01
「少し、ご気分が晴れたみたいですね」
部屋に戻ってきたマーシャは、顔色が幾分かよくなっているライラを見て安心した。ライラは朝からの態度を詫びる。
「マーシャ。そのっ、心配をかけてごめんなさい。でも、私は大丈夫だから」
お茶の器具を片付けながらマーシャは淡々とした口調で返した。
「なにがあったかまでは聞きませんが、いざとなれば、この私がスヴェンさまにガツンと言って差し上げますから」
「え?」
突然、スヴェンの名前がマーシャから挙がり、ライラは目を丸くする。マーシャは手を止めずに続けた。
「ライラさまがそんな顔をする原因などほかに思い当たりません」
「スヴェンが悪いわけじゃ……」
「だいたい男女間での揉め事は、男が悪いものです」
紋切り口調のマーシャにライラは苦笑する。けれどマーシャの気遣いは十分すぎるほど伝わった。セシリアに話を聞いてもらったときと同じで心が温かくなる。
「ありがとう、マーシャ。でも、スヴェンとはちゃんと話をするから大丈夫だよ」
それを聞き、マーシャはつり上げていた眉と目尻をわずかに下げた。
「なら、いいんです。迎冬会も近くスヴェンさまもお忙しいでしょうが、きちんとお話されてくださいね。ご夫婦なんですから」
ライラは迷いなく首を縦に振る。それからマーシャと迎冬会について話したり、何冊か暇つぶしに持ってきてもらった本で読書に耽ったりして部屋の中で時間を過ごした。
そして昼時を過ぎた頃、前触れもなく部屋にノック音が響きライラは読みかけの本を反射的に閉じた。自分が出るわけにもいかず、マーシャが来客の対応に向かう。
誰だろうか。ライラは心の中で予想しては、すぐに打ち消す。しかし誰かが部屋に入ってくる気配はなく、ややあってマーシャがあるものを抱えて戻ってきた。
手には小ぶりの花束を持っている。とても目立つ色合いだ。形は百合の花弁に似ていているが二回りほど小さい。
色はピンクに近い赤。胸をざわつかせる色で強烈なインパクトを抱かせる。おかげでライラはどこかで見覚えがあった。
「どなたからの贈り物でしょうか? それにしても枯れかかっている花とは失礼ですね」
――枯れかかっている?
「待って、マーシャ!」
マーシャの言葉にライラはとっさに声をあげる。マーシャは花を確かめようと花束に顔を寄せていた。
そしてライラの方を見ようとした瞬間、マーシャの顔が真っ青になり、その場に膝を崩して倒れ込んだ。
「マーシャ!」
そばに寄れば、マーシャは荒い息を繰り返しながら首に手を持っていき、もがく仕草をしている。
そこではっきりと思い出した。この花は『ディスプヌー』という名で、別名『赤の窒息』と呼ばれているものだ。
香りには神経を麻痺させる効果があり、ひとつふたつではたいしたことはないし薬草としても用いられる。しかし花が萎れ、枯れかかっている際にいくつかまとめて香りをかぐと、呼吸困難に陥る事例もあった。
育てるのが難しく、孤児院で育てた経験はないが、ディルクに話を聞き実物を見せてもらったのを思い出した。
ライラは慌ててドアへと寄る。
「すみません、誰か、誰かいませんか!?」
切羽詰まった声でドアの向こうへ呼びかけるも反応はない。ライラは再び倒れているマーシャを見た。苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。
ひとりでけっして部屋から出るな、と言われている。自分の立場もわかっている。けれど――。
ライラは部屋の外に飛び出した。改めて左目を髪で隠し、スヴェンの部屋の方へ足を向ける。迎冬会の準備をしているので、いないかもしれないがあれこれ考えてもしょうがない。
歩調を早め、走り出そうとしたときだった。突然、背後から腕を引かれ、まったく予期していなかった事態にライラの心臓は跳ね上がる。
うしろから抱きしめられるようにして口元になにかが当てられる。抵抗しようにも、回された腕の力が強く、甘くて魅惑的な香りが鼻をかすめ脳に届く。
な、に? 誰? マーシャが……スヴェン。
視界がぼやけ、次第に意識が遠退いていく。体の力が抜け、ライラの思考は深い闇に沈んだ。




