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02

「なんだって!?」


 声をあげたのはルディガーが先だった。迎冬会への貴賓を護衛するため、城を出ていたスヴェンとルディガーが戻ってきたのは、会が間もなく始まる前だった。


 膝をつき、王に報告が上がればそこで思ってもみなかった事実がクラウスの口から告げられた。ライラの瞳の色が戻り、生まれた町に戻るためすでに城を発ったという内容だった。


「そう声を荒げるな。しょうがない、ライラの望んだことだ」


「どうして俺たちが帰ってくるのを待たなかったんだ!」


 いつもは立場をわきまえるルディガーも、このときばかりは感情が抑えきれず乳兄弟としてクラウスに当たる。


 王の側近はいい顔をしていないが、当の本人はさして気にしていない様子で返した。


「しょうがない。冬が本格化する中で、移動するなら早い方がいいと判断したんだ」


「だからって……」


 そこで王の視線が、先ほどからなにも言わないもうひとりの男へ向いた。


「スヴェン、ライラはお前にとくに感謝していた。お前の幸せを願っていると。フューリエンの護衛を兼ねた偽りの結婚生活、ご苦労だったな」


 スヴェンはなにも言わず、表情もいつも通り読めない無愛想なものだった。王を静かに見据えるが、その眼差しはいつになく鋭い。


 王は側近に目配せし、紙を二枚ほど持ってこさせる。そのうちの一枚をひょいっと手に取り、男共の方に紙面を向けた。


「心配しなくてもライラから署名された離縁の手続きに必要な書類は預かっている。これにお前の名前を書けば任務終了だ」


 クラウスは興味なさげにライラのサイン入りの書類に目を通すと、再びスヴェンに視線を戻した。


「また署名しておけ。処理はこちらでしておく。話は以上だ。迎冬会も間もなく始まる」


 スヴェンはため息をついて、膝を折っていた状態から立ち上がる。そんなスヴェンを心配そうに見つめながらルディガーも腰を上げた。


 そこでクラウスが忘れていたとでも言いたげな雰囲気でスヴェンに声をかける。


「スヴェン、俺の命令はここまでだ。あとはお前が自分で決めろ」


 なにを?と聞き返す気力も今のスヴェンにはない。本当にライラがいなくなった実感も湧かない。


 最後に見たのは穏やかに眠る彼女の寝顔だった。部屋に戻れば、また自分を見つけてあの笑顔で寄ってくる気がした。


 妙な感覚だった。悲しみでも怒りでもない。かといって肩の荷が下りたと安心するわけでもない。まるで心にぽっかりと穴が開いたような……それを喪失感と呼ぶのだと名前さえも出てこない。


 スヴェンやルディガーの迎冬会での主な任務は、王家に関係の深い貴賓を無事に会場まで連れて来ることだった。会場の警護自体は他の団員達もそれぞれの持ち場についている。


 夜の帳が下りてくる頃、迎冬会の幕が開ける。会がはじまれば、スヴェンやルディガーは会場に溶け込み、なにもないよう事の成り行きを見守るだけだ。


 この時間はスヴェンにとっては退屈以外のなにものでもない。


 優雅な音楽が豪華絢爛な大広間に響き、参加者たちが集まってきた。多くは仮面を身につけ素顔を隠す。馬鹿らしい試みだといつもより刺々しく会場を見渡した。


 着飾った令嬢たち、笑顔を貼りつけ腹の探り合いをする貴族、王家に媚びを売ろうと必死な者。なにもかもが滑稽に思えて、スヴェンは王に近い会場の端で全体を眺めていた。


「バルシュハイト元帥」


 不意に声をかけられ、視線を向ければターコイズブルーのドレスを身に纏った若い女性が笑みをたたえていた。


 細かい銀細工の施された深緑色の仮面をつけているので顔ははっきりしない。しかし伝わってくる雰囲気や立ち振る舞いからこういう場に慣れているのがわかる。


「一曲、踊っていただけません?」


「遠慮する」


 すかさず断りを入れたが、彼女は怯まない。


「こんな美人がお誘いしているのに? それとも素顔を見せれば踊っていただける?」


 たいした自信だな、と思いながら口にするのも面倒でスヴェンは視線を逸らした。


 遠くでは同じように令嬢から誘いを受けているルディガーが目に入ったが、にこやかにかわしている。


「ダンスはお嫌いかしら?」


 続けられた彼女の問いかけに、ふとスヴェンの記憶が呼び起された。 


『スヴェンも……私のこと嫌いじゃない?』


『スヴェンは……嫌じゃない?』


 そういえばライラはいつも「好き」だとはけっして聞いてこなかった。否定してやれば嬉しそうに笑う。


 嫌われていなければ、嫌でなければ、それでいいと満足していた。でも、本当にそうなのか。彼女はなにを望んでいたのか。


 『フューリエンとか瞳の色とか関係なく、私自身を見て好きになってくれる人を探すの。私ね、誰かの特別になりたい!』


 戯れに触れ合って、曖昧な言葉で確かめ合う。ルディガーの忠告もあったのに、心地よさにかまけて結局はなにもはっきりさせていない。だから失った。


『スヴェン、ライラはお前にとくに感謝していた。お前の幸せを願っていると』


『ライラは無鉄砲なところもありますが、いつも人のために一生懸命なんです』


『わかってる』


 実際はなにもわかっていなかった。ライラが自身のために、誰かになにかを強く望むことがない人間なのは、とっくに知っていたはずなのに。


 苛立ちを押さえ、スヴェンは唇を強く噛みしめた。彼女は今、どこにいるのか、なにを思っているのか。


 鬱陶しくも顔を上げて会場を見渡す。そこでふと誰かと視線が交わった。


 珍しく相手を確認すれば、来客者の群れの中から一歩下がった位置で、他の令嬢たちに混じって仮面をつけている女性がじっとこちらを見ている。


 注目されるのも、見られるのも珍しくはない。しかし彼女以外のすべてが一瞬にして色を失う。


 淡い黄色にドレスにはフリルや花があしらわれ、髪はサイドから編み込まれてまとめられていた。シンプルな仮面の左側にはドレスと同じ色の黄色い花が添えられている。


 スヴェンは思わず息を呑む。先に視線を逸らしたのは相手で、素早く群衆に溶けるためにその場を去る。


 けれどスヴェンは彼女を目で追い、ゆるやかに足を進めだした。


「バルシュハイト元帥?」


 声をかけていた令嬢をも無視して、足早になる。


 ルディガーはスヴェンの異変に気づくも、状況が把握できない。なにかあったなら自分に声をかけるなり、近くの団員に言伝するはずだ。


 高い位置でいる国王に目配せすれば、クラウスはルディガーに微笑んでみせた。なにもかも見透かす余裕のある表情だ。


 おかげでルディガーはとくに動きもせず呆然とスヴェンの後ろ姿を見つめた。


 黄色いドレスを身に纏った女性がいくつかある大広間の出入口から外に出るのを確認し、スヴェンは近くの扉から外に出た。


 なんとなく彼女がどこに向かっているのか見当がつく。


 外に出れば中の喧騒が夢のようだった。まったくの別世界、暗くて冷たい夜が広がっている。


 そんな中、スヴェンは廊下を走り、静かに中庭に足を踏み入れた。外気は息を白く染め、他の人間の姿はない。ただ、明るい月だけが暗闇を照らしている。


 そしてスヴェンの予想通り薬草園の前に彼女の姿はあった。こちらに背を向け、薬草園をじっと見つめている。


 スヴェンは気配を消さずに大股で彼女に近づいた。 すると彼女はすぐにスヴェンの存在に気づき、後ろを振り返って大きく目を見開く。


 仮面の奥の瞳が揺れ、慌ててその場を去ろうとした。しかしスヴェンが素早く彼女の肩を掴み、強引にこちらを向かせる。


「ライラっ」


 疑問系ではなく確信をもって名前を呼べば、相手は驚きで瞬きさえできずに硬直した。スヴェンはすぐさま彼女の仮面に手をかける。


 「やっ」


 抵抗を見せるも力の差は歴然で、あっさりと彼女はスヴェンの前に素顔を晒した。両目共にくっきりとしたエメラルドの瞳がスヴェンを捉える。


 思わず目を奪われると、ライラは顔を背けた。


 最後に会ったときと、瞳の色も髪型も格好さえも違う。けれどスヴェンの目の前の前には、他の誰でもないライラがいた。

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