01
ふとライラが目を覚ますと、辺りは耳鳴りがするほど静かだった。薄明りの中、徐々に焦点を定めていく。今は真夜中だった。
続けて自分を包む温もりに気づいて、ライラは目だけを動かす。回された腕は心地いい重たさをもたらしていた。
スヴェンの寝顔、初めて見た。
そっと視界に捉えたのはライラを抱きしめるようにして眠っているスヴェンの姿だった。
鋭い眼光は瞼に隠れ、伏せられた長い睫毛が影を作っている。すっと伸びた鼻筋に、薄い唇。十分に整っている顔立ちだ。
寝息は静かで、熟睡しているのが伝わってきた。それでも敏い彼なら、些細なことでも起きてしまう。ライラは息さえ止めそうな勢いで固まった。
あれからスヴェンはずっとライラのそばにいた。本当は迎冬会に向けて、しなくてはならない仕事もあるだろうに、気にしなくてもいいと一蹴し、ライラを優先するのを譲らなかった。
ライラとしては仕事もそうだが、スヴェンの体調も心配になる。けれど眠れているならよかった。ホッと胸を撫で下ろす。
無造作な黒髪に触れたくなるのをぐっと我慢し、ライラはしばらくスヴェンの寝顔を堪能した。こんな貴重な機会、きっともう二度とない。
私、スヴェンに自分の気持ちを伝えてもいいのかな?
心の中で問いかけたので、返事は自分でするしかない。考えても答えは出せない。
とにかく迎冬会が終わってからにしよう。ただでさえ、スヴェンの仕事を遅らせちゃったんだから。
結論を先延ばしにし、今は与えられる温もりに身を委ねる。おそらく自分が目覚めたときには彼の姿はない。それでも、こうして抱きしめてもらえているのがわかってライラの気持ちは温かくなる。
ありがとう、スヴェン。
やはり声には出せなかったが、ライラは複雑な思いで微笑み、再び目を閉じた。
「おはようございます、ライラさま」
いつもと変わらないマーシャの声が、どこか遠くの方で聞こえる。けれどそれはライラの思い過ごしで、実際はすぐそばのベッドの傍らでライラに呼びかけていた。
眠気が目を開けるのを阻む。そして今日は一段と寒いのが伝わってきた。無意識にベッドに潜りそうになったが、ライラは目を開けて、勢いよく身を起こす。
「マーシャ、無事!?」
跳ね起きたライラにマーシャはすまなそうな顔をする。
「昨日は本当に申し訳ありませんでした、私の軽はずみな行動のせいで、ライラさまを危険に晒してしまい……」
「マーシャは悪くないよ! よかった。なにもなくて、本当に……」
ライラはベッドから下りて、マーシャとの距離を縮める。そんなライラにマーシャは困惑気味に微笑んだ。
「それは、こちらの台詞でございます……ライラさま?」
マーシャの声と表情が急に緊迫めいたものになる。ライラには意味がわからず首を傾げた。
「その目は……」
続けて指摘されたものに、ライラは大きく目を見張る。心臓の音が一段大きくなり激しく収縮しはじめた。そして、おそるおそる左目を手で覆う。
見え方もなにもいつもと変わらない。違和感もなにもなかった。
しかしなんの前触れもなく、その日は突然やってきた。
マーシャが慌てて鏡を用意し、自分の瞳を確認する。
ライラの金に輝く左目は、右目と同じ穏やかな緑色になっていた。片眼異色と称されていた跡形など微塵もない。
ライラは自分の身に起こっている現状がにわかには信じられなかった。十八年間も異なる瞳の色と付き合ってきたのだ。それが、こんなあっさりと消えるなんて。
気が動転するライラをフォローし、マーシャは朝支度を整え始める。朝食もあまり口にできず、何度も左目を覆ってみるが、これは夢ではないらしい。
自室の鏡台の前に座り、マーシャに髪を整えてもらいながら鏡の中の自分を見つめる。やはり瞳の色は両方ともダークグリーンだ。
「左目を隠していた髪も切ってしまいましょうか?」
鋏を手に持ち、マーシャが聞いてきた。不揃いなうしろ髪を切り揃えるためだったのだが、ついでにという話らしい。
ライラはしばし返答に迷ったが、たどたどしくも頷いた。マーシャの態度は普段とあまり変わらない。動揺しているのは本人ばかりだ。
緊張して見つめていると、鋏の小気味にいい音と共に視界が開けていく。逆に眩しいくらいだ。両目でじっくりと世界を見るのはいつぶりだろうか。
髪と共にライラの十八年分の重みも落ちていく気がした。けれど、どうしてもすっきりしない。
「いかがですか? どこからどう見ても、普通の年頃のお嬢さんですよ。これでこれからは周りの目を気にせずにすみますね」
マーシャの明るい声も耳を通り過ぎていく。自分が自分ではないようでどうしても居心地の悪さが抜けない。あんなにもこの左目の色が消えるのを待ち望んでいたのに。
「スヴェンさまもきっと驚かれますよ」
不意にスヴェンの名前を出され、ライラの心臓が跳ね上がる。
「う、うん」
起きた時点で案の定、スヴェンの姿もなかった。おそらく彼も知ってはいないだろう。
スヴェンは今晩の迎冬会のために朝早くから城を出ている。彼は片眼異色ではなくなったライラを見てなにを思うのか。なにを言われるのか。
想像すると、胸の奥が痛みだした。うつむくライラにマーシャが心配そうに声をかけるが、頭に入って来ない。
代わりに、スヴェンに言われた台詞が思い出される。
『結婚なんて自分からする気もない。それこそ陛下の命令でもなければ』
『お前を守るために結婚したんだ』
つい数時間前まで、彼に想いを伝えようかと迷っていたのが嘘みたいだ。今はそんな気持ちが微塵も湧いてこない。
痛みと共に突き付けられた。
けっして忘れていたわけではない。自分たちの関係には理由があって、終わりがはっきりしていた。そして、そのときが来てしまっただけだ。
「本当に綺麗に消えるんだな」
マーシャからの報告を受け、ライラは王の前で膝を折っていた。クラウスは不敵な笑みを浮かべながら、ライラの顔をまじまじと見つめる。
ライラは深々と頭を下げた。
「陛下、今まで本当にありがとうございました。無事にこの日を迎えられたのは、陛下のご恩情があってこそです。感謝してもしきれません」
「なに。俺はなにもしていないさ。今まで苦労した分、これからは普通の娘として幸せに過ごせばいい」
それからクラウスはライラの意向を尋ねる。ライラは自分の生まれた村に戻るつもりだと告げた。
「移動手段については、心配しなくていい。こちらで手筈を整えよう」
「ありがとうございます」
王の申し出は正直、有難い。ライラは素直に受け入れる。別れの段取りが確実に進められる中、軋む胸を押さえていると玉座から声がかかった。
「他にも望むことがあるなら遠慮なく言え。お前には多大な迷惑をかけたからな」
フューリエンの血を引く者として背負った運命を、なぜ国王がそこまで責任を感じるのか、ライラには理解できない。
しかし、今はそれを追求するときではない。ライラはしばし迷い、静かに「陛下」とクラウスに呼びかけた。王を見上げ、ためらいがちに口を開く。
「では陛下の慈悲深さに甘えまして、ひとつだけかまいませんか?」
ライラの真剣な面持ちに対し、王は笑みを崩さない。
「いいだろう。お前の望みを言ってみればいい」




