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05

 日が落ちるのもずいぶんと早くなってきた。スヴェンが業務を終え自室に向かうと、ライラは約束通り起きて待っていた。


 ベッドに腰掛け、両腕を思いっきり上に伸ばしたり、自身の肩をほぐしたりしている。


「スヴェン、おかえりなさい。お疲れさま」


 スヴェンを視界に捉え、ライラは明るく声をかけた。彼女の服装はいつも通り薄い夜着にローブを羽織っている。


「寝違えたのか?」


「まだ寝てないよ」


 からかい交じりのスヴェンにライラはむすっとして答える。


「ホッとしたからかな。今になって体中の関節とか筋肉が痛くなってきちゃった」


 湯浴みの際も体をほぐすようにじっくり浸かったのだが、どうも違和感が拭えない。それも今更感じるのだから、ライラとしてはおかしかった。


「今回の件、ずっと黙っていてごめんね」


 思い出したようにライラはスヴェンに謝罪する。自分の肩に回していた手を膝の上に戻した。


「べつに。大方予想はしていた。お前は単純だからな」


 その回答に安心するべきか、怒るべきか。ライラが反応に困っている間、スヴェンはゆっくりとベッドに近づく。そしてライラの正面に立った。


「ただ、あの馬を手なずけるのは相当な手間だっただろ」


 ライラは視線を落とすと、悲しげに笑った。


「そんなことないよ。……なんていうのかな、私の自己満足。勝手にあの子を自分と重ねたの」


 人間を拒否する姿は、この瞳についてあれこれ言われて心を閉ざしていた自分を思い出す。傷つくくらいなら最初から深入りしない方がいい。


 それでいいはずなのに、やっぱり必要とされたくて、本当の自分を見て欲しくなる。矛盾している気持ちは一歩踏み出さないとなにも変わらない。


「少しだけ嬉しかった。誰かの、なにかのために頑張るのってずっとなかったから。だから、あの子のためっていうより自分のためだよ」


「その自己満足で、あの馬は使えるようになったんだ。誰も損はしていない」


 厩舎に通い詰め、ライラは鹿毛の馬と心通わすのに必死だった。なんとかこの馬本来のよさを引き出したい。エリオットのアドバイスを受けながら、世話をするところからはじめた。


 体を動かすのは好きだし、時間も十分にある。孤児院でも動物の飼育はしていたので抵抗もなかった。


 ライラの提案を最初はいい顔をしなかったエリオットだが、なんだかんだで面倒を見てくれた。彼には本当に感謝している。


 けれど最終的にはスヴェンの判断次第だ。懇願するのは簡単だが、それは違うと思いライラはスヴェンに余計な話はしなかった。


 目の前で証明し、納得してもらうしかない。チャンスは一回きりだ。そんな緊張をずっと背負っていた。同時に言い知れない後ろめたさを感じていたのも事実だ。


「……ありがとう」


 スヴェンの言葉に純粋に気持ちが軽くなる。彼が余計な優しさを持ち合わせていないのを知っているから、素直に受け取ることができた。


 最初はずっと冷たいだけだと思っていたのに……。


「とりあえず、そのローブを脱げ」


「え?」


 突然の指示にライラは目を丸くする。もう寝ろという意味なのか。


「そんなに凝ってるのか?」


 固まっているままのライラをよそに、スヴェンはライラの肩に手を伸ばした。


「わっ」


 躊躇いもなく触れられ、思わず悲鳴にも似た声をあげる。ローブ越しに右肩に大きな手が置かれ、ライラは動揺が隠せなかった。


 スヴェンはまったく気に留めない。それどころかライラの首元で緩く結ばれているローブの紐に、空いている方の手をかける。


 あっさりと紐をほどくと、合間から手を滑らせライラの肩に直に触れた。


「んっ、ちょっと!」


 肌に触れられた驚きでライラは反射的に強めの声で制する。しかし遅い時間ということもあり、すぐに口をつぐむ。


「たしかに凝ってるな。熱も少し持ってる」


 ライラに触れながらも、スヴェンは冷静そのものだった。それが逆にライラの恥ずかしさを増幅させる。


 骨ばった手は思った以上に温かく、触れ方も優しい。とはいえ異性にこんなふうに肌を触られた経験は皆無だ。


 触れられたところが熱を帯びるのに対し、鳥肌が立つ。わけがわからない。心臓が破裂しそうに脈打ち、体が勝手に反応する。


「この機会に少し鍛えてみたらどうだ。ない筋肉を酷使したからだろ、揉んでやろうか?」


「いい、平気!」


 下を向き、突っぱねてイラは叫んだ。スヴェンは気にする素振りもなく、ライラに触れ続ける。気づけば両方の手で肩からなぞるように肌を撫でられていた。


「ん」


 ぎゅっと目を閉じて、漏れそうになる声を必死で堪える。すると、触れられていた手の動きがふと止まった。


「そこまで嫌がらなくてもいいだろ」


「い、嫌がってるわけじゃ……」


「なら、なんだ?」


「なにって」


 そこでライラはおそるおそる顔を上げた。腰を屈めてはいるが、自分より高い位置にいるスヴェンの顔は不機嫌そうだった。


「あの男には自分から触れておいて?」


 持ちだされた話題にライラは目を瞬かせる。すぐになんのことか理解できなかったが、厩舎前でエリオットに抱きついたことを思い出した。


「あ、あれは……。エリオットは私にとっては家族みたいなもので」


 そもそも触れ方が全然違う。あたふたと言い訳すると、スヴェンはライラに顔を近づけ皮肉めいた笑顔を向ける。


「家族、ね。なら、俺たちはなんだ?」


 体勢や状況も相まってライラには、どう答えるべきなのか判断がつかない。混乱しているライラの頤になにげなくスヴェンが手をかける。


 強引に上を向かされると、相手の瞳に映る自分の姿が確認できそうなほどの距離でふたりの視線は交わった。


「……夫婦だろ」


 確認するように強く言いきられ、ライラはしばらくスヴェンの顔を見つめたままでいた。


「そ、そうだね」


 ややあって弱々しく同意する。それからライラにとっては予想もしていないことが起こった。


 スヴェンの整った顔がさらに近づき、唇が重ねられる。目を閉じることもできず、逆にライラは大きく目を見開いたまま硬直した。


 すぐに唇は離れたが、ライラの頭は働かない。されたことも感触も、実感が湧かない。


 そんなライラから至近距離を保った状態でヴェンは不敵な笑みを浮かべ尋ねた。


「どちらがよかった?」


「え」


 あまりにも掠れた声に、自分で音になったかどうかライラにはわからなかった。けれど今はどうでもいい。スヴェンは表情を崩さない。


 そして彼の形のいい唇が動く。


「俺とあいつと」


 言い終わると同時に再び唇が重ねられる。さすがに今度は抵抗を試みようとしたライラだが、スヴェンにきつく抱きしめられ阻まれる。


 それどころか体重をかけられ、そのまま後ろに倒される。覆いかぶさられる形になり背後にはベッドの感触を受け、ますます逃げられない。その間もスヴェンからのキスは続けられたままだった。


 引き結んだライラの唇をほどくように、何度も角度を変えて口づけられる。息するタイミングさえ掴めず、ライラの胸は苦しさでいっぱいになった。


 けれど乱暴に扱われている感じはせず、口づけられながら慈しむように頬や頭に触れる手は心を落ち着かせていく。


 涙が滲みそうになったところで、ゆっくりとライラは解放された。


 キスする前とは一転して、ライラを見下ろすスヴェンは複雑そうな顔をしている。なにか言いたいのになにを言えばいいのかわからない。


 その前に声が出せない。ライラは肩で息をして、必死に肺に空気を送り込む。荒い呼吸の音だけが部屋に響いた。

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