01
ライラの件があっても、スヴェンのアードラーとしての仕事は変わらない。基本的に彼女に付き合うのは夜だけでいいので日中は自分の仕事に没頭する。
戦や国家規模でも大きな事案でもない限り、アルノー夜警団の上に立つ者としてスヴェンやルディガーなどが自ら動くのはある意味稀だった。
普段の彼らの仕事の多くは、下から上がってきた解決済みの事案の報告書を確認したり、王都をはじめとする近隣諸国の内部調査の結果を受けたりするなどデスクワークが主だ。
さらには剣の稽古や戦いを想定した模擬演習など部下の育成を含め、こなさなくてはならないことは山ほどある。
「心配しなくても、今のところ街では彼女の噂は報告されていない」
「そうか」
アードラーに宛がわれた自分の部屋で書類に目を通しながら、スヴェンはなんでもないかのように答えた。
対して、声をかけたルディガーは不服そうな面持ちだ。報告書を持つのとは反対の手を机につき行儀悪くもスヴェンの方に身を寄せる。部屋には今、ふたりしかいない。
メーヴェルクライス卿の家から消えたライラについて不審な話は上がってきていないと、わざわざ伝えに来たのにスヴェンはこの有様だ。
「自分の妻のことだろ。もう少し反応を示したらどうだ?」
「問題がないならそれでかまわないだろ」
目線さえ寄越すことのないスヴェンにルディガーが大きく肩を落とす。
「はー。で、愛しの奥さんは今なにをしてるんだよ?」
「さあ? ここ連日、マーシャを連れて厩舎に足繁く通っているらしい」
「厩舎? あんなところに通ってなにが楽しいんだ?」
若い女性が通い詰める理由がルディガーには思い浮かばない。
「なにをしているのか、おおよそ見当はつくが……」
続きを言いよどみ、スヴェンはようやく書類から顔を上げた。
「調教師が昔なじみだったらしい」
「ああ、彼。たしかライン氏のところの。そういえば養子だって話してたな」
エリオットの顔を思い浮かべながら、ルディガーは情報を整理して腑に落ちる。スヴェンはあまり興味がなかったので、エリオットとライラが知り合いだということにまったくピンと来なかったのだが。
「それは彼女にとっては心強いな」
ルディガーはにこやかに笑う。男女ともに好感をもちそうな爽やかな笑顔だ。対照的にスヴェンは眉を曇らせた。
「だが彼はフューリエンの件については知らないらしい。なまじ知り合いな分、面倒なことにならなければいいが……」
「心配するのはそこか?」
顔を引きつらせてツッコみ、ルディガーはやれやれと首を振った。焦げ茶色の短い髪が軽やかに舞う。
「こんな優しさの欠片もない無愛想な夫といるくらいなら、自分をよく知る幼馴染みと一緒にいた方がいいだろ」
誰に言うでもなく、宙を向いて言い放ったルディガーのひとり言は部屋の空気にさっと消えた。
そこでスヴェンの方に顔を向けると、眼差しだけで人を殺めそうな鋭い視線をルディガーに送っている。もちろん付き合いの長い彼はものともしない。
「そんな顔をするくらいなら、素直に彼女の心配をしてやったらどうだ?」
「元々こんな顔だ」
「スヴェン」
親友の名を呼び、ルディガーは改めてスヴェンを見遣った。彼の表情にいつもの茶目っ気はない。
「これだけは言っておく。あのことを引きずっているのはお前だけじゃない。優しくするのが無理でも、必要以上に彼女を突き放すのはやめろ。彼女自身、自分の運命に翻弄されている身だ」
「憐れんでやれと?」
「そういう話じゃないだろ」
まっすぐなルディガーの視線と言葉にスヴェンは押し黙る。なにかを返す前にルディガーは調子を取り戻した。
「まったく。この話はやっぱり俺が引き受けるべきだったのかもな。少なくとも俺の方がお前よりも優しい」
「思ってもないことを言うのはやめろ」
いつものように軽口を叩いたルディガーに、スヴェンが皮肉めいた嘲笑を浮かべる。
「お前もたいがいだろ。いつまでも安全な高い位置から見下ろしているつもりでいると、そのうち足をすくわれるぞ」
誰が、誰に、というのは抜けていたが、言いたい意図は十分に伝わったらしい。ルディガーは意表を突かれたように大きく目を見開き、苦々しく笑った。
「まさかお前にそんな言葉をかけられるとはな。忠告痛み入るよ」
「話は変わるが、この変死体の件はどういうことなんだ?」
そこでスヴェンが目を通していた書類について尋ねた。ルディガーはさらに身を寄せ、中身をちらっと確認してから動じることなく答える。
「ああ。ドゥンケルの森の入口辺りで若い貴族の娘の遺体が発見されたんだ。首筋に大きく噛まれたような跡があって、死因はおそらく失血死。獣にでも襲われたんだろうということで片付いたんだが、それにしては遺体の状態がやけに綺麗で……」
「あんな森へなにをしに?」
すかさず返したスヴェンにルディガーは複雑な表情を見せる。哀悼の意を示してか静かに目線を落とした。
「……恋人と逢瀬を重ねる予定だったらしい。彼女は親に決められた婚約者がいたが、別に好き合った相手がいたと聞いている」
「その男との待ち合わせが、ドゥンケルの森だったというわけか」
「あそこは人目に付きにくいからな。気の毒なことだ……なにか気になるのか?」
報告書から目を離さないスヴェンにルディガーが尋ねる。スヴェンは軽くかぶりを振った。
「いや。ただ同じようなことが再び起きれば、ある程度動く必要があるかと」
「その心配はない。もう何人か警備に回してある」
「そうか」
そもそもルディガーはこう見えて頭が切れる男だ。なにより彼にはセシリアもついている。
決められた婚約者がいながらも、別の好いた相手がいたというわけか。
だから、なんだというのだ。スヴェンは頭を切り替え、次の報告書に手を伸ばした。




