Kap.1 富豪平民と貧乏皇族
壮漢国・文陽空港。ここはシュピーゲルベルク東方帝国と辺境諸国を結ぶ玄関口であり、それを反映して金髪碧眼・深い彫りの帝国人と黒髪黒眼・彫りの浅い辺境人が多数行き交い、賑やかな雰囲気をかもし出している。
この空港の入国ゲートに、金髪碧眼、中肉中背の典型的な風貌の帝国人青年が降り立つ。随員の、それほど年の変わらない青年とともに、なにやら話をしつつ、入国手続きを待っている。
「・・・これからの予定はとりあえず文陽のホテルに宿泊した後明日4時半に車に乗って一路洛秦国へ向かいます。」
「おいおい、そんな早くにか。勘弁してくれよまったく~。」
「社長、わがままはおよしください。文陽から洛秦まで車で8時間はかかります。それくらい早起きしなければ明日13時の洛秦王府との商談に間に合いません。」
「8時間も車に乗るのか!まったく儲け話には裏があるってことか~。」
社長と呼ばれたその青年は、バルタザール・ヘルムート・マイヤー、この年34歳になる男である。10年ほど前にマイヤー社という商社を設立し、その手腕でもって帝国と辺境諸国の貿易におけるシェアを6割獲得した。平民の出身でありながらその資産は帝国の上級貴族にも匹敵する。
会社を十年で急速に拡大させ、帝国の五本の指に入る富豪でありながら、華美を好まず、生活は質素で、気取らない性格をしている。容姿も至って普通であり、周りの人間もこの男が大富豪であろうとは気づかない。しかしなかなかに上昇志向が強く、もう少ししたら帝国議会の庶民院議員になろうとしている。高額納税者であるため、当然被選挙権を得るための納税基準額は安々とクリアしている。
「その苦労に釣り合うだけの儲けは確実にあります。」
そう若き社長に囁くのはマイヤー社の社長秘書ヴィルヘルム・フォン・デム・シュライバー(通称ヴィリー)、33歳。バルタザールのギムナジウム時代の後輩であり、実家は伯爵家の帝国貴族の出身である。ただし、貴族の生まれとはいえ4男でもともと家督を継ぐ見込みはない上に、フォン・デム・シュライバー家の、男子は軍人になるという家法に反発し勘当されている身である。理知的でその能力でもってマイヤー社の成長には少なからぬ貢献をしている。その能力でもって軍においても優秀な参謀となれたであろうことは想像に難くないが、彼はあくまでビジネスの道に進んだのである。
「まあな。そう願いたいよ。」
マイヤーは秘書の正論に返す言葉もなかった。
翌日、午前4時半少し前。宿の前で何かを待つバルタザールとヴィリーの前に、目当てのものが到着した。
「おい、ヴィリー、こんなごつい4WDとは聞いていないぞ。」
「社長、洛秦国は山奥です。通る道はあまり整備されていません。これくらい、知らなかったのですか?」
ヴィリーが呆れながら答えると車の運転手が降りてきた。
「おはようございますアル。今回運転を仕りまする王信と申すアル。ワンとよんでくれアル。」
怪しい帝国語を操る辺境人が登場した。話す言語のおかしさに笑いをこらえつつバルタザールは握手を求めた。
「マイヤーだ。こっちは秘書のシュライバー。よろしく頼む。」
ワンはバルタザール、ヴィリーと握手をした。人懐こい感じの中年。バルタザールはワンにそう印象を持った。
「ではすぐ行くアル。早く乗ってくれアル。」
三人は帝国製の大きな4WD車に乗り込み、目指す洛秦国へ向かった。
車に乗ること8時間。ものすごい長旅である。途中で何度も休憩しているが、バルタザールとヴィリーの顔にも疲れの色が出てきている。
文陽から4時間あまりは平原を走る道幅も広い直線道路であった。この道路は辺境諸国をつなぐ幹線道路で、辺境諸国にはなくてはならない社会資本である。
しかし国境監視所を通り抜けると道は一気に山道となる。山道となってもその後1時間くらいは舗装もされ、整備も行き届いている。しかしその後は舗装もされない状態だ。二車線分の広さはあるものの、森の中に砂利道が通っているだけ。ところどころのがけにはガードレールすらない。
ワンは慣れた風に車を走らせて行くが、二人にとっては初めての土地。なれない経験で疲れるのも当然である。
「そろそろ着くころではないか・・・。」
腕時計を見るとちょうど正午。出発時には日もなかったが今となっては太陽も真上に来ている。バルタザールは太陽の位置に経過した時間を実感した。
「ええ・・・。そのようですが・・・。」
普段冷静なヴィリーも、その声に疲れを混じらせながら答えた。
「あーもーすぐネ。あと30分もあれば着くアル。」
ワンは振り向いて笑顔を振りまきつつ言った。さすが地元の人間。長時間運転していても疲れ一つ見せていない。
「あ、社長。あれではないですか。」
突然ヴィリーが体を起き上がらせて外を見た。
彼らの前に、町が見えてきた。急峻な山々の谷間に存在する、町である。
「そうネ、あれが洛秦国アル。」
ワンがヴィリーの声に答える。
国、といっても洛秦国は一つの都市の規模にすぎない。いわば都市国家とも言うべき国だ。谷間にある町に、100万人が住んでいる。小さい町にしては多くの人が住むため、町は高い建物が多い。
「はあ、やっと着いたか。・・・目的地に。」
バルタザールは疲れを湛えながらも、この国で新たなる成功のための布石を手に入れられるといういい予感を感じていた。
バルタザールとヴィリーの二人は滞在中の宿で休憩した後、まずは帝国の駐洛秦弁務官事務所へ向かった。今回の商談は物資の欠乏に苦しむ洛秦国への支援として、帝国政府主導で行われている。すでに政商として確固たる地位を確立しているマイヤーにはふさわしい仕事ではある。そのための方針の協議として、帝国弁務官事務所にいく必要があった。
もっとも、最近では帝国と辺境諸国の関係は悪化の一途を辿っている。そもそも現在も帝位に就いている「武帝」グスタフ・クレメンス帝の主導により、10年前に帝国と辺境諸国は戦争をしている。国力において圧倒的に勝る帝国がもちろん勝利した。その後辺境諸国の諸王に侯爵以上の爵位を与えて皇帝の下に置き、形式的に辺境諸国は帝国に従属する形となった。また帝国はそれぞれの辺境諸国に外交官という名目で弁務官を派遣し、辺境諸国に露骨な内政干渉を行うようになった。
この状況で辺境諸国は帝国に対して反発を強めていくのは当然である。しかし時の行政院総理大臣アドルフ・ヴェステンバッハは庶民院所属の民衆政治家で、「民力休養」を掲げて武断的な皇帝を掣肘している。ヴェステンバッハは物資の欠乏に苦しむ辺境諸国の援助を打ち出すことで、辺境情勢の安定化を図ったのである。
駐洛秦弁務官事務所に到着し、バルタザールとヴィリーは弁務官室に入る。
「お待ちしておりました。弁務官のアウグスト・デッケン大佐であります。」
「マイヤー社のバルタザール・ヘルムート・マイヤーです。」
「同じくヴィルヘルム・フォン・デム・シュライバーです。」
弁務官デッケンは挙手注目礼、商人の二人は右手を左胸に当てて会釈をする文民的な礼法をした。
弁務官デッケンは、二人を応接用のソファに案内し、洛秦の状況を説明しつつ、商談で気をつける点などを説明した。
「洛秦は二ヶ月前の崖崩れで農業生産がダメになり、食糧生産が止まっております。いまは備蓄用の食糧でしのいでいますが・・・。ともかく、貴社が食料の取引をしてくれるということではありますが、ほかにこんな山奥まで食料の手配もつけられる会社もないでしょうから、商談には王府は喜んで飛びついてくるはずです。」
「まあありがたいことですな。競合他社がいないというのはとてもやりやすい。まあ、われわれは危機のときに足元を見て物を売りつける悪徳商人と見られてもしょうがないでしょうな。」
バルタザールの冗談に大笑いする一同。しかし弁務官デッケンはすぐに笑みを消し、深刻な面持ちでバルタザールに言った。
「そのことですが冗談ではすまないと考えてください。今帝国と辺境諸国の関係は最悪です。おそらく洛秦王はあなた方のことをそういう認識で見ているでしょう。引見の際にはお気をつけください。万が一にも言いがかりをつけられたら、あなた方は民間人です。外交官特権もないので不敬罪などで逮捕されてしまうかもしれません。」
デッケンの警告に首肯する二人。
「わかりました。十分に気をつけるとしましょう。」
「よろしくお願いします。・・・ところでフォン・デム・シュライバーさん。」
突然デッケンが話を変え、自分に話題を転換してきたので驚いて目を丸くするヴィリー。
「失礼ですが、フォン・デム・シュライバーという姓であることは帝国参謀総長のフォン・デム・シュライバー元帥閣下となにかご関係がおありなのですか?いやね、私もこのとおり軍人でして、フォン・デム・シュライバー家は名門軍人一家ということは存じているのですが・・・。」
いきなりの無礼とも取れる発言に、ヴィリーは少しムッとした態度を示した。それに感づいたのか、すこしいたたまれなくなるデッケン。
しかしすぐにヴィリーは平常の態度に戻り、静かに言葉を紡ぐ。
「・・・あの老人は私の父です。私はこのとおり商人を志しましたので、フォン・デム・シュライバー家からは勘当されたのです。」
その言葉を聴き、デッケンは聞いてはならぬことを聞いてしまったと後悔の念に駆られた。
「あー、それは本当に失礼いたしました。話しづらいことを話させてしまった。本当に申し訳ない。」
「いえ、お気になさらず。」
こうして弁務官との会談は一抹の後味の悪さを残して終わった。
洛秦国・王宮。
洛秦国は辺境諸国に特徴的な長方形で碁盤の目状に整備された都市でもある。南から都市の中央を北へ大通りが走っており、その北の終点に王宮がある。
王宮は漆喰塗りと赤の櫓のコントラストが美しく、壮麗な瓦葺屋根で、辺境伝統文化の建築様式を反映している。
その王宮の紫宸殿。王が臣下の者と謁見する建物に、バルタザールとヴィリーがいた。二人は右足を立てひざに構える帝国式の礼法で持って洛秦王に傅いている。
「王殿下にはご機嫌麗しく・・・」
彼ら二人が傅く先、玉座に不機嫌そうな男が座っている。この者こそ、洛秦王・朱剛毅である。辺境諸国の中では弱小の地位にありながら最も帝国に対して強硬な姿勢を持つ者である。先の敗戦以降帝国侯爵たる地位は与えられたものの、そんなことはお構いなしとばかりに帝国への強硬姿勢を崩していない。このため、マイヤー社もこれまで洛秦国との貿易には進出を躊躇ってきた。
「ふん、いい気なものだ。この国の足元を見てモノを売りつけに来た金の亡者め・・・!」
王は二人のあいさつも鼻で笑い、そう言い放った。王からすれば二人は紛れもなく困っているところをいいことにモノを売りつけに来たハゲタカ・悪徳商人である。これまで自前の農地で貧しいながらも自給自足で暮らしてきたのが誇りであった。しかしその自給自足体勢も崩れ去り、敵に頼らざるを得ないのが王にとっては最上級の屈辱であった。
「ご冗談を。われわれは純粋に洛秦国のため、物資を安価にて提供せよと帝国政府からの指示で参った次第でございます。」
ヴィリーは王からの挑発をかわし、冷静に正論をもって反論した。
「ふざけるんじゃない!その帝国の指示が、わが国に恩を売って飼い殺そうとする意図の表れではないか!」
王は玉座から立ち上がり、激高した。王の怒りに周囲の廷臣たちは狼狽しているのに対し、バルタザールとヴィリーは至って平静を保っていた。
バルタザールは一瞬ヴィリーのほうを向き、お互い顔を見合わせた。バルタザールは任せておけと言わんばかりに笑みをヴィリーに向けると、表情を正して王に向き直った。
「王殿下の立場は心に痛み入ります。ですが殿下が主張される帝国の意図があるにせよ、まあ私としてはそんな意図はないと思いますが、我々のロジスティックスを用いてしかこの国に物資を運ぶことはできません。過去のわだかまりは水に流し、ここは我々に任せてくれませんか、殿下。」
「うぬぬ・・・!」
バルタザールは王を論破し、やり込めた。王はその正論に反論することもできず、苦虫を噛み潰したような顔をして黙り込んだ。
「王殿下が我々帝国をお嫌いになるのはわかります。それは私情、殿下ご自身の問題でありますゆえどうぞ自由になさいませ。しかし、百万の臣民を守るのが殿下の責務。ここは私情を持ち込むなど殿下の『仁徳』を失わせしめるような行いはやめ、どうか君主としてふさわしい選択をなさってください。」
辺境の王権論の概念までも用いて、バルタザールは王を諭すように論破してゆく。王はその言葉に声一つも出せなくなり、玉座にどかっと座りこんで頭を抱え込む。
「・・・わかった。その方らの好きにするがよい。」
王は静かにそう呟くと、そそくさと王の間から退出してしまった。
その様子に、表情こそ崩さなかったが、勝利の喜びをかみ締める二人であった。
「あー、なんか意外に楽勝ってやつだったなあ。」
王との商談がまとまり、商店街で食料の調達をする二人。粗末な屋台が並び、人がごった返しているが、それは賑やかそのものである。辺境に来たら絶対食べる、彼の大好物の小籠包を大袋一つ買い込み、バルタザールはヴィリーとぶらぶらしていた。
「王には我々との商談に応じる以外の選択肢はありません。だから楽勝で当然なのです。別に誇ることではありません。」
ヴィリーの正論かつ皮肉が飛ぶ。
「ちぇ、まったくかわいげのないやつだな。ギムナジウムで初めて会ったときはあんなにかわいかったのに、時の経過って残酷だな。」
「それほどでもございません。」
「ほめてねーし。」
大袋を抱え込んで不機嫌な表情になるバルタザール。社長でありながら秘書のヴィリーに袋を持たせないのはバルタザールにとっては自然なことである。彼は大企業の社長でありながら部下にはまったく威張らず、常々自然体で接している。彼は部下からの人望が厚い人格者の大富豪として有名なのだ。
「ま、とりあえず早く帰ってこれ食おう。」
彼は笑顔になって持っている袋を見下ろした。
次の瞬間、大袋が引き剥がされる。
バルタザールは何が起きたかわからず動きを止めた。彼の目には、足の生えた大袋が見えた。
「んな!?」
大袋はそのまま脇の路地に走り去った。
「ど、泥棒だ!おい待て!!」
彼はようやくひったくりの被害にあったことに気づき、犯人の行方を追う。当然、ヴィリーも彼の後を追う。
「まてぇぇぇっ!俺の小籠包ぉぉぉぉ!」
バルタザールは叫びつつひったくり犯を全力で追跡する。
フードを被っていてよくわからないが、たぶん子供だ。体に対して大きすぎる袋は犯人の速度を奪う。
バルタザールは犯人を射程距離に捕らえると手を伸ばし、後ろからその襟首をつかんだ。
「捕まえたぞ!狼藉者!」
彼はなおも抵抗する小さなひったくり犯から袋を強引に奪い、突き転ばした。そこにヴィリーも到着する。小籠包は無事だ。
「何をするか無礼者!!」
ひったくり犯は転ばされ、しりもちをつきながらも二人に食って掛かる。
転んだ反動でフードが取れた。金髪碧眼、幼いながらも彫りの深い顔立ち。帝国人だ。着ている服は極めて粗末だが、顔は気品を纏っている。
予期せぬ帝国人との出会いに、目を丸くする二人。この出会いが、後の帝国史に大きな影響を与えるとは、このときは誰も知る由がなかった。
ひったくり犯の帝国人の少年を逃げられないように袋小路に追い詰め、そこで事情を聞きだす二人。
「で、お前は皇太子フランツ殿下の7男で、名はオットーというれっきとした皇族なわけだな。」
「お前とは何だ!余は神聖不可侵なるシュピーゲルベルク皇帝の皇孫であるのだぞ!」
「うそつけ!皇族がこんな辺境にいてしかもこんな汚え格好してひったくりなんかするわけねえだろ!!!」
オットーと名乗る少年とバルタザールは極めて子供じみた言い合いをしている。その様子に呆れつつバルタザールへ言った。
「社長、やはり現地警察へ行ったほうがよろしいのではないかと・・・」
「余は皇族だ!治外法権がある!ここの警察なんていったって無駄だぞ!」
「ヴィリーは俺に話してんだ、ガキはすっこんでろ!」
バルタザールはなおも食って掛かる少年に拳骨をお見舞いした。うずくまるオットー。
「うーん、でも帝国人同士だからなあ。弁務官事務所へ連れて行ったほうがいいのかもしれんぞ。」
唐突に冷静になりヴィリーに向き直るバルタザール。
「弁務官事務所ですか。その手もありましたね。しかし・・・。」
「しかし?」
「この少年の話も気になりますね。」
ヴィリーは神妙に答える。ヴィリーはかつて帝国と辺境諸国が秘密裏に人質を交換し合っているという話を聞いたことがあった。戦争再発を防ぐためにお互いの皇族を交換する。これは極めて非人道的なので、建前上は存在してはならないのだが・・・。もしかして少年はその人質かもしれない、そういう確信がヴィリーに芽生え始めていた。
「僕、本当に皇族なのかい?」
ヴィリーはオットーに目線が合うよう、しゃがんで問いかける。
「そうだ、余は皇族だ。」
「その証拠というか、証明できる人はいる?」
少年を諭すように問いかけるヴィリー。ヴィリーは頭が回るしこういう場面がうまい。怒りも覚め、バルタザールはヴィリーにこの場を任せることとした。
「証拠もあるし証人もいる。余の家に来るといい。」
ヴィリーは立ち上がり、バルタザールに向き直る。
「ということらしいですが・・・。」
「しかたあるまい、行ってみるか。」
二人はこの自称皇族の少年の話を信じてみることにしたのである。




