05
連れて来られたのはスヴェンの部屋だった。そっと下ろされ、足元に力を入れてからライラは深呼吸する。
「本当にあいつには、なにもされていないか?」
厳しい声色で問われてライラは慌てて首を横に振る。
「だ、大丈夫。この髪も自分で切ったの。なんとか気づいてほしくて」
自分で脱出するのが無理なら、見つけてもらうしかない。ライラなりに自分の存在を示そうと考えた末の苦肉の策だった。
不揃いな髪先をライラはぎゅっと握る。スヴェンは複雑そうな表情でライラを見た。
「正直、助かった。おおよその場所の見当はついていたが確信はなかったし、しらみつぶしに探すには時間もなかった。そんなとき外を警備する者から報告を受けたんだ」
「……ごめんなさい」
責められたわけでもないのに、ライラは謝罪の言葉を声にする。明日は迎冬会で彼は忙しいはずだ。しかし、それを受けてスヴェンは顔を歪めた。
「お前は、なにも悪くないだろ」
「でもっ」
目の奥が熱くなり、ライラはとっさにうつむく。いつもは顔を覆って隠してくれる髪も今は心許ない。
「謝るのはこっちだ。守ってやれなくて悪かった」
ライラは軽く鼻をすすり、かぶりを振ってスヴェンの言葉を否定する。
「謝ら、ないで。私の方こそ、またスヴェンに迷惑を……」
「迷惑って思うな!」
厳しい物言いにライラは声を呑んで、肩を震わせる。けれど次に感じたのは頬に触れる温もりだった。
ライラが顔を上げると、スヴェンがライラの頬に手を添えたまま真剣な表情で訴えかける。
「お前を守るために結婚したんだ。だから自分を責めなくていい。今回は俺の落ち度だ。……無事でよかった」
慈しむように頬を撫でられ、ライラの瞳から涙がこぼれた。張り詰めていたなにかが切れ、とめどなく目尻から溢れる透明な液体が頬を濡らしていく。
反射的に距離を取ろうとしたが、スヴェンが腕の中にライラを閉じ込めた。力強く抱きしめられ、息も心臓も止まりそうになる。
「こうしてたら見えないんだろ」
『だから私が隠してあげる。大丈夫、こうしていたら誰からも……私からも見えないよ』
いつか自分が彼に放った台詞がこんな形で返ってくるとは思ってもみなかった。優しく頭を撫でられ、涙と共に押し殺していた感情も解放される。
「ふっ……うっ………こ、こわかった。私っ……」
嗚咽混じりでうまく声にならなかったが、今になり恐怖がじわじわと毒となって体を回る。
命の危険を感じたわけでも、直接危ない目に晒されたわけでもない。けれど、体の震えが止まらない。
「もうなにも心配しなくていい。俺がいる」
スヴェンの穏やかで低い声が耳を通して沁みていく。ライラが落ち着くまでスヴェンはライラを抱きしめたままでいた。
スヴェンがライラの元を訪れたのは、胸騒ぎを覚えたのも事実だが、昨夜の件も大きかった。
なにかを話せばいいのか言葉も見つかっていない。気まずくなるだけかもしれないが、自分の中に立ち込める不透明なものが警鐘を鳴らして足を運ばせた。
結果、早々にマーシャを発見し、ライラがいないことに気づくことになった。あのときの感情は、なんとも表現しづらい。
ただ、今こうしてライラが自分の腕の中にいる現実が驚くほどに気持ちを落ち着かせていく。彼女の護衛を任されたからという以前に、スヴェン自身が心底、安堵していた。
ややあってライラは軽く身動ぎし、深呼吸して目元を軽く指でこする。そのタイミングでスヴェンはライラの髪先に触れながら口火を切った。
「それにしても、よく髪を切ろうと思いついたな」
感心というより申し訳なさげな声色だ。ライラはぐっと喉の奥に力を入れた。
「スヴェンのおかげ……なの」
「俺?」
「うん」
顔を上げないままライラは小さく頷く。どうスヴェンのおかげなのかは上手く説明できない。ただ、ずっとライラの胸には彼の言葉があった。
ライラはゆるゆると顔を上げる。思ったよりもスヴェンの顔が近くにあり驚くのと同時に安心できた。だから本音が漏れる。
「スヴェンにどうしても会いたくて……スヴェンなら見つけてくれる気がしたから」
頼りない声と共に、止まっていた涙が再び零れ落ちた。スヴェンはライラの頬に触れ、そっと親指で涙を拭ってやる。
左右で異なる色の瞳を見られても、ライラは顔を背けなかった。そのままスヴェンから瞼に唇を寄せられ、目を閉じて静かに受け入れる。
淡い温もりは涙を止める魔法だった。目を開けて瞬きすると、スヴェンは渋い顔をしていた。
「そういえば、あいつになにを言われたんだ? 結婚とか言ってたのは……」
「あ、あれはね。スヴェンと別れて結婚して欲しいって言われて」
思わぬ発言にスヴェンはあからさまに不快感を顔を露わにした。おかげでライラは慌ててフォローする。
「でも彼が私を好きとかそういうのじゃないの。私がフューリエンで、スヴェンと結婚しているからって理由で……」
あたふたとライラはユルゲンと交わしたやりとりを手短にスヴェンに説明する。ユルゲンがスヴェンに抱いていた劣等感混じりの思いも含めて。
「だから、あまり彼を責めないでほしいの。私も無事だったし」
「お前な、自分の立場をわかっているのか? なんであいつを庇うんだ」
叱責めいたスヴェンの言い分にライラは小さく反論した。
「庇っているわけじゃないけど、でも……あの人の気持ちも少しわかるから」
周りと比べて、勝手に卑屈になって、自分の価値が見えなくて苦しくなる。ライラには覚えのある感情だ。
ましてやスヴェンみたいな人間がそばにいて比較され続けていたら、ユルゲンにも少しは同情の余地がある。もちろん彼の行動は許されるべきものではないが。




