01
ライラが街に出かけてから、一週間。『温める』という名目でふたりは同じベッドで寝るのが当たり前になってしまった。
といってもここ数日、ライラはベッドに入りスヴェンに抱きしめられるとわりとすぐに夢の中に旅立つので本当に『一緒に寝る』だけだ。
元々寝つきがいい方だとは思っていたが、さすがにろくに話もせずに眠りにつくのが続くのはあまりなかった。
疲れているのか、どこか体調が悪いのか。少なからずスヴェンはライラの体調を気にしていた。
今日は珍しく午後から任務も用事もない。一瞬、ライラに会う考えが過ぎったが、すぐに振り払う。
自分らしくもないと嘲笑した。自室で目を通しておきたい書類と本でも読もうと思い直し部屋に向かう。
日中、ライラはマーシャと客間で過ごしているから自分の役割は基本的に夜だけだ。
スヴェンは自室で椅子に座り、ふとベッドに視線を向けた。正直、睡眠時間は短いが、前よりも眠れているのは事実だ。
おかげでより頭も冴え、仕事の進捗具合も良好だった。間違いなくライラのおかげなのだが、口にはしていない。本人はどう思ってるのか。
『今日は私が温めてあげる。とりあえずベッドに先に入って温めておいたの! よかったら使って』
笑顔でまっすぐに告げてきたライラを思い出し、スヴェンはつい笑みが零れそうになった。なにひとつ疑いもせず真面目で、純粋で。自分とは真逆だ。
そういうところが鬱陶しいと思っていたのに、いつのまに彼女を受け入れるようになってしまったのか。
考えを巡らせていると部屋にノック音が響いた。短く返事をすると予想外の人物が顔を出す。
「スヴェン。今、少しいい?」
昼過ぎ、この時間帯にライラが自分を尋ねるのは珍しい。なにかあったのか身構えるが、ライラの雰囲気からしてそういう事態ではないのが窺えた。
「ああ」
中に入るのを許可すると、彼女に付き添っていたマーシャも現れる。今日のライラの格好は黒味がかった赤のワンピースだった。
生地が少し分厚めで胸元とスカート部分の裾は白い。髪はマーシャの手により今日も右耳下で緩くひとつにまとめられている。
「今日、午後の時間は空いてるって聞いて……。よかったらお茶しない?」
まさかの提案にスヴェンは目をぱちくりとさせる。そして、おずおずと説明するライラの後ろでマーシャはお茶の器具をてきぱきとセットしていく。
こちらはまだ返事をしていないのにだ。
「いいじゃないですか。奥様がお淹れになるんです、少し休まれては」
心の中を読んだのか、スヴェンの方を見ずにマーシャは手を動かす。そして準備が整い、ふたりにそれぞれ目を向けた。
「スヴェンさまがおりますし、私は席をはずしますね。また片付けに参りますから」
「ありがとう、マーシャ」
「かまいませんよ。では失礼いたします」
丁寧に頭を下げ、マーシャは部屋を去っていった。見送ったライラはスヴェンに向き直る。
「頑張って淹れるから、飲んでくれる?」
緊張した面持ちのライラにスヴェンは軽く息を吐いた。
「断るって選択肢はあるのか?」
「で、できればない方向で」
「なら、いちいち聞くな。するなら早くしろ」
ライラは顔をぱっと明るくさせ、お茶の支度に取りかかる。スヴェンは書類に意識を戻した。
誰かがそばにいるのは不快でしかなかったし、ずっと避けてきた。なのに今は、ライラの気配がすぐそこにあって、お茶を淹れようとせわしく動いている。
それを許したのはほかでもない自分自身だ。
慣れとでもいうのか。彼女の存在が自然と馴染む。お茶のいい香りが部屋の中を漂うまでスヴェンは自分の作業に没頭した。
「スヴェン」
ふと声をかけられ、顔を上げると机の端にティーカップが遠慮がちに置かれた。
「どうぞ」
銀の細工がされている白のカップには、透明感のある琥珀色の液体が注がれていた。普段飲む紅茶よりも鮮やかな印象だ。薬草的な香りがするが、鼻につくものでもない。
「なにが入っているんだ」
「それは飲んで当ててみて」
悪戯っ子のような笑みをライラは浮かべる。追及しようか悩んだが、スヴェンはおとなしく自分の方へカップを寄せた。
スヴェンがカップに口づけるのを、ライラは表情を硬くして見守る。まるで試験だ。
カップの中の液体を口に含めば、苦味よりも酸味を先に感じる。しかし、とげとげしさはなくまろやかで飲みやすい。舌の上を滑り、じんわりと喉を潤していく。
スヴェンが一口飲んだのを確認し、ライラは口を開いた。
「どう?」
「悪くはない」
「美味しくない?」
「そうは言ってないだろ」
「じゃぁ、美味しい?」
「……」
息つく間もなく尋ねてくるライラにスヴェンは押し黙る。なにをそこまでムキになっているのか。しかし否定されないのを肯定と受け取り、ライラはよやくホッとした表情を見せた。
「そっか、よかった」
「不味いものでも飲ませる気だったのか?」
「まさか! でもスヴェンが受けつけてくれる味か不安だったから」
ライラは目を細めて答える。スヴェンはさらにカップに口をつける。しかしここでライラが予想もしない反応をした。
「あ、待って。それ以上はストップ」
思わずスヴェンは目を見開き、怪訝な顔でライラを見た。するとライラは視線を逸らし、ややあって渋々といった感じで白状しだす。
「……実はね、それシュラーフが入ってるの」
スヴェンは再度、カップの中の液体に注目する。あれはかなり独特の味がするというのに、まったく見抜けなかった。そんなスヴェンにライラは種明かしをする。
「シュラーフ単体だと飲みづらいから、ほかの薬草と合わせてみたの。薬草園のものだけだと限界があるから、合いそうなハーブとかと組み合わせてみて……」
ライラはこの城に来たときから時間があれば薬草園にも足を運び、自分のできる範囲で植物の世話をしていた。
おかげで荒れ放題だった内部は随分とすっきりし、冬が近づいているので少しばかりだが花を咲かせたものもある。
ライラはにこやかに説明を続けた。
「それからね、生で使うとどうしてもえぐみが出るから、乾燥させたものを試してみたの。あとは配合や淹れ方を色々変えて、ようやく飲んでもらえるものになったから」
そこでスヴェンはここ最近のライラの行動に納得がいった。
「お前が街に行って薬種店で買い物したかったのは、このためだったのか?」
だとしたら、とんだお人好しだ。もっと自分のために、なにか欲しいものがあるからだと思っていたのに。
スヴェンの問いかけにライラはしばし目を泳がせる。
「うーん。でも知り合いに会いたかったし。それにグナーデンハオスの様子も見ておきたかったから、だから……」
言葉尻を弱くしてライラは答える。肯定も同然だ。
しかしライラとしては自分が好きでしたことなので、大きなお世話だと捉えられるのも重々承知していた。
恩着せがましくするつもりも、押しつけるつもりもない。ただ……。
「スヴェンに少しでも気に入ってもらえたら嬉しいなって。シュラーフを入れないレシピもあるから、嫌いじゃないならそっちに淹れ直すけど」
そう言ってカップを引き下げようとスヴェンの方に回り込む。まだ中身は残っているが、味見程度にと思っていたので十分だ。
今、彼を眠くさせるわけにもいかない。
「もしよかったら寝る前にまた飲んでくれたら……」
言いながら椅子に座っているスヴェンの前に手を伸ばす。ところが、カップに触れる前にライラの腕は急に捕えられた。相手は言うまでもない。




