03
しばらく話が盛り上がったところで開けた場所に出た。辺りは家がまばらになり、いくつかの木々が影を作り田園風景が広がっている。
中心部と比べると賑わいはないが、のどかな雰囲気だ。
ライラは前方に視線と意識を向け足を動かす。左手には農場があり家畜の放つ匂いや気配を感じる。そしてアーチ型の薄緑色の屋根が目に入った。ライラの育った場所であるグナーデンハオスだ。
ここを出てまだ半年ほどしか経っていないはずなのに、ライラにはものすごく久しぶりの帰郷に思えた。
そこで右手にある庭の方から人の気配を感じたので、ライラはセシリアと共にとっさに近くの木の影に身を潜めた。
十代後半の少女と十歳前後の少年ふたりが籠をもってなにやら話している。
「アル、ナイーフ全部売れてよかったね」
「今年は豊作ね」
少年に対し少女は穏やかに微笑む。
「エアケルトュングもいい感じだよ」
「あれは葉に小さな棘があるから気をつけなきゃだめよ」
腰を屈め言い聞かせる少女に少年は口を尖らせた。
「わかってるよ。アル、ライラみたい」
「しょうがないでしょ。今は、私が一番お姉さんなんだから」
「アルー! ザックー!」
建物の中からほかの子どもたちがふたりの元へ駆け寄ってきた。ライラの知っている顔もいれば初めて見る子どももいる。けれど皆、笑顔だ。
少し離れた場所からライラはその様子を見守る。なにを話しているのかは聞こえないが、懐かしいあの場所に飛び込んでいきたい衝動に駆られるのをぐっと堪えた。
「みんな、元気そうでよかったです」
「あの、これ以上は……」
「わかっています。姿を見せるのも、声もかけるのもしません」
ぎこちなくたしなめようとするセシリアにライラはきっぱりと答えた。声には固い決意とほんの少しの寂しさが混じる。
きっと彼らもシスターも事情を話せば、またライラを喜んで受け入れるだろう。しかしフューリエンとして自分の噂が立ってしまった以上、関わるのは危険だ。
「いきましょうか。約束の時間もありますし、お付き合いくださってありがとうございます」
にこやかにセシリアに礼を告げると踵を返し、ライラは後ろ髪を引かれながらもその場から離れた。
太陽が西に傾き始めた頃、広場の決めていた店の前にはルディガーの姿が先にあった。二人組の若い女性に声をかけられ笑顔で対応している。
しかしライラたちに気づくと視線を寄越し、手を上げた。自然と彼女たちの目もこちらを向く。ライラを庇うようにここでセシリアは前に出た。
案の定、女性たちからは不服そうな眼差しを注がれたが、セシリアは涼しい顔でルディガーに近づく。
「ごめんね、彼女が来たから。また楽しい話を聞かせてくれると嬉しいな」
不満げながらも渋々女性たちが去ってからセシリアは上官に話を振った。
「もう少し後から来た方がよかったですか?」
「いや、絶妙のタイミングだったよ。なかなか面白い話が聞けた。そっちはどうだい? ライラはお目当てのものは手に入れられたかな?」
ルディガーに尋ねられ、ライラは精一杯の感謝を伝える。
「はい。今日はありがとうございました」
自然と紙袋を持つ手に力が入った。そこにセシリアが口を挟む。
「ちなみに彼女たちから聞いた面白い話とはどういうものですか?」
「それは、あとでふたりきりになったらゆっくり話そう」
「いちいちそういう言い方はやめません?」
「エルンスト元帥」
セシリアがため息混じりに返したとき、この場にいる誰でもない女性の声が割って入った。色香漂う大人の女性が妖艶な笑みを浮かべている。
ライラが今までにあまり出会った経験のないタイプだ。ミルクティーを連想する柔らかくて細いふわふわの髪は腰まであり、体のラインがくっきりと出るワンピースはどちらかといえばドレスに近い。
胸元と肩が大胆に開いていて、控えめなローズピンクの生地が彼女の肌にはよく似合っている。
「やぁ、ジュディス。久しぶりだね」
ルディガーが卒なく対応すると、ジュディスと呼ばれた女がゆるやかに口を開いた。化粧をしっかり施し、口に引かれた紅の色が彼女の唇の動きを際立たせる。
「最近、全然寄ってくれないから。今日はプライベート?」
「さぁ、どうだろう?」
そこでジュディスの目がセシリアとライラに向けられた。視線が交わり、ライラはドキッとしたが、すぐにジュディスはルディガーに向き直った。
「バルシュハイト元帥は一緒じゃないの?」
「あいにくね」
まさかここで彼女の口からスヴェンの名前が出るとは思ってもみなかったので、ライラの心は意識せずとも大きく揺れる。
動揺を顔に出さないようにしていると、ジュディスはわずかに顔を歪めた。けれど彼女の美しさが損なわれはしない。
「そう、残念。ずっと顔を見ていないのに。なら彼に伝えて。夜も寒くなるし、いつでも温めてあげるからって」
ルディガーは苦笑して、一瞬ライラの方を窺った。けれどライラにはジュディスの発言も、ルディガーの視線の意味もよくわからない。
しかし目の前の彼女がスヴェンの知り合いなのは、はっきりと理解できた。なんとなく親しい間柄だというのも。
「彼女はここらへんで一番大きい大衆酒場で働いていてね。あの外見だから言い寄る男も多いし、なにかと情報通で……」
ジュディスが去った後、聞かれてもいないのにルディガーがライラに気まずそうに説明する。セシリアは余計な口を挟まず、難しい顔で事の成り行きを見守っていた。
「綺麗な人でしたね」
ぽつりとライラは呟く。憧れというより、モヤモヤした気持ちが晴れない。彼女がなにをしたというわけでもないのに、心の奥底をべったりとした手で触られたような不快感だ。
自分の心に棘が生えて勝手に痛んでいる。ライラは正体不明の感情を振り払うべく、お目当ての薬草の入った紙袋をぎゅっと抱え直した。
しばらくその場にはジュディスの甘い残り香が漂っていた。
城から来たときと同様に、帰りもライラはセシリアのうしろに乗せてもらう。城が山の上にあるからか夕日を背にして馬は斜めになっている道を力強く駆け抜けていく。
到着した頃、太陽の消えた空は徐々に紫色に染まりだしていた。
馬から降りてセシリアとルディガーにライラは再度お礼を伝える。セシリアの申し出で部屋まで付き添われることになり、なにからなにまで恐縮するばかりだった。
扉の前で挨拶を交わしてから、ライラはドアをノックする。中を覗けば、丁寧に部屋の掃除をしていたマーシャがライラに気づいた。
「おかえりなさいませ、ライラさま」
「ただいま、マーシャ!」
飛び跳ねそうな勢いでライラはマーシャの元へ近づいた。
「久々の街は楽しめましたか?」
「うん。お目当てのものも買えたし、もう大満足。行ってよかった」
「それは、よかったですね」
かすかに目を細め、目尻の皺が深くなったマーシャにライラは紙袋の中から小さな花束を取り出した。白と黄色の可憐な花たちだ。
「これ、少しだけどマーシャにお土産」
マーシャは意外そうに目をぱちくりとさせてライラから手のひらサイズにまとめられている花を受け取る。
「ありがとうございます」
「ゲルプの花は小さいけれど香りがよくて、リラックス効果もあるから」
「せっかくですしお部屋に飾りましょうか」
そこまでたいそれたものでもないが、マーシャの提案にライラは笑顔になる。マーシャもまた花を眺め顔を綻ばせた。
そしてライラは躊躇いがちに切り出した。
「あの、実はマーシャに相談というか、お願いがあるの……」




