04
「おとなしく眠っていてくださいね」
ユルゲンは空いている方の手に布を持ち、ゆっくりとライラの顔に近づけてきた。ライラは恐怖で顔を引きつらせながらも首を動かして拒否する。
「嫌っ、やめて!」
しかし確実に、ユルゲンの手は自分に伸びてくる。最後は思わず目を閉じて息を止めた。
スヴェン……。
そのとき、なにかが壊れるような乱暴な音が空気を震わせ狭い部屋に響く。勢いよくドアが開いたとライラが認識する前に、鈍い音がして、上に乗っていた重みが消えた。
突然の出来事に目を開けると、徐々に闇が支配しつつある部屋の入口に男がふたり立っているのが視界に入る。
「スヴェン。こんな狭いところで剣は抜くなよ」
「抜くほどでもないだろ」
赤と黒の見慣れた制服。聞き慣れた声。スヴェンとルディガーが共に険しい顔をしている。
スヴェンはすぐさまライラの元に寄り、膝を折ると彼女を窺い労わるように抱き起した。
「大丈夫か? 怪我は?」
矢継ぎ早に質問されたが、ライラは呆然とするばかりだ。今、なにが起こっているのか実感がわかず、混乱で声も出ない。
「ライラ」
名前を呼ばれ、徐々に夢ではないと悟る。余裕のない表情のスヴェンを見つめ、ライラは静かにかぶりを振った。不安から安堵へと気持ちが一気に塗り替わっていく。
スヴェンは自分のマントをライラにかけると、立ち上がり壁を背にしてへたり込んでいるユルゲンに視線を移した。
スヴェンに蹴り上げられ、殴られたユルゲンは頬を押さえながらも、口元には笑みが浮かんでいた。
「やぁ、スヴェン、思ったよりも早かったね。どうしてここが……?」
いつもの穏やかな調子で尋ねるが、スヴェンは冷徹さを湛えた瞳でユルゲンを見下ろす。
「花を残していったのは誤算だったな。あれは自生はほとんどしない珍しいものだ。お前の家の庭で見た覚えがある。城への出入り者は管理しているんだ。お前が城から出ていないのは、わかっていたからな。それに城の東側の尖塔に位置する部屋の鍵束がなくなったと先に報告があがっていた」
「なるほど。あとは彼女の髪でも見つけた、というところか」
ユルゲンは皮肉めいた笑みを浮かべ吐き捨てる。スヴェンは冷たく尋ねた。
「自分がなにをしたのかわかっているのか?」
「ああ、わかっているさ」
ユルゲンは顔を上げスヴェンを見据えた。灰色の虹彩には内に秘めた激情が灯る。
「殴るなり、切るなり好きにすればいい。アードラーが痴情のもつれで内輪揉めなんて傑作じゃないか。ましてや相手はフューリエンだ。いい醜聞になる」
スヴェンは片眉を上げたが、なにも言わない。ユルゲンは血の滲んだ口の端をわずかに上げた。
「なんでも持っているお前に、なにもかも劣っている……なにもない僕の気持ちは一生わからないさ」
「あのっ」
そこでふたりのやりとりを聞いていたライラが声を発した。おかげでその場にいる全員の注目を集める。一瞬、たじろいだライラだが思い切って口を開く。
「私、フューリエンなんて言われながら本当は特別な力なんてなにもなくて……スヴェンが私と結婚したのも事情があってで、彼が望んだことじゃないんです」
さすがにスヴェンが口を挟もうとしたが、その前にライラは早口でユルゲンに向かって勢いよく続けた。
「ごめんなさい。私はあなたのものにはなれないし、結婚もできません。でも……どんな理由でも初めてお会いしたとき、気さくに話しかけてくださって嬉しかったです」
思わぬ話題を振られ、ユルゲンは目を見開いた。ライラはぎこちなくも笑ってみせる。
「いつかお誘いくださったように、庭園を見せてくださいね。ディスプヌーは育てるのが難しい花ですから……きっと丁寧にお世話されているんですね」
そこまで言うと、ライラとユルゲンの間にスヴェンが割って入った。静かにライラの肩を抱いて立ち上がらせる。
「お前が俺をどう思おうが、なにをしようがかまわない。ただ、こいつに手を出すなら容赦しない。俺のものなんだ。次はない、覚えておけ」
言いきってからスヴェンはルディガーに目配せする。
「ルディガー、後は任せた」
「了解。とりあえず彼女を安全な場所へ」
扉のところで待機していたルディガーが軽く背を浮かして答えた。自分の役目はここからだ。
スヴェンはライラの膝下に手を滑らせ、彼女を抱き上げた。突然の浮遊感にライラの頭も心も揺す振られる。
「スヴェン、下ろして! ひとりで歩けるってば」
「いいから、おとなしくしてろ」
さっさと部屋を後にすると、スヴェンは薄暗い階段をゆっくりと下っていく。思ったよりも高さがあり、薄寒い空気は徐々にライラの興奮を引かせていく。
少しばかり冷静さを取り戻したライラは、ずっと気になっていたことをスヴェンにぶつけた。
「マーシャは!?」
「無事だ。今は部屋で休んでいる」
「そっ、か……」
気が抜けて、ホッとしたのと同時に体の筋肉が弛緩する。ライラは無意識にスヴェンにしがみついた。
「私がいなくなったのに、気づいていないと思った」
ひとり言のつもりで呟いた言葉には律儀に返事がある。
「一度、部屋に様子を見に行ったんだ。マーシャが倒れていて驚いたが、その時点で意識もあった。ただお前がいなくなってたから……」
「スヴェン、そういう勘はやっぱりすごいね」
ライラは苦笑する。スヴェンとこうしてなにげないやりとりを交わすのが、ものすごく久しぶりに思えて、なにかが込み上げてきそうになる。
それを必死で我慢してライラは部屋につくまでスヴェンの肩口に顔を埋めたままなにも言わなかった。




