04
スヴェンの部屋の前ではマーシャが待機していて、ふたりに気づくと安堵の笑みを浮かべた。スヴェンが問いかける前にマーシャが答える。
「陛下に申し付けられまして。おふたりで一緒に戻って来られるのをお待ちしていましたよ。よかったですね、ライラさま。……いえ、よかったのはスヴェンさまでしょうか?」
嬉しそうなマーシャにライラは遠慮がちに声をかけた。
「マーシャ、でも私はもうフューリエンじゃなくて……」
「ええ。ですから、これからはスヴェンさまの奥様としてお仕えしますよ。かまいませんね?」
最後にマーシャが尋ねたのはもちろんスヴェンにだ。スヴェンは目だけで応える。
「とりあえず湯浴みさせてやってくれ。ずいぶんと冷えてる」
「承知しました。ちなみにいかがでしたか? ライラさまのドレス。素敵でしたでしょう。私が見繕わせていただいたんです」
マーシャに話題を振られ、スヴェンは改めてライラを見た。彼からの視線を受け、ライラは気恥ずかしさで目を伏せる。
「いいんじゃないか、よく似合ってる」
からかい半分だったマーシャは驚きで目をぱちくりとさせた。意外なのはライラも同じだ。スヴェンは気にせず踵を返そうとする。
「俺は戻る……ライラ」
呼びかけられ、ライラはスヴェンと目を合わせた。
「極力早く戻ってくる。どこにも行くなよ」
「うん。スヴェンが帰ってくるのをちゃんと待ってるね」
ライラの答えにスヴェンは満足したように口角を上げた。その笑みはいつになく優しくて、ライラの胸を十分に高鳴らせた。
ドレスを脱ぎ、湯浴みを済ませて言われるがままにスヴェンの部屋で待つライラだったが、そわそわと落ち着かず、ずっと部屋の中を行ったり来たりしていた。
日付が変わりそうな時間だが、不思議と眠たくはならない。それよりも先ほどから鳴りやまぬ心臓とずっと格闘していた。
そのとき前触れもなくドアが開かれ、びくりと肩を震わせる。
「なにしてるんだ?」
部屋の真ん中で立ちすくんでいるライラに声がかかった。
「おかえり、なさい」
団服を脱ぎ、ラフな格好をしたスヴェンが現れライラは彼に向き直った。
ライラはゆったりとした肩口が開き気味の長袖の夜着を身にまとっている。色は白で袖口と裾が広がりを見せ、シンプルだが可愛らしい。
選んだのはもちろんマーシャだ。
「迎冬会は大丈夫だった?」
「問題ない」
端的に返され言葉を迷っているとスヴェンが呆れた面持ちになる。
「お前な、今更そんなに意識してどうする?」
「だ、だって……」
あっさりと言い当てられ、ライラは狼狽える。ここでスヴェンと夜を過ごすのはもちろん初めてではない。なんなら昨日だって同じベッドで眠った。
けれど、今の自分はフューリエンではなく片眼異色も消えていると思うと、大義名分が消えた気がしてどうも落ち着かない。
「いいからこっちに来い」
ベッドに腰掛けたスヴェンがライラを呼ぶ。スヴェンの真正面までたどたどしく歩み寄ると、スヴェンがライラに手を伸ばし、自分の方に引き寄せた。
おかげでライラはベッド膝立ちする形で、スヴェンを見下ろす。腰に回された腕の感触に心臓が早鐘を打ち始めた。
「なんだか信じられなくて。私が今ここにいるの……いいのかな?」
実感が湧かずに、不安にも似た感情がどうしても消えない。白状して告げれば、スヴェンがそっとライラの前髪に触れた。
「いいもなにも夫婦だろ。フューリエンとか関係なく、俺がそばに望むのはお前だけだ」
スヴェンの言葉で、モヤモヤしたライラの気持ちが晴れていく。自然と笑顔になりライラはスヴェンの額に自分の額を合わせた。
綺麗なふたつの深い碧がスヴェンを捉える。
「これからも、よろしくお願いします。旦那様」
おどけていってみせ、ライラから軽く唇を重ねる。意外な行動にスヴェンは目を見張った。それを受け、ライラが困惑気味に眉尻を下げ頬を赤くする。
「私も……したくなったの」
今までのお返しと思って小さく告げると、スヴェンは回していた腕にさらに力を入れ、ライラを腕の中に閉じ込めた。
そのまま強引に口づける。ライラは戸惑いながらも瞳を閉じ、彼からのキスを受け入れた。
長くて甘いキスに先に根負けしたのは息を止めていたライラで、思わず唇を離す。けれど瞬時に口を塞がれ、キスは続けられた。
どのタイミングで息をすればいいのかわからず、酸素を求めてわずかに口を開けると、その隙間に舌を滑り込まされる。
初めての感触に驚いて、反射的にライラは顎を引きそうになる。ところが、それをスヴェンが阻んだ。
「逃げるな」
吐息を感じるほどの距離で発せられた声には切なさも入り混じっている。頬に手を添えられ、射貫くような眼差しにライラは心臓を鷲掴みにされた。
けっして嫌ではなくて、ただ経験がないからどうすればいいのかわからない。それをスヴェンも見越している。
そっと髪を撫でられサイドの髪を耳に掻き上げられると、ライラは見開いていた瞳をわずかに伏せた。それを合図に口づけは再開される。
今度はわずかに唇の力を緩めてぎこちなくもスヴェンを受け入れた。
触れるだけの口づけを何度も繰り返され、舌も使ってゆるやかに懐柔されていく。
「んっ……ん」
キスは完全にスヴェンのペースだった。けれど一方的なものではなく、時折ライラの頬や頭に触れ、気持ちを落ち着かせてやる。
ライラはスヴェンのシャツをぎゅっと掴み、なんとか応えようと必死だった。その姿がいじらしくてスヴェンの欲を煽る。
奪われるような口づけに翻弄され、ライラは目眩を起こしそうだった。荒い息遣いも甘ったるい声も、すべてが刺激となって知らぬうちに自分からも求めてしまいそうになる。
唇が離れ、ライラはスヴェンの顔を見ることなく彼にもたれかかった。肩で息をするライラをスヴェンは優しく抱きしめる。
「ライラ」
耳元で低く名前を呼ばれ、ライラの背筋が震えた。恥ずかしくて顔が上げられずにいると、露わになっている首筋に生温かい感触を感じる。
「ふっ」
思わず声が漏れてしまい、なにかに必死に耐える。スヴェンはゆっくりと彼女の白い肌に舌を這わせ、肩口に音を立てて口づけた。
おもむろにライラが顔を上げ、目が合った瞬間、スヴェンはライラを抱きしめたままベッドに倒れ込んだ。素早く体勢を変えられ、スヴェンが上になる。
背中にベッドの柔らかい感触を受け、目の前には整った顔のスヴェンが情欲の色を宿した瞳で自分を見下ろしている。声も出せず、ライラは相手をただじっと見つめた。
頬に手を添えられ、スヴェンが愛おしげにライラに触れる。大きくて骨ばった手は優しくて温かい。無意識に目の奥に熱がこもり、ライラは衝動的に声を漏らした。
「……スヴェンが好き。こんなふうに誰かを望むのは初めてなの」
今まで誰かと関わるのが怖くて避けていたのはライラも同じだった。正直な想いを口にすると、スヴェンは一瞬だけ目を丸くし、すぐに微笑む。
「それはこっちの台詞だ」
それを聞いてライラの顔にも笑みが浮かぶ。少しだけ心が和らいだライラは自分からスヴェンに手を伸ばした。
「寒い」
意表を突かれたスヴェンからの反応を待たずに、ライラは彼から目を逸らさずに続けた。
「だから、温めて」
スヴェンの表情が、すぐにいつもの余裕めいたものになる。
「どうやって?」
「それは……その、スヴェンにお任せします」
たじろぐライラの頭をスヴェン優しく撫でる。そのまま瞼に口づけが落とされ、ライラは幸せな気持ちで彼に身を委ねた。




