曇天の空と幸せの権利
私には家族は有りません。
唯一の家族である母は病気で死にました。
父は後妻を取りました。
父の前では従順でしたが、私には手を上げました。
紅を引いた口が化け物のように歪み、私を罵倒します。
まだ幼い5歳ほどの頃の話です。
その後に、妹ができました。
後妻の子です。
前妻の子である私は、父にとっては要らない物だったのでしょう。
遊んでくれる事は無くなりました。
気を使って遊んでくれたメイドはすぐに解雇され居なくなりました。
私は、いつも一人でした。
早く、お母さんに会いたいなあ。
私は死後の世界にはまって行く事になります。
肉体とは魂の入れ物で、死とは入れ物の死である。
つまりは肉体からの解放だ。
早く死んで、お母さんにいっぱい撫でてもらいたいなあ。
分厚い大人の本を読みつつ、おぼろげに覚えている母に思いをはせた。
父は最初こそ私に教育をしていたが、後妻に焚き付けられたのだろう。教師を付ける事が減って行った。
私はますます本の世界に入り込んで行く事になる。
「わたくし、婚約者が出来ましたの」
そう宣言したのは意地悪で猫かぶりな後妻の遺伝子を感じずにはいられない妹。
妹は現在12歳。私は17歳だった。
何も声を掛けずに、再び視線を本に戻した。
昨日、妹に殴られたばかりだった。何も話したくない。
「相手はあのアルバーン家よ! 羨ましいでしょう!」
アルバーン家……確か、侯爵家。
当家はしがない男爵家なので背伸びしすぎな気がした。
「なにか言ったらどうなの!? 本ばかり読んでてみすぼらしいったらない!」
うるさいな。
私をみすぼらしくしたのは何処の誰よ。
面白い人だなあ。
「何よ! 何がおかしいって言うの!?」
口元が笑いを堪えきれなかったようだ。
今にも掴みかかって来そうなのでその場を退散した。
妹は、まだ何か喚いていた。
数日後、父に呼び出された。
呼び出されるのは随分と久しぶりな気がする。
もう何年、人と話していないだろうか。
「呼びましたか」
「ああ、シェリー。久しぶりだね」
同じ家に住んでいるのに久しぶり、まあそんなものだよな。
本好きが祟って定期的に本を買いに街に出てるし。
父は王城で働いているから夜遅いし。
「舞踏会に出る気はないか?」
「……はあ?」
何を言い出すかと思えば……この老いぼれ。
マナーもダンスも、何一つ分からないのにか?
「無理です。何を言うんですか? 私に教育をしなかったのはそちらでしょう」
「では、家を出て行ってくれ」
「……舞踏会に出ないなら家を出ろと? どう言う理屈ですか?」
どうやら妹がこの家を継ぐらしい。婚約者は次男でこの家に入るみたいだ。
「クソみてえな言い訳言ってんじゃねえぞ糞ジジイ! 嫁に行かせる気があるなら教育しとけよ! 頭に詰まってるのは排泄物か? 脳みそ入ってますかあ?」
父の頭をコンコンとノックした。
「ああ、こりゃ駄目ですね。糞尿が詰まってますわ! 汚物にまみれてますわ! 此処はもう便所ですわ! 汚物入れですわあ!」
「いい加減にしないかシェリー!」
父、顔真っ赤。
いやもう鬱憤が溜まりに溜まって、つい。
「分かりました。私を追い出したいのですね」
計算する。
私の部屋に有る大量の本は捨てたくない。
此処を出て、本が置けるスペースを確保するには嫁に行くのが無難だ。
一人ここを出てものたれ死ぬのが落ちだ。
私は死にたがりだが、天寿を全うしたいんだ。
自殺したら地獄に落ちて母に会えないかも知れない。
だから今日も、後ろ向きに生きている。
「お父様、こうしましょう。舞踏会までに可能な限り私に教師を付けてください。それで……まあ適当な男を捕まえますから」
「お前は母親に似て顔は綺麗だからすぐ見つかるだろう。手配しておく」
「これでクソみたいな家とお別れできるなら手放しで喜べますわ」
おほほほ、とわざとらしく笑う。
ちなみに私の口が悪いのは本のせいだ。
本が私の全てで、世界なのだ。
*****
舞踏会の日がやって来てしまった。
今日まで大体30日位、みっちり勉学に励んだ。
ダンスは最後まで苦戦した。どうやら体を動かすのは不得意だった様だ。
今まで着た事が無い綺麗なドレスに、ボサボサだった長い髪を結って飾りを付ければあら不思議。見事な御令嬢が出来上がると言うマジック。
鏡で見たけど、私ったらスタイルもいいし、顔もいいから……本の置き場なんてすぐに確保できるわ。
「……」
と、思ったけれど。
17年間、碌に人と話した事が無い人間がこんな場所に放り込まれて話せるはずもなく……
確かに視線を感じるけれど、声を掛ける勇気は無く、私は壁の花になった。
こんなんじゃ置き場を確保できない!
早くあの家を出たいのに!
半泣きでホールから出て行く。
そのまま庭に出て、風に涼む。
今は夜なので、庭はとても暗く、恋人たちが暗がりで盛り上がっていた。
皆、此処に恋人やら婚約者を求めて来るんだろうな……
対して私は、置き場を探してるなんて……相手に失礼だったかな……
「……ぐすっ」
頭に汚物が詰まっているのは私じゃないか!
恋愛って、何度も本で読んだ事あるから、大丈夫、私ならやれるわ。
こう……胸がドキッて高鳴ったら……
「お嬢さん?」
何? 今考え事の最中で……
涙を指先で拭いながら、振り向く。
「具合でも悪いのですか?」
ドキッ!
「休憩室はあちらですよ? 案内します」
な、な、なんてカッコイイ人なの!
綺麗! 銀の髪が月の光を反射しているわ!
ドッドッドッドッ、と心臓が激しく動き続ける。
頭に血が上って、ふらつく。
「大丈夫ですか!?」
咄嗟に支えてくれたみたいだった。
顔が近い! くすみ一つない白い肌。この男性は人間なのだろうか?
それに……なんかいい匂いがする。
「だ、大丈夫です……お手数おかけしました」
そう言ってその場を離れようとする。
これ以上は駄目だ。
私がおかしくなる。
「あの」
腕を掴まれた。
え? え? と混乱する私に、続けて、
「僕はクロード。お名前教えていただけないでしょうか?」
「は、い……シェリーと申します……クロード様」
「シェリー……美しい名だね」
「ありがとうございます」
少し会話して、緊張がほぐれて行った。
相変わらず心臓はうるさいままだったけど。
私とクロードは庭のベンチに一緒に座った。
促されるままだった。
「舞踏会は初めて?」
「はい……遅いデビューですが」
「そう、でも良かった」
何が良かったのか分からずにクロードを見上げる。
「シェリーは美しいから。あっという間に結婚して僕なんかとは話せなくなってしまう所だった」
クロードは安心したように笑って、私を見つめた。
何だこの展開は。
恋愛小説のようではないか。
待て、落ち着け。
これは罠だ。そうに違いない。
クロードは妹の息がかかっている人間だと思われる。
私がクロードに惚れた所を見計らって『クロードとお前が釣り合う訳ないだろう』と高笑いをキメるつもりなのだ!
おのれ……そう簡単にいかせるものか!
「クロード様は婚約者はおられるのですか?」
「僕は……三男で婚約者はまだ……シェリーは?」
「私も未だに居ませんわ」
早く話を切り上げて、他の男を漁りに行こう、そうしよう。
こんなに見目麗しい人で無くて良い。普通が一番!
「体調も良くなりました。ありがとうございます」
「うん、良かった」
「私、戻ります。お気遣い感謝いたします」
お礼を述べて、立ち上がる。
「シェリー」
呼ばれて、振り向いた。
「また会えるかな」
「……機会があったら是非」
「ありがとう」
結局その日は他に誰とも話せなくて終わった。
あんなに練習したダンスもお披露目される事は無かった。
クロードの事だけが頭に残った。
*****
夜、部屋でぼんやり、クロードの事を考えた。
年は……私と同じぐらいの美しい人だった。
何処の家の人だろう? 私も家名を名乗らなかったし。
と言うか名乗りたくない。こんなクソみたいな家。
父は招待状を持ってきてはパーティに出席するように促し、早く結婚するように言ってくる。
そんな事するより父が相手を探して来た方が速い気がしたけど、脳味噌入ってないからね、仕方ないね。
私がある程度選んで良い、と言うのは評価に値するぞよ。
あれから何度かパーティに参加したが、あれきりクロードとは会わなかった。
妹の差し金だと思っていたが、どうやら違ったようだ。
男性に対して奥手気味な私だが、回数を重ねてまともに話せるようになってきた。
そして何人か、この人とならいいかなと思える人を絞ったので、父に相談する予定だ。
これでこの家を出ていけるぞ! ひゃっほー!
父から貰った招待状の中に王家主催の物があったので、次はこれに行こうと決め、その日は眠りについた。
*****
さすが、王家主催は規模が違うなあ。
人の数もそうだが、会場も広い。
今日は気合を入れてめかしこんできたぞ。
「シェリー嬢!」
「まあ、エドワール様」
早速、結婚してもいいかなと思っている男性に声を掛けられる。
エドワール様は子爵家の長男。嫁を探している人だ。
「また君に会えて嬉しいよ」
「私もですわ」
エドワール様は積極的にアプローチしてくれるから分かりやすくてとってもいい。
第一候補だったりする。
が、難点もある。
「おにいさま、わたくしと踊って!」
「わたしとも!」
彼にはブラコン気味の妹が二人いるのだ。
そして私を睨むのだ。
結婚したら苦労しそうだなと思うくらいには悩ましい点だ。
「シェリー嬢、すまない」
「いいえ、妹様のお願いを無下にできませんものね。楽しんでいらしてください」
再びフリーになった私は当てもなく会場を彷徨う。
途中、面識のある男性数人と踊って、直ぐに別れた。
表情筋が疲れてきたな。
「はあ」
分からないように小さく溜息を吐いて、壁を背に立った。
少し休もうっと。
一度だけ深呼吸をした。
私がこうしてパーティに来るようになって、後妻と妹からの嫌がらせは減った。
結婚が決まったら出て行く事になっているからだろう。
叩かれたり殴られたり蹴られたり、体に痕が残るような事もしてこなくなった。
いつか仕返ししたいけど、過去は過去として忘れるのが一番無難かな。
「シェリー?」
呼ぶ声がして声の方に眼をやる。
「やっぱり、シェリー逢いたかった」
目の前の人物はとろける様な微笑みを浮かべていた。
「クロード様?」
周りがざわめいた。
……なんだ?
「ここ、うるさいから静かな所に行かない?」
「ええ……構いませんけれど」
クロードと手を繋いでテラスまで付いて行った。
途中、鋭い視線が何度も突き刺さった。
訳が分からず眉を寄せる。
「ここは涼しいね」
「はい、夜風がとても気持ちが良いです」
クロードは嬉しそうに微笑んだ。
忘れたはずの胸の高鳴りが戻ってきた。
心臓が、痛い。
「シェリー、婚約者は出来た?」
「……いいえ、まだですわ」
「そう……」
「候補は、何人か出来ましたけど、まだ決まっては無いです」
「候補? 君は結婚を急いでいるのかい?」
つい最近デビューしたばかりの私に疑問を感じたのか、そう聞いてくる。
「家を出て行けと言われていますの」
「……君は長女だと聞いたが」
どうして私が長女だと知っているのだろうか?
誰かに聞いたのかな。
「妹に婚約者が出来ました。侯爵家の次男だそうです。そちらに跡を継がせたいみたいですわ」
「シェリーは、それでいいの?」
「……良いも悪いも、私が決めた事では無いので」
「男兄弟が居ないなら、本来は君が継ぐべきだと皆思うよ」
「あんなクソみたいな家、継ぎたくなどありません!」
はっと口元を押さえる。
言っちゃった……
恐る恐るクロードを盗み見る。
「それが君の本性?」
クロードは笑っていた。
「いい性格してるね」
先程までの女性受けする微笑みとは対照的に、薄く嘲笑するように笑う。
ぞくりと肌が泡立つ。
「ますます気に入ったよ、シェリー」
「クロード、さま……?」
「悪いけど、君の事全部調べたよ」
私が前妻の子で、不遇な扱いを受けている事や家での立場。
結婚を急いでいる理由や、私が家をすぐに出ていけない理由も。
「どうしてそんな……」
「君は本が好きで部屋に何冊もため込んでいるって妹が言っていたらしいよ。後は推理してみたんだけど、その様子だと当たってるみたいだね」
さっきから背筋が寒くて仕方ない。
この人、一体……
「君だけじゃ不公平だから、僕の話もしようか」
そう言ってクロードは、今までの人生を語り始めた。
クロード・フォン・アンブワーズ。
私の一つ上の18歳。現在の国王の三男。
銀の髪や美しい顔立ちは亡き母に似たもののようだ。
彼は私と同じで、不遇な人生を歩んできた。
彼は正室の子供であったが、上には二人の兄がいた。
側室の子供で、やりたい放題。
血筋的にはクロードが継ぐべきだが、既に王妃が亡くなっている事もあり、側室の子が継ぐ事になっている。
王宮で彼はいつも一人だった。
兄や側室からの度重なる嫌がらせや暴力。遊びで首を閉められた事もあると言う。
頼りであるはずの父は見て見ぬふりで、助けてはくれない。
聞けば聞くほど、私の境遇と重なった。
「いつか見返してやろうと思ってね。機会をうかがっているんだ」
「どうして、そのような話を私に?」
問うと、クロードの手が私の頬を撫でた。
驚いて振り払おうとしたが、それ以上体が動くのを拒否した。
クロードの目が、あまりにも……
「君と僕の目が似ているから。まるで鏡のようだろう?」
鏡に映る自分は、いつも虚勢を張っていて、無理して明るくふるまっている。
私は自分の目が嫌いだ。
目は嘘を付けない。
さびしい心を偽る事ができない。
だからいつも見ないようにしていた。
クロードも同じ目をしていた。
「僕らの目は雨が降る直前の空のようだよ。重く暗い曇天の、鈍色の空」
目が離せなかった。
この目に寄り添いたい。慰めたい。そばにいたい。愛したい。
この目は、私の目だ。
私は思い出した。
誰かに寄り添って欲しい、慰めて欲しい、そばにいて欲しい……愛して欲しい。
母親の愛情を求めていた、あの頃。
しかし、たった一つ欲しかった愛情は、誰もくれなかった。
気が付くと、目から涙が溢れた。
「シェリーも同じ気持ちになったんだね」
「……クロードさま……わたしっ」
「分かるよ、最初に会って別れた時、僕も泣いたから。君が無理をして前に進む姿に自分を重ねて、ね」
ハンカチを差し出されて、かすれた声でお礼を言ってから涙を拭いた。
「シェリー。君が欲しい」
「クロードさま……」
「君の曇天を晴天に変えたい……駄目だろうか?」
「そんな……私は男爵家で、クロード様は」
「僕が王家を出て行くのに反対する者などいやしない。分かるだろう?」
「でも……でも……」
「なら、君の候補の中に入れてくれないか。君を愛すると誓うよ」
いつか、僕達を乱暴に扱った者達に仕返しをしようじゃないか。
続けてクロードはそう言って、私の背を撫で続けた。
何度も何度もクロードは愛を囁いた。
欲しかった愛情。誰もくれなかった物。
「私も、クロード様を愛したいです……」
「嬉しいよシェリー」
その時、クロードが本当に嬉しそうに微笑んだので、この人を愛したいと強く思うようになった。
*****
その後は茫然自失で毎日を過ごした。
クロードの事ばかりを考えていた。
あの日の事は夢だったのだろうか?
そう思ってしまうぐらい、出来過ぎていた。
「シェリー! シェリー! 何処だ!?」
家の何処かで父が騒いでいる。
うるさいなあ。
私の綺麗な記憶の中に入ってこないでほしい。
ドアを開けて叫ぶ。
「うるせえ! 汚物が騒いでるんじゃねえ!」
「そんな言葉使いはやめんか!」
「汚物に汚物って言って何が悪いんだよ。スカトロ野郎」
「ああ……そんな言葉をどこで……」
本で覚えました。思えば教育には良くない本だった気がする。
父は本気で泣きそうになっていた。こっちが泣きたいのですが、それは。
「お前を嫁にと直接いらしているんだ! 今すぐに着替えなさい」
「? 誰が来たんですか?」
「いいから、一刻と待たせるな! これは命令だ!」
「ふーん」
命令だって。面白いね。
馬鹿にするためにわざとらしく不細工に鼻をほじる。
排泄物が人様に命令してんじゃねーよ。
「シェリー!」
顔が真っ赤なタコと目が合った。
「へいへーい」
やる気のない返事をして部屋に戻った。
後からメイドが三人やって来て着替えを手伝ってくれた。
と言うか誰が来たの? 教えてくれてもいいのに。
……もしかして。
頭を振って考えを打ち消す。
まさかね。
そう、思っていたのに。
「シェリー、逢いたかったよ」
目の前に居たのは、間違いなくこの国の第三王子、クロードだった。
一人、兵士ともう一人……話を聞くと宰相らしい。王子の婚姻にかかわるので直接来たようだ。
クロードは変わらず、私と同じ目をしている。
部屋には何故か後妻と妹も居た。
王子であるクロードと面識を持ちたいと思ったのか?
これは……二人に鼻を明かせるチャンスか?
「クロード様! 私も逢いとうございました」
わざとらしくクロードの腕に引っ付くと、それだけで察してくれたらしく、一瞬ニタリと笑った。
努めて二人でいちゃいちゃする。示し合わせた訳では無いが、息はぴったりだった。
同じ境遇だとこんなに一緒に居るのが楽しいなんて……最高!
部屋で、後妻と妹が震え始めた。
下に見ていた私が妹よりもハイスペックな人を連れて来たんだのも。そうなるわよね。あははっいい気味だわ。
「男爵、お嬢様との結婚を許可していただきたいのです」
「娘でよろしいのですか……?」
「彼女ほど僕の事を理解してくれる人は居ません。是非」
父は驚きつつも喜びながら結婚を承諾した。
我が家はしがない男爵家。三男とはいえ王家との婚姻など破格だろう。
手放しで喜ぶ父を見て、この汚物野郎が……と憎しみを募らせる。
クロードが口を開く。
「それで、結婚後ですが……」
続けられた言葉に、私に限らず部屋に居た全員の時が止まった。
「僕は結婚したら王家を出ます。この家を継ぎたいのですがどうでしょうか?」
ニコニコと微笑むクロードを凝視する。
クロードは家の事を知っているはずだ。
「シェリーは長女で男兄弟は居ません。元はシェリーが継ぐものですが、僕が継いで領地経営などが出来ればと思ってます。ノウハウはありますので」
最初に時間を取り戻したのは後妻だ。
「しかし、殿下……お仕事の方が忙しいのではありませんか?」
「王家を出る際に仕事は全てやめる方向です。問題がありますか?」
「当家はシェリーの妹に継がせる方向で……」
それを聞いたクロードは驚いたと目を白黒させ、
「何故です? シェリーが長女なのですよね? 何故妹に? 理由を教えてくださいませんか?」
理由は簡単だ。
私が前妻の娘だから。
しかし、それを理由として言う勇気は無かったのだろう。
後妻は歯噛みして私を睨みつけた。
父はと言うと……頭を抱えて悩んでいた。
王家か、侯爵家か。悩む必要は無いような気がしたが、後妻の事もあるのだろう。大いに悩んでいた。
「男爵、特に理由もないのに長女である彼女に跡を継がせないと言うなら……問責決議案を出し最悪貴族で無くなる事に……」
クロードの駄目押しに、父は目をかっぴらいた。
「勿論、当家の跡取りはシェリーです。結婚後に跡を継いでくださるなんてとても光栄です。殿下」
「お父様! 何を言うの!? 約束が違うわ!」
早速妹が喚く。
父は妹を睨みつけた。
「約束? 何のことだ。喚くんじゃない、殿下の前だぞ」
「跡を継ぐのはわたくしだって! あんなに何度も言ったじゃない!」
「覚えておらん。何のことだ? 幻聴でも聞いたのか?」
「そんな、そんな……お父様……」
父はやっぱり汚物だった。間違ってなかった。
結局は自分が一番可愛いんだね、本当に馬鹿みたい。
ちらりとクロードを盗み見る。
視線に気が付いたのか目が合うと、ニコリと微笑んだ。
ぞくり
肌が泡立つ。
もしかして……計算して、この状況を作ってる?
私に仕返しをさせてくれるために?
ごくりと生唾を飲み込む。
「結婚したら僕が家を継ぎます。よろしいですね?」
「ええ、構いません」
「あとは……シェリー、何か言いたい事はある?」
促されて、三人を睨みつける。
「この家は私の物になりました。なので、御三方には家を出て行ってもらえますか」
そう言うと、妹が叫んだ。
「ここはわたくしの家よ! 何が私の家よ! ふざけないで!」
「きゃあ!」
妹が私の髪を掴んでひっぱる。
何時もの事だが、今日はやったら駄目だったと思うよ。
後ろに控えていた騎士が妹を適度に痛めつけてから地面に転がした。
「殿下の婚約者になんと言う仕打ち! 許せん」
「ひっ!」
ボロボロになった妹は涙を零しながら獣のように部屋を出て行った。
後妻はその後を追った。
「僕も、御三方の転居を望みます。婚約者である彼女に何かあったらと思うと夜も眠れません」
「私も、ですか……?」
父が震える声でクロードに問いかけると、微笑みつつ、
「今まであなた方がシェリーにしてきた仕打ち、僕が知らないとでもお思いか」
父は真っ青になって、俯いた。
婚約はすでに結んであり、父は城に仕えている事と宰相が居た事で大きな事は言えなかったようだ。
気の小さい父らしかった。
三人は出て行く事になった。
私は、引っ越しをしなくて済む事になって、本が傷まなくてラッキーとすら思っていた。
継ぎたくないと思っていた家も、父親すら居なくなってしまったのでそんな気も薄れ、めんどくさい手続きは全部クロードがやってくれた。
引っ越しが済むまでクロードに付いていた騎士が私を守ってくれていた。
クロードに忠誠を誓っているらしい。今時古風な人だなと思った。
三人が引っ越して、屋敷には厳重な警備が敷かれた。
あの三人、特に後妻と妹が悪さをしないようにとの事だった。
実際、何度か屋敷に来て私に文句を言いに来たらしく、連れて行かれたらしい。
風の噂だが、妹は婚約を破棄されたそうだ。
継ぐ予定であった家を失った事に加え、暴力的で癇癪持ちである事が明るみに出たらしい。
自業自得だ。
そんな中、クロードと結婚式をした。
参列者はほとんどいなかった。
息子の結婚式だというのに、国王も居なかった。
私の家からは誰も来ていないし、クロードの方からは宰相と数人の人。
盛大では無かったが、人並みに幸せは感じた。
純白のドレスは一生の思い出だ。
もうこれからは幸せになるだけだ!
そう思って、夜を迎えた。
いわゆる初夜と言われるもので、心臓が痛い。
鼓動が激しく脈打ち続ける。
落ち着け、本で読んだだろ。こういう時は慌てず騒がず、相手の望むままに……
カチャッ
ビクッと体がはねる。
慌てて振り向くと、やっぱりクロードで、
「シェリー?」
「あ、おかえりなさい。ごはんにする? お風呂にする? 私にする?」
「ごはんもお風呂も済ませて来ただろ」
「はい……ごめんなさい、なんて言ったらいいか分からなくて……」
本の変な知識はもういいんだよ。一端忘れよう。
クロードはベッドに腰掛けた。
「互いに愛されない同士、愛し合うなんて……そんな事出来るかな」
不安そうに言うので、思いついた事を口走る。
「愛そうとする努力はあっていいと思うよ。同じ傷を舐めあってもいいし」
「同じ傷を舐める、か……」
「私だって愛せるかどうかなんて、っわ!」
気が付いたら押し倒されてて、いつものニコニコ顔で見下ろされる。
「シェリーに愛されるように努力するよ」
「……クロード様?」
「同じ傷を舐めあおうか、シェリー。愛しているよ」
私達は同じ傷を舐めあった。
変わらず同じ目をしていた私達だったけど、相手を愛する事は忘れていなかったようだ。
その事実に深く安心して、クロードの腕の中で眠った。
*****
大きな動きがあったのは、クロードと結婚して家に入った数か月後だ。
誰かが来て、クロードが対応している。
家はクロードの私兵が固めているので、滅多に人の訪問は無いのだが。
「クロード様? お呼びですか?」
呼ばれたので応接室に足を運ぶ。
部屋に入ると、そこには結婚式にすら居なかった国王陛下の姿があった。
クロードはめんどくさそうな冷めた目で父親を見ていた。
私はクロードの隣に座った。
「何故仕事を放りだした、クロード」
陛下は呻くようにそれだけ言って返事を待った。
クロードは重たい溜息を吐いて、
「結婚したら出て行けと言ったのはそちらです」
「それとこれとは話が違うだろう! 何故仕事を放りだした!」
クロードはもう一度溜息を吐いた。
「この家の領地もあります。国の仕事は続けられなかったのです。結婚も急に決まったので仕事の引き継ぎをする事も出来ませんでした。すぐに出て行けと言うからですよ?」
当家の領地経営など、クロードからしたら片手手間で終わる仕事らしく、いつも時間を持て余していた。
スローライフってやつだね、なんて言っていたのだ。
国での仕事は続ける気なら続けられたのだろう。
たまに口元がニヤついていたのを見逃さなかった。
「戻れ、クロード。まだ仕事が残っているだろう」
「拒否します。何故戻らなければならないのです? 働いたって得なんかしないのに。賃金だって僅かしかいただいていませんよ」
「値上げする、それでいいか? 早くしろ」
「上げられても無理です。僕が今まで回してきた仕事の量を知ってわざわざ来たんでしょう? 兄上達にやらせてください。僕はもううんざりです」
クロードから、今までの仕事については聞かされていた。
国が保有する広大な領地、その運営。
金遣いの荒い側室の借金の補填。
各町を守る警備隊の運営。
貴族の情報を集め、報告する諜報。
法のテコ入れなどなど。
どれだけやっていたかなんて聞いた私でも分からない。
きちんと分かっているのは、陛下は仕事をやる気がなく宰相に丸投げしていた事。
兄二人は金食い虫で何もしないと言う事だ。
クロードがやってきた仕事は、例え兄達二人ががりでも回すのは無理だろう。
それを陛下はよく分かっている様で、
「お前が居ないと国が回らん。何故意地を張る」
「意地など張っていません。国が回らないと言うなら借金を作り出す諸悪の根源を捨てて下さい」
「義理とは言え母を捨てろと言うのか!」
「あんなのを母と思った事など一度たりともありはしない。けがらわしい」
「クロード……お前……」
余りの言い方に陛下が青ざめる。
陛下の前ではいい子でいたのだろうか?
「どうしたら戻って来てくれるんだ……クロード」
その言葉に、クロードは見下す様に陛下を見て薄く笑った。
「兄達を廃嫡してください」
「なっ、クロード!?」
「あれは悪の権化です、国の為になりません。ああ、勿論側室も追放して下さいね」
「兄達を追放して自らが王となるつもりか!」
「元々は僕が王となるはずでした。正しい歴史になるだけですよ」
にっこりと微笑むクロード。
でも目は、笑っていない。
あの鈍色の空に光が差し込む事はあるのだろうか。
私は黙って、ただクロードのやる事を見ていた。
陛下は憔悴した様子で、汗をかき俯いている。
「今決めて下さい。仕事もしないで遊びほうけてる兄達か、居ないと国が潰れるかもしれない存在の僕か」
陛下は呻いた。
獣の唸り声のようだった。
余程国が回らなくて切羽詰っているみたいだ。
「お前は鬼か……肉親を捨てろと言うのか」
「あんなのを肉親だなんて……僕にはとても言えません。そちらのが恐ろしいです」
クロードは楽しそうに言っていたが、目は笑っていない。
無理をしているのがすぐに分かった。
クロードの袖をきゅっと掴むと、安心させるためか微笑んでくれた。
陛下は顔を覆った。
「分かった、クロード……お前の言うとおりにしよう」
「10日以内にしてください。全てが終わったら、仕事をしましょう」
「ああ………お前がいないと回らん、痛感した。言うとおりにしよう」
これが、クロードの復讐か。
私と結婚したのは復讐のための第一歩だったのだろうか。
聞くと、
「相手は誰でも良かったんだけど……シェリーがあんまりにも僕と似てたから……復讐とか抜きにして愛したいと思ったのが最初だよ。忘れないで」
そう言われて額にキスされた。
普通に考えたら男爵家なんかと結婚するはずはないか。
妙に納得できた。
その後はめまぐるしかった。
兄達は廃嫡され、側室は追い出された。
クロードは次の王となるべく再び城で仕事をし始めた。
私も引っ越しをする事になった。
家はそのまま残すことになったが、本は持って行く事にした。
場所は王宮だ。
私は次の王妃となる。
全く身構えていなかった展開で、マナーも礼儀も最低限しか分からなかったが、外に出なくて良い、ずっと本を読んで部屋で待って居てくれればいいと言われ、クロードと別れる事もすでにつらかったので付いて行く事にした。
「幸せになろう、シェリー。僕らにはその権利がある」
一度全てを失って、全てを手に入れた。
自分を痛めつけた人間に鉄槌を振りおろし、ざまあみろと高く笑う。
それでもどこか虚しいだけ。
この虚しさが分かるのは、私とクロードだけ。
クロードは、私のトラウマである後妻を何があっても取らないと約束してくれた。
「君だけを愛するよ。シェリー、いつまでも僕のそばに……」
「クロード様、愛しております。どうかおそばに……」
互いの傷を舐めあって、今日も朝がやってくる……
過去の傷が痛んで泣く事は無くなった。
後は、前を見て幸せになるだけ。
この人と一緒に、幸せになるだけ。