01
ライラが目覚めたとき、部屋にスヴェンの姿はなかったので、しばし自分の置かれた状況が理解できなかった。
体を起こし、目を擦っていると頭が徐々に動きはじめ、ここが自分に宛がわれた客室ではないのを思い出す。言い知れぬ気恥ずかしさを覚えたところで、部屋がノックされマーシャが顔を出した。
「おはようございます、ライラさま」
「お、おはようございます」
マーシャはまるで自分の部屋のごとく無遠慮に中に入ると、カーテンと窓を開け空気を入れ替える。朝の陽ざしと涼しげな外からの空気により、ライラの意識はすっかり覚醒した。
「あの、スヴェンは?」
「スヴェンさまはもう夜警団の仕事に行かれてますよ。ちょうど廊下ですれ違いましたから」
「そうですか」
せっせと朝食の準備を始めるマーシャをよそに、ライラの気持ちは少しだけ沈んだ。
せっかくなら声をかけるとか、起こしてくれてもよかったのに。
「どうですか? ご結婚されて初めての夜は?」
どことなく寂しい気持ちに包まれていたライラの意表を突いてマーシャは質問を投げかける。ライラは目をぱちくりとさせマーシャを見つめた。
「他意はありません。ですがライラさまがスヴェンさまを名前でお呼びしているので、それなりに距離が縮んだのだと勝手に想像して嬉しく思っております」
「えっと……」
ライラは返答に困ってしまう。たしかに名前で呼び合うことにはなったが、マーシャが思うよりもスヴェンとライラの関係性に大きな変化はない。
しかしマーシャは目尻を下げて話を続けた。
「それに、先ほどスヴェンさまと廊下でお会いしたときも『ライラを頼む』とおっしゃっていたので」
にこにこと内緒話でもするかのように話す姿は楽しそうだ。ところが言い終えてからマーシャの顔が急に真剣めいたものに変わる。
「そういうわけでライラさま、今日はできるだけ部屋の中にいらしてくださいね。城の敷地内でしたら少しは私がお供します」
ライラは身を引き締めた。しかしマーシャの言葉に甘えて遠慮がちに希望を口にしてみる。
「わかりました。あの……なら中庭にある薬草園は行ってもいいですか? 少しだけでいいんです」
「薬草園です? 」
意外な答えだったのか、マーシャの声は間抜けなものだった。ライラは力強く頷く。
「はい。気になる薬草やハーブがあったので見に行きたいんです。もしよろしければ、少し持ち帰ってもいいですか?」
「それはかまいませんよ。あそこは今、管理している者がいないので荒れ放題ですが」
マーシャの許可にライラは自然と笑顔となった。昨日見たいくつかの植物を思い出していると、マーシャに朝食が先だと提案され、慌てて居住まいを正した。
そして身支度を整えてからライラはマーシャと共に薬草園へ向かった。外は日中でも風が冷たく感じる。夏の気配はすっかり鳴りを潜め、秋が訪れていた。
「あそこには睡眠によく効くハーブもあるんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。シュラーフといって、精神を安定させたり、安眠をもたらす効果があるんです。摂取の仕方はお茶にするのが一般的ですが、独特の風味があって少し好みが分かれますね」
そう言われると、飲んでみたいような、みたくないような。どんなものなのか気になりながら昨日と同様、薬草園に足を踏み入れた。
昨日はじっくりと見られなかったが改めて並んでいる薬草を見れば、見知っているものが多くライラは孤児院での日々を思い出した。子どもたちは、シスターは、みんな元気だろうか。
「ライラさま、こちらがシュラーフですよ」
マーシャがライラに声をかけ、静かに座り込む。ライラも真似て隣に腰を落とせば、背丈があまり高くない草が白くて丸い花を咲かせているのが目に入った。
「これが?」
「ええ、この実のような花の部分を使うんです」
マーシャの説明を受け、ライラは花にそっと手を触れて顔を近づけた。柔らかな花弁が揺れる。
「あまり香りはしませんね」
「そうですね、ですがお湯を注げば香りも色もはっきりと出ますよ」
マーシャによるとポット一杯分のお茶を抽出するのに、シュラーフの花を五、六輪入れるといいのだとか。
やはりここは試してみようという話になり、花を持ち帰ることにした。ほかにもいくつか薬草を見繕う。
客間の方に戻り、マーシャがお茶の準備を始める一方で、ライラは薬草をひとつずつ確認していく。
そのとき部屋にノック音が響いたのでそれぞれ手を止め、マーシャが返事をしてドアに近づいた。しばしそこで押し問答を繰り返す気配があり、ややあって若い男が部屋の中に足を踏み入れてきた。
ライラにとって初めて見る人物だったので思わず身構える。男はその不安を吹き飛ばすかのように上品に笑った。
「初めまして、突然の訪問をお許しください。僕はスヴェンの母方の従兄にあたります、ユルゲン・フルヒトザームという者です。スヴェンが結婚したという話を聞いたので、どうしても一言ご挨拶したくて」
流麗な喋り方と優しげな笑顔でユルゲンは説明した。スヴェンの従兄という言葉でライラは少しだけ警戒を解く。
スヴェンよりも背は低く華奢ではあるが、雰囲気的に上流階級の気品さが滲み出ていてあまり気にならない。身に纏っている青緑色のジュストコールも上質なものだ。
清澄なグレーの瞳に、癖のあるブロンドの髪がユルゲンの儚げな印象にさらに拍車をかける。
部屋に入っては来ないが、ドアのところで彼の付き人らしき高齢の男性がこちらを窺っていた。嘘はないと判断し、戸惑いながらもライラは自分も名乗る。
「初めまして、ライラと申します」
ユルゲンは興味深そうにライラに視線を注いだ。
「それにしても、驚きました。急な話でしたし、スヴェンが結婚だなんて。どういった経緯で彼と? ライラさんはどちらの家のご出身かな?」
「私は……」
矢継ぎ早の質問に苦慮していると、ユルゲンの目がある一点に留まったのでライラは彼に注意を向けた。
「左目はどうかされたんですか?」
尋ねる前にユルゲンから質問が飛ぶ。ライラの左目は長い前髪で隠すように覆われていた。この質問は想定内だ。今までにも散々あった。だからライラはさらっと切り返す。
「実は、幼い頃に病気で悪くしてしまいまして。すみません、お気になさらないでください」
「そうですか、これは失礼しました。お大事になさってください」
予想通りの反応にライラはホッとする。たいていの人間はこうして、『気の毒なことを聞いてしまった』という顔をするのだ。おかげで必要以上に話題にされることもない。
案の定、ユルゲンは話題を変えてきた。
「城での暮らしは退屈でしょう。彼は忙しいでしょうし、よろしければ、話し相手に立候補してもかまいませんか? 今度は花をお持ちしますよ。うちには立派な花園があるので」
人のいい笑みを浮かべたユルゲンにライラは返事に窮す。気にかけてもらっているのは有り難いが自分で判断しかねる話だ。




