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02

 まだ飲むつもりだろうか、と思ってスヴェンの方を確認すれば、感情を顔には乗せず、まっすぐにこちらを見ていた。


 そしてそのまま腕を引かれ、なぜか唇が重ねられる。


「……え?」


 状況に頭がついていかず、ライラの頭は混乱した。唇にかすかに感じた温もりはなんだったのか。今の流れで予想外すぎる出来事に脳が正常に事態を認識しない。


 対するスヴェンはライラの腕を離さず端的に回答する。


「したくなった」


 その言葉にライラの目は大きく見開かれ、続いて急になにかを考え込む。


「……そういう効果はないはずだけど?」


 使用している薬草類は安眠や精神安定をもたらす効能はあっても、媚薬的な成分はないはずだ。


 真面目に返したライラにスヴェンは虚を衝かれる。けれどすぐに口角を上げた。


「なぜ言い切る?」


「だって」


 説明しようとするライラの口をキスで塞ぐ。先ほどよりもはっきりと唇を重ねられ、ライラはすぐさま顔を離した。けれど頬に手を添えられ、また口づけられる。


 キスは容赦なく続けられ、スヴェンは空いている方の腕をライラの腰に回し、距離を取ろうとするのを阻む。さらにライラを強引に引き寄せ、横抱きにする形で自分の膝の上に乗せた。


「ちょっ……ん」


 なにか言う前に、上を向かされキスで言葉は封じ込められる。こうなるとどうしてもライラの方が分が悪い。


 心臓が激しく打ちつけ、慣れない唇の感触に目眩を起こしそうだ。


 なんとかしなくては、と抵抗しようにも上手くいかない。息継ぎのタイミングもわからず、呼吸もままならない状況だ。精悍な顔がすぐそこにあって、触れてくる手は大きくて温かい。


 流されそうな自分が怖くなる。


 ふと唇が離れ、ライラの滲んだ視界に相手が映る。相変わらずなにを考えているのか表情からは読めない。


 濡れた唇で言葉を紡ごうと息を大きく吸ったところで先に男の方が動いた。


 腕の中のライラを強く抱きしめると、耳元で低く囁いて彼女の名前を呼ぶ。


「ライラ」


 そのまま耳たぶに口づけられ、ライラの体が震えた。スヴェンの唇は彼女の輪郭をなぞっていき白い首筋に添えられる。そして薄い皮膚を軽く吸い上げられ、ライラは反射的に声をあげた。


「ま、待って。お水をっ」


 そこでスヴェンの動きが止まる。狼狽えっぱなしのライラの首元にスヴェンは顔を埋めたまま静かに肩を震わせはじめた。


 意味がわからない。顔を上げたスヴェンは意地悪くライラに告げた。


「お前は本当に騙されやすいな」


 一瞬でライラの頭は真っ白になる。しかしスヴェンが自分を謀ったのだと理解して顔を歪めた。


「……ひ、ひどい」


 ライラはスヴェンから目を逸らす。呼吸の乱れが今になって激しさを増していく。激しく脈打ち、体も熱い。


 涙腺が緩むのを必死に我慢した。


「びっくりした。私、とんでもないもの作っちゃったって」


 責める口調で訴える。ライラ自身何度も試飲したし、マーシャにも飲んでもらった。けれど男性に飲ませたのはスヴェンが初めてだ。


 だから、はっきりと媚薬成分がないと確信がもてなかった。こんな行動を取られ、さらにはあのスヴェンの言い回しだ。


 複雑な感情が渦巻いて、今の自分の気持ちがなんなのかはっきりさせられない。安心したのか、悲しいのか、怒っているのか。もうぐちゃぐちゃだ。


 スヴェンは、ライラの声色にさすがにからかいすぎたと自覚する。なだめようとライラの頭に手を置こうとしたが、すぐに振り払われた。


「やだ! スヴェンなんて嫌い。大っ嫌い!」


 まるで子どもの言い草。しかし思った以上にスヴェンはライラの言葉に動揺した。沈黙が二人を包む。


 ライラは大きく肩を揺らすと、自分の手をそっと口元に持っていった。


「なにも、こんな手の込んだからかい方をしなくても……」


「そのつもりはない」


 ひとり言で呟いた結論は瞬時に否定される。ライラはおずおずと首を動かしてスヴェンを仰ぎ見た。


「なら、なんで?」


「言っただろ、したくなったんだ」


 答えになっていない気がして、さらに尋ねようとした。けれどそれはスヴェンがライラを抱きしめたことで阻まれる。


 ずるい。いつも人の気持ちをかき乱してばかりで、スヴェンはなにも教えてくれない。


 けれど聞く勇気もない。その答えを聞いたところで自分たちの関係は所詮、かりそめのものだ。


 逞しい腕が回され、厚い胸板にもたれかかっていると体格差もよくわかる。こうしているとスヴェンはやっぱり大人の男で変に意識すると、心臓が再び暴れ出しそうだった。


 ライラはわざとらしく違う話題を振ってみる。


「これ、エルンスト元帥やセシリアさんにも振る舞ってもいいかな?」


「なんだ? 俺で試したのか?」


 その反応にライラは顔を上げて抗議した。


「違うよ。スヴェンに一番に飲んでほしかったの!」


 思わず至近距離で視線が交わり、ライラはとっさにスヴェンの胸に顔をうずめる。


「試行錯誤してやっとこの味を出せたの。マーシャに美味しいお茶の淹れ方を教わって、何度も淹れる練習もしてね」


 そこでライラはスヴェンが気にしていた件について、ようやく釈明する。


「エリオットに聞いていたのは、ハーブのアドバイスをもらっていたの。彼も孤児院にいた頃、薬草の世話を一緒にしていたから……」


 スヴェンに隠してまで、こうして行動したのは自己満足かもしれない。


 でも、ほんの少しでもスヴェンが飲んでくれたら、美味しいと思ってくれたら……彼の役に立ちたかった。


「それで、ここ最近、寝つきがよかったのか」


「うん。自分で試すしかなかったからスヴェンの部屋に行く前にね。おかげで効果は実証済みだよ」


「で、今も眠くなっているわけか」


 図星を指され、ライラはわずかに反応した。実はスヴェンに淹れる前に、最後に念のためと自分も淹れて飲んでいたのだ。


 無事にスヴェンに飲んでもらえて、気が抜けたのもある。睡魔は確実にライラの元を訪れていた。


「少し部屋で休んでくる。邪魔してごめんね」


 自分の用事は済んだので、さっさとここを後にしなくては。体勢も大勢だ。ところがスヴェンはライラに回している腕の力を強めた。


「このままでいいから、少し寝てろ」


「で、でも」


 思わぬ提案にライラはあたふたとする。どう考えてもこの姿勢はスヴェンに不自由を強いるだけだ。けれどスヴェンはぶっきらぼうに続けた。


「寒いだろ」


「……この部屋、暖かくない?」


 今日は比較的強めの日差しが部屋の中に降り注ぎ、明るさと温かさをもたらしている。


 スヴェンはなにも答えずライラの頭をそっと自分の胸に寄せた。伝わってくる体温と心音にライラは、これ以上拒むのをやめる。


「スヴェン」


 代わりに名前を呼び、伝えたい気持ちを言葉にした。


「さっき、嫌いって言ってごめんね。あなたには本当に感謝してもしきれないのに。私……」


「謝らなくていい。俺も悪かった」


 遮るように声が被せられ、ライラは目を細める。


「うん」


「なにがおかしい?」


 自然と漏れた笑みに、スヴェンは目敏く気づいて尋ねた。


「これって夫婦喧嘩なのかな?」


 ライラは口元を緩めおかしそうに答える。そして瞳を静かに閉じた。


「無事に仲直りできてよかった」


 スヴェンからの返事はない。けれど頭に手のひらの感触があって、そっと髪を撫でられる。


 スヴェンの方がよっぽど温かい、そう思いながらライラの意識は遠のいていく。


 しばらくして部屋にやってきたマーシャが見たのは目を疑う光景だった。


 部屋の主であるスヴェンはいつも通り机に向かい難しい顔で本を読んでいる。しかし、スヴェンの腕の中ではライラが胸にもたれかかり規則正しい寝息を立てていた。


 マーシャの存在でスヴェンはライラに声をかける。その起こし方もずいぶんと優しい。目を擦りながらこちらを見るライラにマーシャは思わず笑顔を向けた。

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