04
自室で私服から団服に着替えたルディガーは一直線にアードラーの部屋に向かった。自分に宛がわれた部屋ではない、同じ役職に就くもうひとりの男の部屋だ。
「戻ったぞ」
形だけのノックをして、返事を待たず中に足を踏み入れる。机に座り書類に目を通していたスヴェンは、ルディガーの態度をさして気にもせず顔を上げた。
「大きな問題はなかったか?」
「問題もトラブルも特にはなし。ただ、強いて言えばお前だよ、お前!」
「なんだ?」
珍しくルディガーが投げやりな口調になる。スヴェンの元まで長い足を動かしさっさと距離を縮めた。机を挟んで正面に立ち、あれこれ言おうとしたが、すんでのところでやめる。
自分に言い聞かせるかのように軽く首を振った。
「いや、いい。スルーされたら、されたでそこまでだしな」
「だから、なんなんだ」
事態が飲み込めないスヴェンが不機嫌な声で聞いた。ルディガーは頭に手を添え、息を吐く。
「とりあえずライラの反応次第だと言っておく」
ますます意味が理解できない。下から睨みを利かせたが、スヴェンが口を開く前にルディガーが頭から手を離して真面目な面持ちで続けた。
「セシリアからの話だ。寄った店は薬種店のみだが、その後に彼女、グナーデンハオスに行ったらしい」
「それは」
「接触はもちろんしていない。遠巻きに見ていただけだ。一応、伝えておく」
スヴェンは口元に手をやりしばし思案する。しかし、今はとにかく目の前の仕事に集中しようと頭を切り替え話を振った。
「こっちは、東側に位置する尖塔の部屋の鍵束がなくなっていると報告があった」
「尖塔の鍵? なんでまたあんなところが……ほとんど使っている部屋はないだろ」
「だから、妙なんだ」
アルント城にはいくつもの尖塔があり、昔は敵襲に備えた見張り部屋として使われていた歴史もあったが、今はその役目はほとんど必要ない。
日常的にあまり使われる部屋でもないが、定期的に掃除し見回りもしている。西と東に分かれて鍵をまとめて管理していたが、こんなことは初めてだ。
「誰か清掃担当の者が持っているんんじゃないか?」
紛失は大きな問題だが、今すぐどうなるというものでもない。ルディガーの言い分も可能性としてないわけではない。とりあえずしばし様子見することになった。
「にしても、あいつが行きたかったのは薬種店だけだったのか」
珍しくスヴェンから話題を戻すと、ルディガーが苦笑した。
「店主が昔からの知り合いだったらしい。にしても年頃の女性だし、もっと違うものを欲しがるのかと思えば……。彼女らしいと言えば、それまでだけどな」
スヴェンは机に肘をつき顎に手を添え考えを巡らせる。その様子を見かねたルディガーが声をかけた。
「気になるなら後は自分で彼女に聞けばいいだろ。奥さんなんだから」
ルディガーの発言が耳を通り過ぎる。大きな問題もトラブルもなくライラの目的が達成できたのならかまわない。とくに本人から聞きたい話もない。
しかし、どうしてかスヴェンの心にはなにかが引っかかっていて、不快感が胃を重たくする。そこでなんとなくライラの笑顔が頭に過ぎった。
あれを見れば、少しは楽になるのか。彼女が嬉しそうに笑えば、幾分かこの気分は晴れる気がした。
今日中に片付けるべき仕事を終え、スヴェンが自室に戻るとぱっと見ライラの姿はなかった。しかしドアの前でマーシャが待機していたし、ランタンの明かりが点いているので、ここには来たのだろう。
一瞬部屋の外に意識を飛ばしたが、すぐに中で人の気配を感じる。団服を脱ぎ上は白いシャツ一枚になると、おもむろにベッドに近付いた。
「スヴェン」
ベッドの中に身を沈めていたライラがひょっこり顔を出す。珍しい光景だった。たいてい彼女は先に部屋にやって来ても、こりずにデュシェーズ・ブリゼを使っていたからだ。
「起こしたか?」
「ううん。スヴェンを待ってたの」
そう言ってライラはゆっくりと身を起こす。ローブはまとっておらず薄い夜着のみだが、シーツを肩からかぶっていた。手櫛で大雑把に髪を整え、スヴェンを見上げる。
「あのね、今日は街に行ってとても楽しかったし、欲しかったものも買えたよ」
ライラは控えめに、けれど声を弾ませ告げた。笑顔のライラにスヴェンの心もわずかに和む。
「エルンスト元帥やセシリアさんにはもちろん、スヴェンにも感謝してるの。本当にありがとう」
そこでライラは、はっと思い出した顔になった。
「お金、あまり使わなかったけど残りを返すね。あと、借りていた短剣も」
「いい。あれは護身用に常に持っておけ」
ライラは眉をヘの字にする。普段から持っておくには、なんとも緊張する代物だ。けれど拒否はしなかった。
自然とスヴェンの手が伸び、ライラの頭に触れる。しかし次にライラの口から紡がれた言葉にスヴェンの手も、思考も止まった。
「それでね、ジュディスさんって人に会ったの。とっても綺麗な人」
ライラの声のトーンは変わらない。逆にスヴェンはわずかに顔を強張らせた。それにライラは気づかず続ける。
「スヴェンに伝えてほしいって言われたの。夜も寒くなるし、いつでも温めてあげるって」
ここでスヴェンはようやく先ほどのルディガーの言わんとした内容が理解できた。ライラの反応次第だと告げてきたわけも。
しかし、スヴェンには今のライラの考えも感情も読めない。動揺を顔には出さずに黙っているとライラはかぶっていたシーツをゆっくりと離した。
「だからね」
細い肩のラインが現れたかと思えば、長い茶色の髪が隠す。合間から覗く白い肌にスヴェンが目を奪われているとライラの唇が動いた。
「今日は私が温めてあげる。とりあえずベッドに先に入って温めておいたの! よかったら使って」
まさかの申し出にスヴェンは目を見開いて固まる。一方、ライラはどこか得意げだ。
「あのね、寒くなって冷たいベッドだとなかなか寝つけないだろうけど、アルコールに頼るのはよくないよ。体温が上がって眠気を感じても睡眠の質はよくないから」
子どもに言い聞かせる口調で説明するが、スヴェンからの反応はない。今度はライラがスヴェンを窺う番になった。
ややあってライラは自分の目を疑う。
「な、なんで笑うの!?」
軽く噴き出し、口元を押さえたスヴェンの姿にライラは戸惑いが隠せない。この堅物な男が笑う姿など想像もできなかった。
満面の笑みとは言えないが、表情は柔らかく目を細めてライラを見下ろしている。予想外すぎるスヴェンの態度にライラは逆に気恥ずかしくなった。
「あの、一応湯浴みして綺麗にしておいたんだけど……」
フォローも意味不明だ。とにかくベッドを温めておこうと思い行動に移してはみたが、冷静になればスヴェンが人の使ったベッドに素直に入る性格とも思えない。ましてや自分の後だ。
冷たく一蹴されないだけマシなのかもしれない。また余計なことをしてしまったと反省と後悔の気持ちがライラの胸に今更押し寄せる。
「ごめんなさい、私」
急いでベッドから下りようとしたライラだが、不意に腕を取られた。スヴェンがベッドに膝をつき、ライラを正面から抱きしめたのだ。
「え?」
「温めてくれるんだろ」
耳元で囁かれたかと思えば、ライラの体は勢いよくベッドに沈んだ。二人分の体重を受け、振動が直に伝わる。ライラはスヴェンの腕の中に閉じ込められたままだった。
「こっちの方が手っ取り早い」
吐息を感じるほどの距離に、ライラはパニックを起こしそうになる。回された腕の逞しさも密着して伝わる体温もいつもよりもずっと近くて、すべてが心臓を痛めつける。
呼吸困難に陥りそうだ。
「は、な、して」
切れ切れに懇願し腕に力を入れてみるが、びくともしない。それどころか強く抱きしめ直され、低い声で返される。
「嫌だと言ったら?」
「なん、で?」
わからない。この状況に頭も気持ちもついていけず、どうすればいいのか思考も働かない。
「お前が言い出したんだろ」
けれど、スヴェンから返ってきた言葉にライラは少しだけ落ち着きを取り戻した。
「……スヴェンの温めるってこうすることだったの?」
ライラの切り返しにスヴェンは言葉を詰まらせる。その間、ライラの頭には脳裏に焼きついた艶っぽいジュディスの姿が浮かんだ。
なら、あの人とも……。
冷たくて暗い感情が渦巻きそうになったそのとき、額に唇の感触があってライラは我に返った。反射的に身動ぎするとスヴェンのぶっきらぼうな声が耳に届く。
「夫婦だからこういうのもいいんじゃないか?」
なぜだかその言い分にライラの心を覆いそうになっていた暗雲が消えていく。わずかに体の力を抜くと、スヴェンはぎこちなくライラの髪を撫で始めた。
「スヴェンは寒がりなの?」
「どうだろうな。その点、お前は子どもみたいに体温が高いな」
今、体が熱いのは間違いなくスヴェンのせいなのだが、それは口にはしなかった。
顔を上げると至近距離で視線が交わり、ライラはすぐさま再びスヴェンの胸に顔をうずめる。
「どうした?」
「……両目を見られるのは好きじゃない」
スヴェンの問いかけに対し、ライラは弱々しく白状する。いつも髪で隠している金色の瞳も寝るときばかりは上手くいかない。
「左右で目の色が違うのって、やっぱり不気味だと思うし」
『いい、ライラ。目について言われたくないなら左目は髪で隠しておきなさい。聞かれたら病気で悪くしたって言うのよ』
孤児院に来た頃、目を不思議がられたり、からかわれて落ち込むライラにシスターは強く言い聞かせた。
見えるから言われるなら、隠せばいい。ずっとそうやってこの目と付き合ってきた。
「珍しくはあるが、不気味ではないだろ」
そこで発せられたスヴェンのきっぱりとした物言いは、普段通りだった。
「この目のせいであれこれ言われて、フューリエンだの煩わしい思いしかないだろうが、それは周りが好き勝手言ってるだけだ。お前が悪いわけじゃない」
スヴェンの声色には下手な慰めや励ましというものは感じられない。だからこそライラの心にすとんと落ちてくる。
じわじわと頑なななにかが溶かされていく。
「スヴェンは……嫌じゃない?」
消え入りそうな声で聞けばそっと頭を撫でられた。
「そうだな。だから俺とふたりでいるときくらいは気を張らなくていいぞ」
おずおずとライラはスヴェンの胸から顔を離し、上目遣いにスヴェンを見る。それだけの動作にひどく慎重になる。
スヴェンはライラの顔にかかる髪をそっと搔き上げてやった。すると異なる色の瞳が不安げに自分を捉える。
「本当に月みたいだな」
王も例えていたのを思い出す。けれどなにげない感想にライラは眉を曇らせた。
「でも……好きじゃないんでしょ?」
彼が月にいい思い出がないのは知っている。つらい記憶を蘇らせるのは不本意だ。
「今はそうでもない」
さらりと否定されライラは思わず目を見開く。ゆるやかにスヴェンの整った顔が寄せられ、とっさに目を閉じると左瞼に口づけが落とされた。
続けて彼女の瞳が姿を現したとき、今度は躊躇いなくライラは両目でまっすぐにスヴェンを見据えた。
「初めて」
ぽつりと呟かれたが、スヴェンには意味が理解できない。泣きそうになるのを我慢しライラは笑った。
「伯母さんの前で以外、初めて。瞳を気にせずにいられるの」
感情が昂ってなにかが溢れそうになる。込み上げる気持ちを唇をぎゅっと結んで耐えた。
「ありがとう、スヴェン」
「礼はいらないから、このままおとなしくしてろ」
慣れとでもいうのか、あんなに緊張していたのに、いつのまにかこの体勢と温もりがライラには心地よくなっていた。スヴェンはどうなのだろうか。
「でも、眠くなってきちゃった」
「寝ればいいだろ」
「スヴェンに寝てほしかったのに……。今日の話もまだ……」
言いながらライラの瞼は徐々に重たくなってくる。声も上手く出せない。
「明日、聞くからもう休め」
スヴェンは器用に自分たちにシーツをかける。安心してライラが目を閉じると、再び瞼に温もりを感じた。
「ちゃんと……寝てね」
返事はなかったが、唇になにかが触れた。その正体を確認する間もなくライラは夢の中に落ちていった。




