02
ライラとは夜を共に過ごすものの、ここ連日はあまり会話らしい会話を交わしていない。
スヴェン自身が疲れているのもあるのだが、ライラも寝つきがよくマーシャに連れられスヴェンの部屋を訪れると、すぐにベッドに向かいさっさと眠ってしまう。
不満もなにも感じない。むしろスヴェンの望んでいた最低限の接触だ。必要なのは護衛という形で夜の間、彼女のそばに誰かが、自分がいればいいだけの話だ。
なのに、どうしてかスヴェンはすっきりしない気持ちで部屋に向かった。ルディガーが余計なことを言ってきたからだろうか。
原因もはっきりせずに、喉に小骨が引っかかったような不快感が消えない。
歩みを進めていると、部屋の前には見慣れた人物が立っていた。近づくにつれ、灯された蝋燭の明かりで輪郭が浮かび上がる。
「おかえりなさいませ、スヴェンさま」
そこにいたのはライラの世話係をしているマーシャだった。皺ひとつない服装とまっすぐな背筋は彼女の気質をよく表している。
「すみません、ライラさまがお疲れのようでしたので、先にお部屋にお連れしたんです」
「かまわない。マーシャももう休め」
軽く労うと、マーシャは深々と頭を下げた。
「では、私はこれにて失礼いたします」
「マーシャ」
踵を返そうとしたマーシャをスヴェンが呼び止める。表情ひとつ変えずに自分を見遣る彼女に、スヴェンは一瞬だけ迷いを生じさせたが、素直に疑問を口にした。
「あいつ、ライラはなにをしているんだ?」
スヴェンの質問にマーシャの目尻がわずかに下がる。
「それはご本人に直接聞いてみればよろしいんじゃないですか? ご夫婦なんですから」
どこか楽しそうなマーシャにスヴェンは眉をひそめる。しかしすぐにマーシャが真面目な顔になり、自分よりもかなり背の高いスヴェンをまっすぐに見つめた。
「スヴェンさま、ライラさまは一生懸命で優しい方です。微力ながら私もおそばにおりますし、あなたがご心配するようなことはなにひとつありませんよ」
心配というのはどういう意味なのか。そこがまずは気になった。けれど問いただす言葉も見つからない。
虚を衝かれた顔をするスヴェンにマーシャは素早く頭を下げると、静かにその場を去っていった。
スヴェンは軽く息を吐いてから自室のドアを開ける。部屋に入ると明かりはさらに頼りなく廊下以上に薄暗い。しかも今日は月も隠れている。外からの光も期待できない。
とはいえスヴェンにとっては暗闇に目が慣れるのはあっという間で、動くのも周りの状況を掴むのも造作もない。
わずかに人の気配を感じ、足音を消して近づくと、いつも自分が使っているデュシェーズ・ブリゼにライラが体を横たわらせ、規則正しい寝息を立てているのが目に入った。
体を丸め、すっぽり収まっている姿はやはり猫に似ているとスヴェンは思う。それにしても、どうしたものか。
しばし考えを巡らせ、スヴェンはライラを抱き上げた。ゆっくりとベッドまで運び、そっと体を沈めてやる。
自分も倒れ込む形になったので、重みでベッドの軋む音が響いた。ライラの長い栗色の髪が無造作に散る。
そして、スヴェンはなにげなく顔にかかっている彼女の髪を掻き上げた。あどけない寝顔が晒される。
フューリエンと言われながら、こうして目を閉じて片眼異色が姿を現さなければ、ライラも年相応の女子となんら変わらない。
ルディガーの言う通り、この瞳のせいで彼女の人生は翻弄されている。今も好きでもない自分と結婚させられ、不自由な生活を強いられている。
『憐れんでやれと?』
ふと自分の言い放った台詞が頭を過ぎった。
複雑な思いで頭を撫でて彼女の髪に触れる。瞳を隠すために伸ばされた髪は、思ったよりも触り心地がいい。
そこで呼応するようにライラが小さく声を漏らしたので、一瞬スヴェンに緊張が走る。左目に髪が滑りややあってライラの目が開いた。
「ん。スヴェン?」
寝ぼけ眼のライラと至近距離で視線が交わる。半無意識の中、自分の名前が彼女の口から紡がれたことにスヴェンは少しだけ驚いた。
何度か瞬きを繰り返したライラは頭を動かし、徐々に意識も覚醒させる。そして大きく目を見開いたかと思えば、次に待っていたのは混乱だった。
「え? あの……」
状況が理解できていないライラをよそに、スヴェンはさっと体を起こした。それにライラが続く。
「ここ……。あ、ごめんね。運んでもらったんだ」
あたふたと事態を把握したライラが小さく漏らす。そして声の調子と体勢を整え直した。
「スヴェン、最近忙しいみたいだけど大丈夫?」
「心配ない」
一言で済んだ返事は、部屋に沈黙をもたらす。澄んだ空気が肌を刺し、押されるようにスヴェンはおもむろに口を開いた。
「……連日なにをしてるんだ、お前は」
自分を見下ろしてくるスヴェンの質問にライラは目をぱちくりとさせながらも、珍しく含んだ笑みを浮かべた。
「内緒」
まさかの回答にスヴェンは顔をしかめる。けれどライラは笑ったままだった。
「夫に隠し事か?」
「時期が来たらちゃんと話すよ。スヴェンだってそうでしょ?」
ライラの切り返しに言葉に詰まり、すぐに反論ができなかった。
そもそもアプローチの仕方を間違えた。ライラと自分の関係は対等ではない。そこを突っつけばよかったものを、どうしてわざわざこんな言い方をしたのか。
押し黙るスヴェンにライラがフォローの言葉をかける。
「今は話せないだけで、ちゃんと話すから。あなたに迷惑をかけるようなことはなにも……」
「……戦で幼馴染みを亡くした」
突拍子もなく告げられた言葉は、ライラの思考も時間さえも止めた。動けずにいるライラをよそにスヴェンは無遠慮にベッドの端に腰掛ける。
自然とライラに背を向ける形になった。
「クラウスに……今の王になってから大分治世は落ち着いたが、前国王は野心家で好戦的だった」
不敬罪ともとれる発言、それを自覚したうえでスヴェンは口にした。今まで声にしたことはない、けれどこれが自分の本音だ。
まさか誰かに吐き出す日が来るとは思いもしなかった。そして一度栓を抜けばその勢いは止まらない。
「クラウスを含め俺とルディガー、そしてセドリックは幼馴染みだった。セドリックの父親が前アードラーを務めていたのもあって、俺たちは彼に剣を習った。誰よりも強くなって、ゆくゆくは王となるクラウスを、この国を守るんだと意気込んでいた」
スヴェンの表情はライラからは見えない。けれど淡々と彼の口から語られる話をライラは微動だにすることなく聞き入った。
スヴェンたちの剣の腕は確かなもので、指導者がよかったからか、筋がよかったからか、早々と将来を期待され、夜警団への入団が許された。
アルント王国としては、アルノー夜警団は使うよりも持つ方に重きを置いていた。騎士団としての存在自体が国内の秩序を保つことに繋がり、また他国への戒めとして機能し、無駄な争いを避けていた。
しかし前国王は夜警団の基本理念『必要最低限の介入を』を捻じ曲げ、近隣諸国への見せしめと夜警団に所属する若者たちの国や王に対する忠誠心を試すつもりで、挑発するかのように他国へ騎士団として派遣させた。
「国王は必然的にアルノー夜警団の総長も務めることになる。前国王は夜警団の使い方を間違えたんだ」
スヴェンたちが十八になる頃だった。緊張状態にあった南国境沿いに隣接するローハイト国に奇襲のように攻め入るよう国王が指示を出したのは。
戦場となったのは、先の戦争で捕虜となった人々が暮らす小さな村だった。捕虜だから、自国の人間ではないから、そんな理由でなにも知らない村人たちは戦争に巻き込まれた。
馬の嘶く声、剣のぶつかる音、土埃が舞い、怒号が飛ぶ。敵か味方か一般人かどうかさえ判断する余裕もない。大人も子どもも、男も女も関係ない、酷い惨状だった。
ありありと頭に蘇る光景に、スヴェンは頭を下げると大きく息を吐いた。




