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「あの、私こんなには……!」
両腕にいっぱいの洋服を持たされ、エルザはもはや涙目になっていた。
「あらーん、これもかわいいわあ。でもこっちも捨てがたいわよねえ」
ティナが目を輝かせて店内の洋服を次々にエルザの体に当てて歓声を上げる。そのどれもに手の届かない値段の記載された値札が付けられ、エルザは困り果てていた。
「持ち合わせもそんなにありませんし……」
両親が亡くなったばかりなのだ。いくら遺産が少しはあると言っても、自分が稼げるようになるまではそれしか頼りにならないのだから、贅沢はするべきではない。そもそも普段から贅沢な生活には縁のなかったエルザには由々しき事態だった。
そう言いすがったが、ティナはからからと笑っただけだった。
「あら、何言ってるの。あたしからのプレゼントよう」
誕生日はまだ先だし、贈り物をされる理由がない。
エルザは慌てて断った。
「理由もなしに受け取れません、こんなに高いもの……!」
「理由ならいくらでもあるわよ? おいしいご飯のお礼とか」
「労力に対して対価が釣り合っていません」
「そう? じゃあ、レオンのお守りに対するお礼とか?」
「私がお世話になっているんです」
「うーん、じゃあ……、まあいいか。とにかくあたしがプレゼントしたいのよ。あなたは黙って受け取りなさいな」
「そんな……!」
あわあわと慌てるエルザの額をティナが指でつんとはじく。
「そんなに理由がほしいの? あなたのその理屈っぽさは少し問題ね。もう少し頭を柔らかくしないと生き辛いわよ」
だって、そんなに気安くもらえる値段じゃない。
普段着にしている洋服に比べると、桁がひとつ多いのだ。
「ティナが、今夜は少佐の好きなものをお夕飯に作ろうっていうからお買い物に出たのに、なぜこんなことに……」
ぶつぶつと疑問を垂れ流す。「お詫びのしるしに好物でも作ってあげればいいわよ、あたし教えてあげるから」と言うティナに半ば引きずり出されるように連れ出されたのだ。
「ほら。ここ、しわ寄ってる」
ぐにぐにとティナの細い指が眉間のしわをほぐす。
「楽しいのよ、こうやってあなたに構っているのが。あたし末っ子で兄しかいなかったから、妹がいたらこんな感じかしらって楽しいの。だから、付き合ってもらってるお礼として、受け取ってもらえないかしら?」
目の前のティナは確かににこにことしていて楽しそうだ。ひとりっ子のエルザだって、もしも兄弟がいたらという空想をしたことはあるし、そう思ってもらえるのは素直にうれしい。
しかし問題はその金額である。どうやらティナの金銭感覚はエルザのそれとは違って、はるか高いところにあるようだった。
「……甘やかすのはよくないです」
「あなたが自分を甘やかさないから、代わりにあたしが甘やかしているの」
最後の抵抗もあっさりと受け流される。何を言ってもわかってはもらえないようだ。
普段なら絶対首を縦に振らないところなのだが、ティナがあまりにも楽しそうなので、エルザはしぶしぶ頷いた。
「……そこまで言っていただけるなら」
小さい声でそういうと、ティナはぱっと顔を輝かせて、エルザが両腕に抱えた洋服を取り上げた。
「あっ、でも、一着だけ! 一着だけですよ!」
そのまま会計をしそうだったので、慌ててひきとめる。
ティナは「えー」と不満げに口をとがらせたが、一着だってエルザには苦渋の決断なのだ。譲れなかった。
「無駄遣いはだめですっ」
再度釘をさすと、ティナはしぶしぶその中からどれがいいのかを悩み始めた。
「どれがいいかしらねえ。あなたはかわいいから、どれも似合っていて困っちゃうわ」
かわるがわるエルザの体に当てて眺める。
「かわいくなんて……」
慣れない賛辞にぽっと頬が染まる。いたたまれなくなって俯いた。
「そうやってほっぺを真っ赤にしちゃうところとかね」
くすっと頭上から笑いが降って来る。子どもっぽいと言われた気がして頬がますます熱くなった。
「やっぱりこれかしらね」
ティナが納得するように頷きながら一着のワンピースをエルザの体に当てる。
それは深いワインレッドのワンピースだった。大人っぽい色でありながら、襟元とひざ丈のスカートの裾に黒いレースがあしらわれていてかわいらしい。
「こんな大人っぽい色、初めてです……」
着こなせるのかしら、と不安に思う。
エルザの心中の不安にも構わず、ティナは満足げに頷いた。
「そうね、あなたは色が白いから淡い色も似合うけれど、たまには大人っぽいのもいいと思うわ。いつまでも子どもだと思ってるどこかのお馬鹿さんに、見せつけてやりましょうよ」
「お、お馬鹿さん……?」
誰の事かわからなくて聞き返したが、答えはなかった。
「それにほら、このネックレスにもよくあってる」
ティナの指が喉元のガーネットをこつんとはじいた。
「これ、ガーネットでしょ」
「そうです。私、一月生まれなので」
「もしかして幼馴染くん?」
にやりとティナがからかうように口の端を引き上げる。
「ち、違います! 今年の誕生日に、両親が」
慌てて否定すると、ティナはうふんと笑った。
「そう、素敵ね。――ね、ガーネットはね、変わらぬ愛情と深い絆をもたらす石なの。知ってる?」
「いえ……」
「例えば、大切な人との別れの時に再会を祈ってガーネットを贈り合ったりするの。大切な人との愛情を深める石なのよ。きっとご両親はあなたとの絆を大切にしたいと思っていたのね」
首元に視線を落とすと、首の動きに合わせて赤い石が肯定するようにころんと動いた。
エルザの胸がほんのりと温かくなった。血のつながりという確かなものがない自分達なのだから、なおさらその絆を大切にしようと両親が思っていてくれたなら、それはとてもうれしいことだった。
「ガーネットの石言葉はね、確か……友愛、勝利、真実」
「友愛、勝利、真実……」
繰り返して呟く。なにか引っ掛かりを覚えて首をひねった。
「それにしても、そのワンポイントの鍵、ものすごくリアルね。装飾も頭の部分にしかされていないし、ちょっと小さいけど本物の鍵みたい」
ティナがしげしげとネックレスを見ている。
確かに鍵の部分だけ妙に古びているのだ。アンティークっぽく見せる加工が施されているのかと思っていたのだが。
じっと見ていると、何かが頭の隅で瞬く。
「鍵……、ガーネット……?」
思い出せそうで出てこない。
何か他にあった気がする。ガーネットのついた、鍵のかかる何か。
「どうかしたの?」
ティナが怪訝そうにエルザを見つめる。
「いえ……どこかにガーネットが……」
要領を得ないエルザの返答にティナがこてんと首をかしげた。
――思い出さなきゃいけない気がする。
頭の中で家の中を巡る。
居心地のいい居間。だんらんの場所。
広くはないけれど使い勝手のいい台所。
日当たりのよい書斎。煙草の匂いがこもってる。
両親の寝室。お日様の匂いのするシーツ。
母の鏡台。その、引き出しの中に。
「あ……」
頭の中で鮮やかな赤が閃く。
――真実の箱、だ。
「あの、帰りに家に寄ってもいいですか?」
* * * * * * * * *
家の前につくと、なぜかユリウスが立っていた。
「ユリウス……、どうしたの?」
ユリウスはエルザの後ろに立つティナをじろりと睨みつけた。
不穏な気配にたじろぐ。
対照的に、ティナの方はそんなユリウスの視線もどこ吹く風だ。いつもと変わらない余裕のある微笑みを浮かべて、エルザの耳元に囁いた。
「彼が噂の幼馴染くんね」
「あ、えっと、ユリウスです。ユリウス、こちらはティナ」
一応紹介をしたが、ユリウスは不機嫌そうに答えた。
「……知ってる。はじめまして」
ものすごく嫌そうな顔だったが、それでも律儀にぺこりと頭を下げた。その生真面目さがユリウスのユリウスらしいところである。
なんだか怒っているような彼に、エルザは戸惑った。
「はあい、はじめまして」
ひらひらと手を振って愛想よく答えるティナに構わず、ユリウスはエルザの手をぐっと握って引き寄せた。たたらを踏んだエルザがバランスを崩してユリウスの腕にしがみつく。
「少しふたりきりにしてもらえませんか」
「え、あの、どうしたの、ユリウス?」
そんな言い方をしたら、またティナにあらぬ誤解をされそうだ。現に目の前のティナは、にやにやと面白そうに笑っている。
「どうしようかしら。あたし一応護衛のつもりなのよね」
「俺がいれば大丈夫ですから」
ユリウスとティナがにらみ合う。
しばらくにらみ合っていたが、やがて根負けしたように、ティナが肩をすくめた。
「仕方ないわね。あたしはここで待ってるわ。あなた、中に用事があるんでしょう? ふたりで行ってきなさいな」
やれやれと言うティナに浅く頭を下げると、ユリウスは手を引っ張ったまま家の中に入る。
「あたしだって馬に蹴られるのはごめんだわ」
ぱたんとしまったドアの向こうからティナの呟きが聞こえた。
中に入ると、ユリウスがそっとエルザの手を離した。
「あの、ユリウス?」
何を考えているのか分からないユリウスの背中が何故か少し怖く思えて、エルザはおどおどと声をかけた。
「ちょっと……失礼だったんじゃないかしら」
「あの人は少佐の右腕だ。……お前は信用できるのか」
少し傷ついたようなユリウスの声に、気まずくてエルザは足元に視線を落とした。
少佐やティナを信じることは、彼を傷つけることになるのだろうか。ユリウスのことを信じていないわけではないのに、ままならないものだ。そう思うと胸が少し痛んだ。
「あのね、ユリウス。心配してくれてありがとう。私の代わりにいっぱい考えてくれてるのもわかってる。ユリウスを信じてないわけじゃないけど、でも、私」
そっとユリウスの袖口を握る。
「少佐も信じたいの」
ユリウスが自分の事を心配してくれているのは分かっている。それでも、自分の心の在りようは変えることができなかった。
「ごめんね」
「謝るな」
ユリウスが背中を向けたまま言う。
「……うん」
振り向かないユリウスの背中にそっと寄り添った。触れたところから感謝の気持ちが伝わればいいのに、と思った。
「……用事があったんじゃないのか」
振り返らないまま問いかけられて、エルザはあっと声を上げる。
「そうなの。私、思い出したのよ」
そのままユリウスの脇を通り抜けて両親の寝室へ向かう。
ドアを開けると、あの日のままの光景が広がっていた。カーテンが閉め切られている室内は昼間だというのに薄暗く、否が応にも両親の最後の姿を思い出させた。
「……っ」
ゆらゆらと。あの日、ふたりはここで。
言いようのない恐怖が蘇る。部屋の入口で足がすくんだ。
「大丈夫か」
後ろから両肩を支えられて、我に返った。
目をつぶって深呼吸をする。心を落ち着けて目をあける。
――大丈夫。
ここは両親のいたところ。怖いはずなんかない。
自分に言い聞かせて、そっと部屋に足を踏み入れる。肩に添えられていたユリウスの両手が体温を残して離れていった。
部屋の中に入って、母の使っていた鏡台の引き出しを開けた。
そこには、蓋がガーネットで飾られた宝石箱が入っていた。ガーネットが好きだった母に、父が若い頃贈ったものだった。
母はエルザの前でその宝石箱を空けたことはなかった。開けてみてとねだっても、母は困った顔をして首を振った。
『この箱には真実が詰まっているの。今はまだその時ではないけれど、いつかあける時が来るわ』
そう言っていつも最後は寂しそうな顔をした。――それがどうしてかは結局分からなかったけれど。
箱の側面には鍵穴がついている。エルザの推測が正しければ、きっとネックレスについた鍵が合致するはずだ。
カーテンの隙間から外を見ていたユリウスが、カーテンをそっとしめなおして歩み寄って来る。エルザの手元を覗き込むと、ぎこちない声で問いかけた。
「それは?」
「あのね、お母さんの宝石箱なの」
首元のネックレスを持ち上げて鍵を見せる。
「ほら、これ。この鍵がもしかしてこの宝石箱の鍵なのかもしれないと思って」
「そのネックレスは?」
「今年の誕生日にお父さんとお母さんがくれたの。もらった時は分からなかったんだけど、この鍵で開くんじゃないかしら」
「……中を見たことは?」
「まだよ。小さい頃からお母さんがこの箱をあけるところを見たことがないの。ねえ、ガーネットの石言葉を知っている? 石言葉は『友愛、勝利、真実』なんですって。お母さんはこの箱を真実の箱なのだと言っていて――」
エルザは思い出したことがうれしくて浮足立っていた。勢い込んでそこまで話したところで、ふとユリウスがここにいた理由が気になった。
「あ、ごめんなさい、私ばっかり話して。ユリウスは何か用事があったのよね? ……あれ、でもそれならどうしてここに?」
少佐のところでお世話になっていると伝えたはずだ。エルザに用事があるのなら、ここに来ても意味はないことはわかっているだろう。
宝石箱に落していた視線を上げて、ユリウスの顔を見る。ユリウスはなぜかひどく悲しそうな顔をしていた。
「そこに……精製法が隠されているのか」
投げかけられた言葉の理解をするのに数秒かかった。
「……え?」
どうして知っているの、と。
疑問は声にならなかった。
素早い動きで背後に回ったユリウスに口を塞がれる。口元に当てられた布からは、つんと刺激臭がした。
口をふさぐ右手の甲には包帯が巻かれている。
唐突に思い出した。
――血痕。
レオンハルトが言っていた現場に残った血痕。ユリウスが包帯をしているところを初めてみたのは、あの件から二日後だ。
がたん、と宝石箱が手から滑り落ちて不吉な音をたてる。
世界が闇に覆われるように暗くなって、やがてエルザは完全に意識を失った。




