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SING

作者: 和葉

※goose house 「SING」より一部歌詞引用


好きな曲をもとに書くというお題の元での作品です

SING


 何もしない過ぎていく日々。今日で何日目だろう。毎日ぼーっと一人で座って、どうしようもない虚無感に襲われる。部屋を見渡せば目に入るのはすっかり色を失くしたように見える、大好きだったはずの本や写真。それからすっかり埃をかぶってしまった古びたギターケース。そうしたのは自分なのに、現実から目をそらすようにそのギターケースからも視線を外す。今日何度目かわからないため息が零れた。あの時描いた私は、こんな風になってるはずではなかったのに。


 逢澤(あいざわ)真那(まな)。漢字ばっかり難しいこの名前の私の職業、シンガーソングライター。まだまだ一人前とは言えないけれど、それでも自分の好きなことで生きていけることが嬉しかったし満足していた。満足していたはずだった。それなのに今の私は。

 私がシンガーソングライターを志したのは高校生のとき。地元の駅前でストリートライブをしていたアーティストに出会ったのがきっかけ。不思議なことに、自分の人生を決めるくらいの影響を受けたはずなのに、なぜだかその時聞いた曲や彼女の顔も声も思い出せない。でも間違いなくその日から私は変わった。今まで持っているだけだったギターに家に帰った途端夢中になって弾いて、気が付けばそれがなくてはならないものになった。それからギター一本でここまで、ただひたすらに真っすぐに、自分の歌とギターを信じて走ってきた。

 それは突然だった。いつもと同じように起きて、いつもと同じ生活を送って、ギターを抱えたとき、ふとすべてがわからなくなったのだ。音楽とは何か、私がなぜ歌うのか、そうすることでなにが変わるのか。弦を弾く指が固まった。あの日、どんなに考えても答えが出てこなかった私はギターを置いた。

「なんかないかな」

 最近気が付くとそんな言葉を一人で呟いている。なにかトクベツなことを探したいわけではない。だからと言って何もないのはなんだか物足りない。ずっと胸の中をぐるぐると回る矛盾した感情が嫌になって、なにもかも投げ捨てたくなって、どんよりとした曇り空の下へ何も持たずに飛び出した。

 どれだけ一人で歩き続けていたのだろう。小さな水の粒が頬にあたり、我に返った。知っているようで知らない道。見上げればどす黒い雲が頭上を覆い、雨粒は徐々に勢いを増していた。当然傘なんて持っていない。まるで勢いで飛び出した私の大切な何かを、黒い雨雲が隠していくようで。雨を凌ごうと小走りで行きかう人の真ん中で、私はどうすればいいのかわからなくなって立ち止まった。

――ミャァ……――

 通り過ぎていく人たちいぶかしげな視線を感じながら、それでも動けずにいた私の耳にか細い音が聞こえた。手を伸ばさなくては今すぐにでも消えてしまいそうな、弱々しい音。雨の打ち付ける中風に乗って、助けを求めるような、どこか私の心と同じ響きを持った音だった。その音の主の姿は見えなかったはずなのに、吸い寄せられるように私の足は動き、角を曲がった先の公園にたどり着いた。

 さっきよりもはっきりと届く鳴き声。古びたベンチの下に置かれた、小さな段ボール箱がカタリと動いた。恐る恐る雨に濡れたその箱を開けると、小さな子猫が震え助けを待っていた。思わず手を伸ばし抱き上げる。ひんやりとした体温に驚き温めてやらねば、と思ったときに気づいた。自分もこの子と大して変わらない状況なのだ、と。もう一度段ボール箱へ寝かせ、申し訳程度に入っていたタオルをかぶせて、箱ごと抱き上げる。一人で下を向いて歩いてきた道を、今度は前を向き箱の中の子猫とともにまた戻った。道の真ん中に見つけた小さな水たまり。綺麗な空と力強く架かる虹が映っている。いつの間にか雨は上がっていた。

 その日から私は一人暮らしではなく、一人と一匹暮らしになった。幼いころ捨て猫を拾ってきたとき、母がしていたことを必死に思い出しながら世話をしていくうちに、私にすっかり懐いた子猫がかわいく思えて仕方なくなっていたのだ。色の失われていた日々の生活が、子猫によって再び鮮やかに染め上げられていく、そんな気さえした。

 昔飼っていた猫の名前からとって、マッシュと名付けたその子猫はとても好奇心旺盛で、常に家の中を歩き回っていた。突然始まった一人と一匹暮らしも三週間ほど経ったある日のことだった。マッシュと出会ったあの日と同じような曇天の空を見上げているとき、カリカリと何かを引っ掻くような音が部屋に響いた。音が聞こえてくるほうへ顔を向けると奥でマッシュが何かをいじっているのがわかった。あの場所に何を置いていたっけ。頭の中で考えながらその名前を呼びながらマッシュの元へ向かう。

 「……マッシュ、おいで」

 マッシュがカリカリと爪を立てていたのは、あれからさらに埃をかぶった古びたギターケースだった。音楽が見つからないまま、結局この一か月一度も蓋を開けなかった。見てられなくて、早くここから立ち去りたくてたまらなくなった。その場にしゃがみ腕を広げ、できるだけ優しい声でマッシュを呼んだ。いつもならすぐに顔をあげて此方へ来るのに、今日はくる、と振り返っただけ。その丸い大きな瞳は、“なぜ弾かないの?”そんな純粋な疑問を訴えているようで、すぐ顔の向きを戻し音を立て続けていた。

「マッシュ!」

 自分でも驚くほどの鋭い声が出た。目の前で小さな体もびくりと震えた。一瞬にして部屋が静寂に包まれる。

「……」

 何も言えなかった。へたり込んだ自分の手のひらに雫が落ちて、初めて泣いていたことに気が付いた。なぜ涙が流れるのかわからないけど、止まることなく流れ続けた。ぼやけた視界のなかで、ゆっくりと長いしっぽをゆらして私の元へ歩み寄るマッシュを見た。一度は私の前で立ち止まったものの、すぐに横を通り抜けた。どこかに行ってしまう。本能的にそう思ったものの、なぜか体に力が入らずそのまま動けなくなっていた。

 何やってるんだ、私。

 いつの間にかその場に丸くなって眠っていたようだった。不意に体の痛みに目を覚ました時、そんな自己嫌悪に襲われた。勝手に子猫にイラついて、泣いてあたって。子供じゃないんだから。思い出すだけでまたため息が零れる。時計を確認するとそろそろマッシュに夕飯の餌を与える時間だった。いつもの場所に皿を置いても、どれだけ名前を呼んでも、家中くまなくさがしてもマッシュが見つからない。最後に見た後姿に覚えた嫌な感じ。まさか本当になるとは思わなかった。

 「マッシュ、出てきてよ」

 部屋には私の声が空しく響くだけだった。


 あの日から一週間が経った。マッシュは相変わらず姿を見せない。脳裏にはあの純粋な疑問を訴える子猫の姿がはっきりと残っていた。それは色褪せることがなく、むしろ日毎に濃くなっていく。

 私がもう一度歌えば、もう一度音楽を奏でれば、マッシュは帰ってくるのではないか

 そんな独りよがりな考えが一瞬よぎった。何かに縋るように、その考えに突き動かされた私は、見るのすら嫌だったギターケースの蓋を開けていた。

 ギターを抱えノートを置き、ペンを持つ。暗闇に迷い込み自分を失いかけていたあの頃。マッシュという小さな光に出会ったあの日。くらべものにならないほど賑やかになったそれからの日々。その一つ一つが蘇っていくうち、頭の中にメロディーが流れノートに言葉を綴る手が止まらなかった。溢れ出す感情をカタチにしていく。久しぶりのこの感覚が楽しくて仕方なかった。

 マッシュと出会ったあの日から、今日で六十四日。久しぶりに書き上げた曲と、綺麗に埃を拭いたギターケースを持って、あの日と同じ道を今日は真っすぐ前を向いて歩く。

 小さな公園のあのベンチに腰掛けギターを抱える。小さなこの公園いっぱいに、大好きなアコースティックギターの音色を響かせた。

「……僕らはまだ不完全で、もろくてちっぽけな音だけれど」

 この曲だけは妥協したくなくて、何度もギターのコードや言葉の言い回しを考えた。その分時間はかかったけれど、自分の納得する大好きな曲が出来上がった。マッシュに、届けばいいな。

「あの虹を渡っていくよ Let’s sing a song……」

 最後のフレーズを歌い終えたとき、小さな拍手が聞こえた。目の前の小さな女の子が、笑顔で手をたたいていた。やがてそれは段々と大きくなっていく。気が付くと私のまわりにはたくさんの人がいた。その瞬間胸に広がる嬉しさ、楽しさ、達成感。自分がカタチにしたものを表現して、だれかに届ける。私がしばらく失っていたものだった。そして。

 ――ミャァオ……――

「……マッシュ!」

 いつの間にか人だかりの端にマッシュがいた。呼ぶと、二か月前よりもだいぶ逞しくなったその猫は、軽やかに私の座るベンチへと飛び乗った。その大きな瞳は“よかったよ”そういってくれているようで。両手を伸ばし、マッシュを抱きしめる。変わらない鳴き声、温もり。

 私は、失ったものをすべて取り戻した。


                                                           Fin.


2015年6月 執筆

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