03
「なぜ、あんな場所に? 村に帰ったと……」
矢継ぎ早に状況を尋ねられ、ライラはおずおずと説明しはじめた。
「こ、これは、その……陛下のご意志で……スヴェンを騙そうとしたわけじゃ……」
話ながらライラは謁見の間で王に望みを尋ねられたときのやりとりを思い出す。
『スヴェンに……バルシュハイト元帥にお伝えください。あなたには感謝してもしきれない。あなたの幸せを心から願っている、と』
ライラの口から飛び出した内容に王は目を見張り、わずかに顔を歪めた。
『……それがお前の望みか?』
『はい』
『つまり、スヴェンには会わないまま城を発つと?』
王の指摘にライラの顔が強張る。本当は直接感謝の言葉を伝え、別れるのが筋だ。しかし今日、彼が城に戻るのは迎冬会が始まる直前だと聞いている。帰ってきてからもきっと忙しいだろう。
けれど、それは全部建前だ。スヴェンに会うのが今のライラは怖くてたまらない。フューリエンでなくなった自分を見られるのも。
想いを伝えるどころか、どんな言葉を交わして別れたらいいのかを考えなくてはならないなんて。
『わかった。聞き入れよう』
葛藤しているライラに王から声がかかる。意識を戻したライラに思わぬ言葉が続けられた。
『……ただし、ひとつ条件がある』
初めて城を訪れた際に告げられた台詞と同じものだ。ライラの体に自然と緊張が走った。
それをほぐすかのように、クラウスは笑った。いつものように含んだ笑みではなく困惑さも混じる優しいものだ。
『ライラ、俺と賭けをしないか?』
クラウスの言葉を反芻させ、ライラはスヴェンに向き直る。露出した肌に冷たい空気が刺さるが、体に力を入れ自分を奮い立たせる。
『もしもスヴェンがフューリエンではなくなったお前でも見つけられたら、さっきの言葉は自分で伝えてやってほしいんだ』
スヴェンが自分に気づかなかったら、そのまま彼とは会わずにここを去る。そういう話だった。
でも残念ながら賭けはライラの負けだ。けれど、どうしてかライラの気持ちは温かかった。
今度はしっかりと両目でスヴェンを見つめる。ライラからの視線を受け、スヴェンも彼女の肩から手を離した。
そして、ライラは一歩下がると両側のドレスの生地を手で持ち、慣れない仕草で膝を折った。
「バルシュハイト元帥、今まで本当にありがとうございました。あなたには感謝してもしきれません。だからどうか……」
そこでライラは言葉を切る。うつむいてかしこまっていた姿勢から背筋を伸ばしスヴェンに笑いかけた。
「どこにいても祈っているから。スヴェンの幸せを。姿を変えても、見えなくなっても、いつも月がそばにあるように。どうかあなたに満つる月のご加護があることを――」
月明かりに照らされたライラの笑顔は、たしかに笑っているのになんだか泣き出しそうに見えた。思わずスヴェンは彼女の腕を掴む。
「いらない」
はっきりと拒否すれば、ライラは目を白黒させた。
「そんなのはいらないんだ」
念押しすると、ライラの表情には戸惑いとショックが入り混じる。スヴェンはライラと目を合わせて、さらに畳みかけた。
「祈ってどうする? 願ってどうする? ましてや俺の知らないところで。それでなにが変わるんだ」
彼らしい言い分だが、今のライラには痛いだけだ。視線を落とし、喉の奥を震わせてライラは声を発した。
「……だって私、もうなにもないから」
『おかしいと思ったんだ。スヴェンが結婚なんて。ましてや孤児院出で身分も後ろ盾もなにもないあなたみたいな女性と』
ユルゲンの言葉がずっと棘となってライラの心に刺さっている。それは事実だからだ。フューリエンだからライラはスヴェンと結婚する話になった。スヴェンのそばにいられた。
しかし、本来の自分はユルゲンの言う通り、彼に釣り合うものはなく近づくことすら許されない存在だ。それを今日の迎冬会でも思い知らされた。
スヴェンの周りには身分ある綺麗な女性がたくさんいて、話しかけるのも高貴な人物ばかりだ。国王陛下の傍に仕え、アードラーという立場もある。
慣れないドレスでダンスどころか歩くのさえぎこちないライラは、とてもではないがスヴェンの隣には立てない。そばにも行けない。
もしも本当のフューリエンだったら、スヴェンを幸せにできたのかもしれない。これからもそばにいられたのかもしれない。
馬鹿な考えが過ぎって、空しさだけが増していく。祈って願うことしか自分にはできない。それさえも許されないなんて。
視界が滲みそうになるのをぐっと我慢していると、不意に頬に温もりを感じた。驚いて顔を上げれば、スヴェンがライラの頬に手を添え、切なげな眼差しを向けている。
「なにもない? 違うだろ。人間に心を開かなかった馬を使えるようにした。荒れ放題だった薬草園を少しずつ手入れして、また花を咲かせた。シュラーフを使って飲めるようなお茶を作った。それは全部、お前がフューリエンだとか関係ない。ライラ自身が成し遂げたことだろ」
視線を合わせ、ひとつひとつを、まるで子どもに言い聞かせる口調でスヴェンは語る。そしてスヴェンは言葉を区切り、ライラの頬を優しく撫でた。
「それに、お前のおかげで俺は眠れるようになった。そばに誰かを置くのをずっと拒否していたのに、俺はお前がいないと眠れないんだ。どうしてくれる?」
思わぬ告白にライラは大きく目を見開いた。スヴェンは少しだけ表情を緩める。
「こんなふうに俺を変えたのはお前なんだ。お前は俺のものなんだろ。なに勝手にいなくなろうとしてるんだ?」
「で、でも、結婚は陛下の命令で、私たちはもう……」
とっさに言い返したが、ライラは続きを言いよどむ。ほんの刹那の沈黙の後、スヴェンが続けた。
「そうだな。けれど俺はあの離縁状にはサインしていないし、するつもりもない。だからお前はこれからも俺のものなんだ。逃がしたりしない」
スヴェンの発言に、ライラは信じられない面持ちで彼をまっすぐに見つめた。スヴェンはライラとの距離を詰めて彼女を見据える。
「好きになってくれる人間をわざわざ探しに行かなくてもいいだろ。俺じゃ駄目なのか?」
ぶっきらぼうな言い方だが、伝わってくる体温も彼の言葉も胸を熱くする。ライラは静かにかぶりを振った。
「駄目じゃない。他の人じゃ意味ない。私、ずっとスヴェンの特別になりたかったの」
意識せずとも涙がこぼれ落ち、ライラの頬も、触れていたスヴェンの手も濡らす。スヴェンはライラをそっと抱き寄せ、腕の中に収めた。
「私、フューリエンじゃないけど……そばにいてもいい?」
「俺はもうとっくにお前を手放せないんだ。だから、俺に幸せになってほしいなら遠くで祈ってないで、そばにいろ」
祈るのも願うのもいらない。いつも通りそばにいて笑っていればいい。それだけで穏やかな気持ちになれる存在はライラが初めてだ。
だから認めるのに随分と時間がかかってしまった。遠回りもした。
「スヴェンは、私のこと……」
腕の中でライラがおずおずと問いかける。続けられる言葉を遮り、スヴェンが強く言い切った。
「愛してる。誰にも触らせたくないし、渡さない」
ライラが顔を上げると、真剣な表情のスヴェンと目が合う。そのまま顔が近づき口づけられた。今まで幾度となくキスを交わしてきたのに、こんなにも幸せで満たされるのは初めてだ。
瞳を閉じて受け入れているとしばらくしてスヴェンから唇を離す。
「冷えてるな」
至近距離で心配そうな顔が映る。今更ながら胸をときめかせて、ライラは首を振った。
「だ、大丈夫。スヴェンこそ大事な迎冬会を抜け出しちゃって」
「俺のことはいい。部屋まで送っていくからおとなしく待ってろ」
闇夜の寒空の下では、確実に体温を奪われる。ましてやライラは格好が格好だ。
スヴェンのマントをかけられ促されると、ライラは部屋に戻るため一歩踏み出す。
エスコ―トする形で手を取られ、意識せずとも緊張する。
「スヴェンはどうして、私がわかったの?」
半歩先を歩くスヴェンに、ライラは問いかけた。
肩先までの髪は編み込まれてすっきりとまとめ上げられ、格好も初めてのドレスだ。素顔も隠していたし、仮面から覗く瞳の色だってもう珍しくはない。
スヴェンはちらりとライラを見て、端的に答えた。
「自分の妻だからな。どこにいても、どんな姿をしていても見つけられる」
そこで触れ合っていた手が強く握られる。ライラは顔を赤らめながらも目を細めて、大きくて骨ばったスヴェンの手を握り返した。




