05
翌朝、厩舎に行く旨をマーシャに告げ、極力動きやすい服装にしてもらう。
シンプルな赤いドレスはワンピースと呼ぶ方がしっくりくる。飾りはないものの、丈は床につくか、つかないかまである。
原則、女性は肌を見せない服装をするのが一般的だった。舞踏会や華やかな場ともなれば多少の肌の露出があるものを選ぶが、それはあくまでも非日常だ。
朝の支度を済ませたところで、スヴェンがライラを迎えに来た。厩舎は城門から歩いてすぐのところにある。外に出るのはやはり気持ちよく、肌に冷たい空気が刺さるが、それさえもライラには新鮮で心地よかった。
ライラがスヴェンに連れられて訪れたのは、アルノー夜警団専用の馬が管理されている馬房だった。木で作られ、入口には大量の藁が積まれている。
中に一歩足を踏み入れれば屋根の部分の合間から日光が差し込んでいた。馬の気配はあるが、思ったよりも静かで臭いもあまりしない。
ここにいるのは乗馬や馬車を引くための馬とは違い、戦馬としての訓練を受けた特別な馬だ。人の言うことをよく聞き、強さや速さなどが求められる。スヴェンがある馬房の前で足を止めた。
スヴェンの姿を確認すると、ゆっくりと柵から馬が顔を出す。真っ黒な青毛だった。前髪はふさふさとしていているが、たてがみは短めだ。スヴェンが鼻梁をそっと撫でるのをおとなしく受け入れている。
「この子、スヴェンの馬?」
「そうだ。年だが、機敏で頭もいい」
主人の褒め言葉がわかるのか、馬はわずかに誇らしげな表情を見せた。ライラはゆっくりとそばに寄る。
「名前は?」
「名前はない」
つけたらいいのに、と思いながらライラはスヴェンの馬に向き合う。
「この前は、乗せてくれてありがとう」
静かにお礼を告げ、スヴェンに倣って手を伸ばしてみる。嫌がられたら、という思いは杞憂に終わり、馬は素直にライラの接触を受け入れた。
近くで見ると目が大きく優しい。柔らかいとは言いづらい感触だが、ライラは幾度となく鼻梁を撫でてやる。
「バルシュハイト元帥!」
そこでスヴェンを呼び止める声が厩舎に響く。スヴェンの元にあどけなさが残る青年が近づいてきた。彼は夜警団の団服は着ていない。ライラに目もくれることなくスヴェンに説明を始める。
「例の新しく来た鹿毛の馬ですが、どうも扱いが難しく。戦馬としては申し分ない体格と速さはありそうですが、人を乗せるのを拒否しているんです」
「俺も少し確認したが、なかなか難しそうだったな。どんなに素質があっても人さえ乗せられないなら、ここでは役立たずだ」
切り捨てるようなスヴェンの言い分に青年は悔しさを顔に滲ませた。
「申し訳ありません、俺がもう少し時間を費やしてやればいいのかもしれませんが、あの一頭だけに、なかなかそういうわけにもいかず……」
スヴェンと会話する青年をライラはじっと見つめた。赤味がかった癖のある髪に、左にある泣きぼくろ。ライラは記憶の中を辿っていく。
「エリオット?」
疑問系で名前を呼んだが正解だったらしく、青年は驚いた面持ちでライラに顔を向けた。改めて、この場に他の人物がいたと気づいた様子だ。
ライラを見て、すぐには思い浮かばなかったが、左目を長い前髪で隠している姿には見覚えがあった。
「ライラ!?」
青年から驚いた声があがる。互いに距離を縮めて確認するように見つめ合い、思わず手を取り合ってしまう。
「エリオット、あなた城仕えをしてたの?」
再会を喜んでライラは声を弾ませ尋ねた。
「ああ。養子に出た先が馬の調教師をしていてね。それから色々あって今ではここの、アルノー夜警団専属の厩舎で馬の世話をしながら調教師をしているんだ」
エリオットはライラと同じグナーデンハオスの出だった。ライラとは年も近く、気性の穏やかなエリオットは、ライラに偏見の目を向けることもなく仲良く過ごしていた。
ちょうど十になるかならない頃、エリオットはある夫婦の養子として迎えられ孤児院を出たから、それ以来になる。
泣いて別れを惜しんだ光景が頭を過ぎる。お互いに兄妹のような存在で、久々に会えた家族の現状にライラは飛び跳ねそうな勢いだ。
「すごい! 頑張ったのね。昔からエリオットは動物に好かれていたから、すごく向いていると思うわ」
「ありがとう。それにしてもまさかこんなところで会えるなんて。本当にライラなのかい? 君はどうしてここに?」
エリオットの言葉で、はしゃいでいた気持ちがピタっと止まる。
「実は……」
「彼女は俺と結婚したんだ」
言葉を迷うライラよりも先に、スヴェンがきっぱりと言い放つ。驚いたのはエリオットだけではなくライラもだ。
「バルシュハイト元帥と!?」
エリオットは叫んですぐに口元に手をやって声を抑えた。さらにスヴェンはライラの肩を抱く。
「正式に発表するタイミングは陛下次第の意向もあって、あまり公にはしていない。だからこの件は他言しないように」
有無を言わせない口調と立場も相まってエリオットは、圧倒されたように『はい』と頷くだけだった。事実を受け入れたところで、ライラに笑顔を向ける。
「ライラおめでとう。また改めてゆっくり話を聞かせてくれよ。それにしても本当によかった。家族として心から祝福するよ」
「……うん、ありがとう」
眩しい笑顔のエリオットをライラは直視できず、ぎこちなく返した。
スヴェンの自室に戻る際、ふたりに会話らしい会話はなかった。しかし部屋の扉が閉まったのと同時に、ライラは先ほどからずっと思い巡らせていた考えを口にする。
「スヴェン、エリオットに本当のことを話してはだめかしら?」
「本当のこと?」
先に部屋の中に歩みを進めていたスヴェンがライラの方を振り返る。鋭い眼差しに、ライラはぎこちなくも頷いた。
「うん。エリオットはフューリエンの事実は知らないからもちろん黙っておくけれど、私たちの結婚には事情があって期間限定のものなんだって」
「話してどうする? 事情も話せないのに、余計な情報は邪推を呼ぶ。お前の存在が下手に知られるところになったらどうするんだ」
スヴェンの言うことはもっともだ。ライラもわかってはいる。けれど、それ以上に彼女には思うところがあった。
「……エリオットは口が堅いし、余計な詮索をするような人じゃないから」
「随分と、信頼しているんだな」
間髪を入れずに返ってきた言葉は低く辛辣だ。ライラの喉を凍てつかせ声を封じ込めるほどに。
「ずっと会っていなかったんだろ? 人なんてわからない。お前がフューリエンだと知れば、目の色を変える連中も少なくないのは身をもって知っているだろ」
「でも」
「そんなにあの男に、俺と結婚していると思われるのは不都合か?」
畳みかけるように尋ねられ、すっかり勢いをなくしたライラはたどたどしく答える。
「だって……。せっかく私の結婚を祝って、あんなに嬉しそうにしてくれたのに。もしも私があなたと別れたという事実だけを聞けば、きっと心配させるし悲しませるだろうから」
「そんな理由か」
ようやくライラの言わんとしていることが伝わり、スヴェン心底呆れたという感情を声に乗せた。
「エリオットは大切な家族だったから」
小さく付け足してから、ある考えが頭にひらめきライラはぱっと顔を上げた。
「あ、なら。私たちが別れた後でもいいの。彼に本当のことを伝えてほしい。スヴェンもその方がいいでしょ?」
「なぜ俺の話になる?」
理解不能という表情を見せるスヴェンにライラは意気揚々と答える。
「私と別れた後で、いつかあなたが本当に結婚したいって思う相手が現れたとき、過去に結婚していた事実は事情があるものなんだってわかっていた方が」
「必要ないな」
スヴェンは軽く鼻を鳴らしてライラの言葉を最後まで聞くことなく切り捨てる。
「結婚なんて自分からする気もない。それこそ陛下の命令でもなければ」
「なん、で?」
無意識にライラは声にしていた。あまりもスヴェンが拒絶する言い方をしたからだ。ふたりの視線が交わり、スヴェンは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「いらないんだよ、俺には。そういう大事にしないとならないものとか、大切な存在は。足枷になるだけだ」
吐き捨てたスヴェンの言葉にライラはなにも言えなくなる。同時に心臓を冷たい手で掴まれたような痛みと底冷えが体を襲う。
スヴェンとの実際の距離はたった数歩しかないのに、ライラは彼をとてつもなく遠くに感じた。




