1-1 車椅子の少年
淡い光を注ぐ月が浮き出る夜空に一つの声が響く。
「こんな世界無くなってしまえ」
この世界にある事件が起こってしまう前夜の事であった。
◇◆◇◆
ーーーガタゴトーーーガタゴト
様々な木々が生い茂る緑豊な地にて、それは揺れ動いていた。回りの風景に溶け込んでない、異物そのものである。
鉄の塊にして、人という知恵が技術を積み重ねた結果、成した人を運ぶ物体。
”電車”
鉄の塊が自然に溶け込めということに無理があると思うが。
その二両編成の電車に乗車する人の数は少ない物だ。こんなに空きスペースがあるなら、もう少し小さくすればいいのに、と思ってしまう人は思ってしまうだろう。燃料の消費。この鉄の塊を制作するコスト。
「削減できた事でまた新たにできることが増える!」そう思えるだろう。
平日ましてやこんな真上に日が昇ったお昼の時間でなければ、利用者は倍どころか電車に収まらないほど人であふれる状況を見て、それが言えるのはバカを通りこして、一種の天才だろう。
だがこの電車は朝も昼も夜も。どの時間帯にしても利用者は少ない。都会からでる未開地と言っていいも言いほどの自然が溢れかえっている。
9割の利用者が登山や旅行などの観光客だろう。
じゃあ、残りの1割は?
それはこれから向かう山奥に唯一、存在する施設へ向かうものたちだ。
”伊集院医院”
”い”が非常に多く読みにくいと印象を持つだろう、ここ数年で精神科、脳神経外科によって爆発的に有名になった施設だ。ニュースでも取り上げられ、実際に脳にかかわる病気や、記憶障害さえ治している実績もある。
だが最近は別の意味でも有名になりつつあるのも事実。
植物人間などと言った手の施しようのない患者や精神障害者、犯罪を犯したものなど異常ときたす者たちを嬉々として請け負っているのだ。
そう嬉々にだ。挙句の果てに”異常者のための病院”とまで呼ばれ始めている。
そんな施設がある山奥に向かう電車の中は実に暗いものだ。明るいと思われるのは一両車目に乗っている親子だけだろう。女の子は目まぐるしく変わる風景に喜び、満面な笑みを浮かべている。
二両車目など天と地ほどの差。
警察官に囲まれて、ほけーと阿保面で外を眺める青年、携帯ゲーム機を必死に睨みひたすらピコピコと指をせかせか動かす少女。様々だが皆が皆言葉を発していない。
とくにこの少年。顔が絶望の端へと立たされている様に真っ黒だ。感情すら皆無。
『なんで…。なんでオレがこんな目にあってるんだろ…』
目に力さえ宿ってないこの黒髪のごく普通の容姿である少年がなぜ活力がないか、その原因はこれから向かうことになった伊集院病院であるが他にもいくつも彼を支える精神を砕いた原因はある。
まず一つはこの彼が座る車椅子。彼は歩くこと、一人で立つことさえできない体なのだ。幼少の頃より歩けなかった彼は物心ついた当たりから絶望を感じていた。
他の子供の様に駆け回りボールを蹴ったり、鬼ごっこをしたりと普通の生活にまで支障をきたす彼はどん底スタートだった。
これが第一の挫折。
だが、そんな彼にも活路があった。
車椅子で行うバスケットボール。小学校二年生の頃に出会ったそれはまさに運命だった。運動をしたことのない彼なわけで最初のうちはついていけなかったものの、彼の目はかつてないほど輝いていた。そんな彼だ。苦しさより楽しさが勝る彼の生き甲斐となり、彼のバスケットボールの腕は瞬く間に伸びていった。
だが今年、彼が高校二年生にあがる春。第二の挫折が訪れた。
試合での転倒。利き手である右腕の負傷。医師から受ける宣告。
『気の毒だが…もうスポーツは辞めた方がいいじゃろう…』
自分は何一つ悪いことをしていないのになんだこの仕打ちは、なんだこの展開は。彼は自分の運命を恨み、その夜静かに枕を濡らした。
彼の楽しみはなくなった。だけどその程度だ。この時点で彼の心はまだ壊れていなかった。
そして家族がいなくなった。
彼を置いて、夜逃げしたのである。唯でさえ足が不自由な彼が利き腕まで駄目になった。
面倒をみれなくなったのだろう。
あの温かい家族が。
厳しかったが自分とまっすぐ付き合ってくれていた父が。
面倒をいつも見てくれていた母が。
活気のあった姉が。
一晩の中に裏切りという行為によってすべて無くなり崩れた。
その崩壊とともに彼の心も壊れた。
今では気のいい祖父と祖母の配慮で同じ屋根の下で暮らしているのだが、彼は一度も笑顔を見せなかったという。
壊れた彼をどうにかしようと、祖父と祖母が一生懸命に考えた末、異端とよばれる病院に運ばれる自分を心の中で笑ったのはつい最近だ。
なぜか。祖父たちも結局は自分が異端者、どうしようもない人物に見えたのだろう。いやそうとしか考えられない。卑屈なことしか考えられない。それが例え善良な思考をもっての行動だとしても。
結局迷惑に思われている。
彼は情けない自分に笑ったのだ。
この病院に同席している彼の幼馴染である”櫻田鈴”にさえ、卑屈な感情を向けていた。その証拠に自宅からここまでの間に会話がないのが事実だ。
『彼女もどうせ離れていくんだ。どうせ…』
どうせ…という言葉が妙に頭に響く。何度も頭の中をグルグルと駆け巡る。彼女は回りから見れば美少女。和を体現した、艶やかな腰まで伸びる黒髪に整った容姿なのだ。出るとこは出て引っ込んでるところは引っ込んでいる。そんな彼女を放っている男がいないはずがない。
その中の一人であった自分だがそんな気持ちは当の昔に捨てた。こんな体が不自由な男のどこに惚れるのかと心がまだ壊れていないときの自分が思ったのだ。今では寧ろ前よりマイナスだろう。
だがなぜだろう。その時ふと彼女を見上げる敦人の姿があった。
そして彼女と目が合った。
彼は知らない。電車に乗車する前からちらちら自分の方を見ていたことを。電車に乗車して彼女がずっと自分のことを見続けていたことを知らないのだ。
無理もない、彼は振り返りもせず、力のない瞳で前方しか視界に入れてなかったのだから。
数秒に渡り、二人は視線を合わせたままだ。
彼女はただ自分と視線をぶつけている。不思議で堪らなかった。なんでこんな俺を見ているんだ。
『一人で立つことが出来ず、家族にさえ見捨てられたオレを見てなんなんだ…』
「だーーー」
遂に彼女の口が開こうとした。その時だった。
異変は起きた。
ーーーーガタガタガタッ!
「---ッ?!」
「うあああああああどうなってんーー」
『皆様落ち着いてくだーーー』
電車が急激に大きく揺れたのだ。電車にとって揺れは普通に起きるものだが、例えレールをまがったところでこんな大きな揺れましてや縦に揺さぶるような揺れはこない。
『つまりこの音はッ!』
ーーードドドドドドッ!!
大きな音と共に運悪くトンネルの中で走行していた電車を土砂崩れが飲み込んだ音だった。
◇◆◇◆
「---ッ!---ッ!」
「うぅ…」
車椅子に身を預けていた少年は小さく身をよじった。大きな音ともに強い衝撃を受けた後少年は意識を手放しており、今がどういった状況か把握できていない。
体に走る痛みと体の正面に冷たい何かが触れているという現状しか把握していないのである。
『何が…?』
次第に意識を取り戻していき、瞼を開け情報を得ようとする。開けて間もない時はぼやけた視界にやや暗いという情報しか捉えれず顔をしかめていたが、その表情は驚愕そのものとなる。徐々に回復してきた視界には頭が追い付かないほどの情景が飛び込んできたからだ。
逆さになり、空回りしている車椅子。その背景に広がる岩が何重にも重なる層。
『オレの車椅子…?ど、どういうことだ?』
背景のあまりのインパクトに意識を覚醒させ始めた彼は困惑する。今段階の情報では少なすぎる。彼は更に現段階のこの状況を説明しうる情報を求め、元の意識を取り戻そうとする。
「---ッ、●●!」
そこで彼はようやく自身の名を呼ぶ声に気づいた。
そうだこの声で自分は意識を取り戻したのか。
これは一体誰の声…、いや聞き覚えがある。この声はまさしく自身の幼馴染であり、今から向かうであろう施設に同席してきた彼女、鈴の声である。
「す、ず…」
全身の痛み、特にへそにあたる位置に痛みが走り、満足な声が出せないでいる彼は彼女の声を頼りに声を絞りだす。
その結果、彼女は安心するかのように息を吐いた。
「●●!良かった…」
だが一向にこちらに近づいてこようとしないのだ。
言葉を発さず、眉をしかめながら横たわる彼女を見つめている少年。
「あはは…ごめんねちょっとどじって足抜けなくなっちゃった」
あははと軽く苦笑いする彼女の顔は青ざめていた。そう無理をしているかの如く。
「ちょっと待っててね、すぐいくか、ら…」
まるで自分の様態などより、少年の様態を気にする態度に彼は違和感を感じる。こんなわけのわからない状況にも拘らず、彼女は少年に気を遣っている。
『なんでだ、なんでだよ』
彼女の思いやりがいとも簡単に少年に届いたのかもしれない。
「オ、レも手伝う…」
声を振り絞り発する声に、彼の態度の変化に、彼女は切ない笑顔を浮かべた。
薄暗い洞窟のような場所で少年は心を取り戻せたのかも知れない。彼女のふとした行動により、もう一度やり直せたかも知れないのだ。こんな何が起こったかもわからない状況のおかげで、彼ら二人の関係は変わったのかもしれない。
だが、現実というものはそううまくいかない。
「ごめんね…」
這いつくばって体を運ぶ少年の視界に笑顔のまま、涙を流す彼女がいた。
『ごめんね…?なぜ、涙を流す?』
少年は彼女の言動と表情に首を傾げたのだろう。この時すでにことは起きていたのだ。
ーーーガララ…。
小さな音ともに彼女の体に小さな丸い形をしたものが転げ落ちる。
石ころだ。
それも一つではない。
少年は、恐る恐る視線を上げた。揺らぐ。
とんでもなく大きな岩が。前方へと傾いてその質量で彼女を押しつぶそうと。
少年の思考は真っ黒に染め上げられた。
『やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめてくれええええええええええええ!!』
彼女に手を翳し、助けようと意志が体を責めるが少年の体は動かない。歩くための下半身は彼に備わっていない。唯の飾りである下半身しか彼には備わってないのだ。
「あ…アァッ!」
必死に手を伸ばすが彼女には届かない。距離も縮まらない。
自分がどれだけ無力か。この現状に歯を噛みしめることしかできない。
もう少年は今から起こる残酷な現実を見届けるしかない。
そして、
もう間に合わない。
「…生きて」
ドガァアアアアアンッ!
それは地を揺らす音共に無残にも彼女を潰し、真っ赤な鮮血を撒き散らし少年の目の前に現れた。
「…」
虚空に伸びるその手を握りしめ、少年は泣いた。
少年の心が壊れて、初めて見せた表情だった。
心に引っかかっていた。彼女と分かり合えると思った。沈んだ闇に照らされる一筋の光だった。毎日の様に笑顔を見せてくれる彼女に少年は自分自身気づかぬうちに彼女に頼っていたのかもしれない。彼女は最後まで笑顔でいてくれた。
そんな存在さえ、この世界に消された。
少年は自分の無力さに怒りを通り越して、哀れとさえ思えてきた。
『結局…オレなんて…何もできない無価値なんだ。あぁなんか力抜けてきた…』
哀れが諦めとなり、この現状を受け止めようとしない頭が現実逃避へと思考を誘導する。パタリッと音を立て伸ばしていた腕も落ち、少年は完全なうつ伏せになる。
そして瞳は再び黒く染まり、彼の意識は此の世界から消え、無くなった。
◇◆◇◆
そして少年は目覚めたのである。
このどこまでも伸びる白い空間で。
「うわっ?!」
何事だと、覚めたばかりの体を動かすが空を切り、まともに動けていない。
それどころか無重力の状態で宙返りを行っている状態だ。
『どういうことだ。オレさっきまで…』
薄暗い空間とは正反対な真っ白い空間にいるのだ。少年が混乱するのも間違っていないだろう。
そんな瞬間移動じみたことなど、空想の産物だ。
現実にあるはずがないことが起きたのだ。
だが、少年の記憶はあの薄暗い洞窟の中でパタリと断たれている。
今思えば、あの大きな揺れが原因であの状態に陥ったのだろう。ならなおさら少年には訳が分からない。
いつ自分がこの空間へと移されたのか。何のために。
そもそもあの大きな揺れはなんだったのか。
混乱が混乱を呼び整理つけようない現状にしどろもどろしていると空間に透き通る声が響いた。
(貴方の願いはなんですか?)
「はっ、え?どういうことだよ!?」
少年は突然起こった出来事に思わず反射で言葉を返した。この白い空間を見渡しても人っ子一人いない中だ。さらに頭が混乱している際にだ。返してしまうのは必然だろう。
だが少年が求める答えは返ってこない。
(「はっ、え?どういうことだよ!?」承認。解析。ー解析完了。”プログラムに対しての質問”と判断。回答へと移行。回答、貴方の世界は破滅しました。よって選出された貴方の意志を尊重し、プログラム書き換え及びバックアップのため、この空間へと転移させていただきました)
「え?」
『いやいや、どういうことだよ』と思わず復唱してしまうほど少年の頭には理解不可能な言語があれよあれよと出てくる。
だが機械じみた感情のない声は彼のことなどお構いなしだ。自分の役目を果たそうと淡々と事を告げてくる。
(運営側の配慮により、この度選出された貴方には贈り物が授与されました。よって、貴方の願望を一つ有言した後、身体の再構築。異世界へと転生させます。回答は以上です。なお回答は残り二回までとします。ーバックアップ完了。解答へと再移行。貴方の願望は何ですか?)
顔を歪め、頬を引きつるほどの回答に少年は沈黙を貫くばかりだ。彼には情報の整理が必要だ。
いきなり放り出された言葉を受け止める時間が明らかに足りていない。そもそもそのことをこの場で強制的に理解しろといっているものだ。
何をどうしたらいいか。
そんなことなど瞬時に判断できるほど彼は鍛えられてはいないし、まだ高校生の彼には到底不可能だ。
そう、子供が疑問を口にするかの如く彼は呟いた。
「なんで、そんなことをしたんだ…」
それをプログラムは聞き逃さなかった。
(「なんで、そんなことをしたんだ」承認。解析。ー解析完了。”プログラムに対しての質問”と判断。回答へと移行。理由などありません。唯の管理する運営側の気まぐれであり、全てであります。回答は以上です。なお、回答は残り1回までとしますーーーー)
『んな理不尽な!』
唯の呟きすら質問と捉われてしまった。そんなつもりで呟いたわけではない少年にとっては理不尽極まりない。ましてやその回答ですら、疑問の答えになっておらず、一方的に答えを発言しているのだ。重要な単語さえ、拾えていない少年の頭はすでにパンク状態。
まともに考えて答える事さえできないであろう。
先ほどと同じように反射的に答えることはできる。
(再度、確認します。貴方の願いは何ですか?)
「楽しめること…。オレの人生は折れてばっかだったよ!あんな後悔はしたくない。後悔のないーーーーーーーオレが楽しいと思える人生をくれ!」
(---承認。以上より実験体”06(ゼロ・シックス)”の転送及びプログラムの書き換えを行います)
自身の嘆きとも言える言葉を聞き、一瞬の間から行われる作業。
足元、膝、腰へと徐々に駆け上ってくる光の粒は彼を包んだ。
まだ何も理解できていない少年は抵抗できず、身を包む温かい光に身を任せた。
(頑張ってこい。少年よ)
「…え?」
彼を包んだ光が消えると同時に彼の意識もまた、堕ちていった。