない」
ライラは震え出す自分の体をぎゅっと抱きしめる。改めて自分の置かれていた状況は異質なものだったのだと悟った。
ひっそりと暮らしていた自分が孤児院の外に出たことで、事態が思わぬ方向に進んでいるのだという現実にも。このまま孤児院に戻ったとしてもシスターや子どもたちに迷惑をかけてしまう可能性もある。
「心配しなくていい。これもなにかの縁、なによりお前は我が王家にとって感謝してもしきれないほどの人物と縁のある人間だ。……正確には被害者とでも言うべきか。お前の面倒は城でみてやろう」
「ですが」
「なに、どうせ一生の話ではない。ときにライラ、お前はいくつになる?」
王の脈絡のない質問に、アードラーのふたりは意図が読めない。しかしライラは顔を強張らせ、硬い声で返事をした。
「……まもなく十八になります」
「ならば“もうすぐ”というわけか」
含んだ笑みを浮かべる王に、ライラは畏怖の念を抱く。
「陛下、あなたはどこまで私を……フューリエンについてご存知なのですか?」
「どうだろうな。少なくともお前の知っている情報は把握している、とでも言っておこうか」
もったいをつけた言い方だった。会話についていけない男共に説明してやるようにクラウスは軽い口調で語りだす。
「フューリエンの末裔の持つ瞳の色は生まれながらではあるが、永遠ではない。そうだな、ライラ?」
王の投げかけを受け、ライラは静かに頭を下げる。
「はい。血を引くといっても金の瞳を受け継ぐのは女児にだけ。もちろんすべての者ではありません。さらに片眼の金色の輝きは十八の年が来れば、本来の色に戻るのです」
フューリエンの話は知っていたがスヴェンやルディガーにとっては初めて知る事実だった。だから王はライラに年齢を聞いたのだと合点がいく。
「伯母もだったと聞いています。私は今、十七。私が生まれたのはその年初めて雪が降った日の朝だったそうです。なので私ももうすぐ十八となり、この瞳の金色も例にもれず消えるかと」
「そう長くないなら尚更、ここに身を置いておいたらどうだ?」
王の提案にライラはしばし思考を巡らせる。孤児院に迷惑をかけるわけにはいかない。とはいえ、ほかに行くところもすぐには浮かばない。
しばらくして決意を固め、ぎゅっと唇を強く噛みしめた。
「陛下の慈悲深さ、痛み入ります。感謝してもしきれません。ならばご厚意に甘え、この瞳の色が消えるまでお世話になってもかまいませんか?」
「もちろんだ。余計な気を回さず、好きに過ごせばいい。……ただし、ひとつ条件がある」
そこで言葉を区切ると、王はライラの両サイドで控えているアードラーのふたりを見遣った。スヴェンとルディガーは王の視線の意味がわからず互いに視線を交わらせる。
続けて紡がれた王の言葉に、今日一番の動揺がこの場に走った。
「城にいる間だけでかまわない。ここにいるこどちらかの男と結婚してもらおう」
「陛下、なにをっ」
先に声をあげたのはルディガーだった。ライラに至ってはあまりにも突拍子のない条件に声さえ出せない。しかし爆弾を落とした本人は何食わぬ顔だ。
「城の中とはいえ、外からの出入りがないわけではない。原則、彼女をひとりにはできないだろう。そうなると昼はともかく夜はどうする? ただの客人にお前らが仰々しくそばにいたら不自然だろ」
王は立て板に水のごとく続けた。その表情はどこか面倒くさそうだ。
「彼女がフューリエンという事実は内々の……俺の信頼した人間だけに留め、極力伏せておきたい。結婚はいいカモフラージュになる、同じ部屋に置いておけるし、夜も心配ないだろ」
そこで一息つき、王はまだ納得しきれていない男共に笑ってみせた。
「なに、所詮この国では結婚は紙切れ一枚のこと。神に誓うわけでもない。宣誓書に国王のサインがあれば夫婦として認められる。別れるときも同じだ」
アルント王国では男女ともに十五で結婚が認められる。その際に教会で神に愛を誓い合う者は少なく、王の署名が入った宣誓書の方が大きな効力を持つ。
それはこの国で神よりも王の方が人々の崇拝する象徴であり、絶対的な力の強さを物語っていた。
「どうだ、ライラ。すべては表向きの名ばかりの結婚だが、どちらもいい男だろ。お前に選ばせてやろうか?」
玉座からおかしそうに問いかけられ、ライラは改めて両隣の男にそれぞれ目を向けた。
鳶色の髪、表情や口調など和らかで聡明そうな雰囲気の男。一方、黒髪に眼差しは鋭く威圧感を放つ不愛想な男。
どちらも王の言う通り、地位も容姿も申し分はない。対照的なふたりを選ぶ云々の前に、まだライラは自分の身に起きた出来事が信じられなかった。
「俺がその話を受けましょう」
ライラの答えを待たずして、スヴェンが静かに名乗りでる。彼以外のすべての人間の視線が集中した。王はわずかに目を丸くさせ、口元を緩める。
「珍しいな、スヴェン。お前ならこちらが指名しても、素直に首を縦に振るとは思えなかったが」
「陛下の命令なら従うまでです。これはそういう案件なのでしょう?」
強い眼光が下から王を捉える。クラウスはゆっくりと頷いた。
「ああそうだ。お前らが渋ったとしても命令するまでだ」
スヴェンは納得したように息を吐き、視線を王から落とす。その目は隣に向けられた。
「ルディガー、かまわないな」
「あ、ああ」
一応、もう一人の候補に確認を取る。ルディガーもスヴェンの行動が意外だったのか、どこか生返事だった。ルディガーに代わり王が揶揄する。
「どうした、やけに積極的じゃないか」
「彼女を先に見つけたのは俺ですから」
感情を声に乗せることなく、スヴェンはきっぱりと言い捨てた。王はまだ混乱しているライラに声をかける。
「この男はスヴェン・バルシュハイト。もう一人の男、ルディガーと並びアルノー夜警団のアードラーだ。……スヴェン」
名を呼び、王の視線は男に移った。
「とりあえず時間も時間だ。ひとまず今日は彼女を客室へ案内してやれ。護衛は客人用にと別の人間を待機させておく。彼女の世話はマーシャにでも話しておこう。お前も今日はもう休め」
スヴェンは再度胸に腕を添え国王に敬意を払う姿勢を取り、ゆっくりと立ち上がった。
「部屋に案内する、ついて来い」
「は、はい」
ライラは返事をすると王に深く頭を下げて体勢を整え直し、言われるがままスヴェンの後を追った。部屋には王とルディガーが残る。
「スヴェンは出来る男だが、なかなか手強いだろうな」
「お前な、彼女が自分の探していた相手じゃなかったからって俺たちで遊ぶなよ」
王のひとり言に、ここに来てようやく乳兄弟としてルディガーが接した。尋ねた声には不信感がありありと滲んでいる。それをかわすように王は口角を上げる。
「ひどい言われようだな。ライラの身を案じてこそだろ。お前もしっかりフォローしてやれ」
「言われなくてもそのつもりだ。にしても彼女、あいつと上手くやれるだろうか」
ルディガーが心配しているのはもちろんスヴェンとライラのことだった。どう贔屓目に見ても気が合いそうには思えない。
そもそもスヴェンが女性に優しくするというのがルディガーには想像できなかった。
「それこそ見物だな。暇つぶしにはちょうどいい」
あっけらかんとした王の切り返しにルディガーは思わず肩を落とす。付け足すように王は続けた。
「ルディガー、お前ももう休め。そしてセシリアにもこの件は伝えておけ。同性だからなにかと親身になってやるといい。ただし夜警団の中では情報はそこまでだ」
「了解」
やれやれといった感じでルディガーは首を振る。王はさらにルディガーに投げかけた。
「スヴェンが自ら名乗り出たのは、あながち俺でも彼女のためでもなく、お前のためだったんじゃないか?」
その指摘は聞かなかったことにして、ルディガーは改めて胸に手をやり頭を下げ、型通りの挨拶をしてから謁見の間を後にした。