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日米亜欧州戦争記  作者: √2
第三章 仏印攻略戦
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第三章 第一話

「いや、堪らんな。私のようなデブには、この暑さは堪えるねぇ。食欲減退も甚だしいよ」

 はあ、そうですか。こんだけ平らげて何言ってるんですか。

 妹尾は目の前の大佐の、旺盛にも程がある食欲を見ながら思った。山と積まれた皿には、つい30分前まで料理が乗っていたのだ。

  だが、その料理のほとんど全ては、目の前の大佐の胃の中に収まっている。

 目の前の大佐、飛田大佐はそんな妹尾の内心を知ってか知らずか、通訳を介してさらに料理を積み上げようとしていた。

 ミークアン? そいつはどんな料理だね? ほう、麺料理。そいつはいい。もらおうか。あと、ココアをもらおう。無い? ならこいつを熱いミルクで溶いてくれ。砂糖をアリアリで、だ。ああ、氷を入れてキンキンに冷やしてくれ。ホテルからたんまり持ってきてあるからな。まったく、暑くてかなわんよ。

  何も、こんな場所でなくとも。

  妹尾は軽くため息をついた。

  ここは、ダナン市内の市場だ。周辺には屋台や出店が立ち並び、ダナンの市民や日本軍の兵士たちも買い物をしている。

  近隣には妹尾が所属する、第1独立重戦車連隊が司令部として接収したホテルがあった。

  食事に行くぞ。

  その一言だけ告げられると、妹尾は目の前の男に引きずられるようにしてここまでやって来た。

  何故かわからないが、妹尾は目の前の男に異常に気に入られているらしい。しょっちゅう食事だの、買い物だの、食事だの。甘味の買い出しだのに付き合わされている。

  食事なら司令部ですればいいのに、と妹尾は思う。フランス人料理人達は逃げ出していたが、現地人はそのまま雇用されていたし、なんなら炊事担当の兵に作らせればいいのだ。

  材料は市場に豊富にある。周辺の現地人達が日本軍の需要を見込んで、抜け目なく大量の物資を持ち込んで露店で売り出していたからだ。

  フランス領インドシナの貿易港ダナンは、現在日本軍の支配下にあった。

 昭和17年12月8日にニューブリテン島沖合いで発生した、ドイツ軍機による日本軍機撃墜事件は、日独間のみならずアメリカやオーストラリアまで巻き込んだ大規模な政治的紛糾を呼び起こした。

  日本側はドイツ軍が哨戒機を撃墜したと主張し、ドイツ側は日本軍が先に潜水艦を攻撃したと主張する、完全な水掛け論により会談は出鼻から盛大に空転。

  その間に、アメリカとオーストラリア、カナダは日本を支持する声明とドイツへの批判声明を出し、欧州枢軸各国はドイツ支持と日本批判の声明を出す。そんな状況に陥った。

 日本はドイツ側の陳謝と賠償、関係海域からの枢軸国海空軍力の退去を要求。アメリカとオーストラリアもそれに賛同を示した。

  日本とアメリカ、オーストラリアはこの事件を偶発的な事件とは捉えず、枢軸側によるオーストラリアの海上封鎖計画の一環である、と考えたのだ。

  ドイツの外交官にしてみれば、言いがかりに等しい発想だ。

  だが、現実としてドイツを中心とした枢軸軍部はアメリカやオーストラリアが危惧したとおりにオーストラリアの海上封鎖を実施する予定だった。その封鎖作戦は、あくまでも戦時に対する事前計画ではある。

  そのため、ドイツ軍部はドイツ外務省にその構想を全く伝えていなかった。

  また、今回の哨戒機と戦闘機、潜水艦の展開はその予行演習としての側面が非常に強いものだった。

 結果として日米豪の要求を、枢軸側は全てを拒否した。

  ドイツの外交官としては、戦力退去はともかく陳謝と賠償は出来ない。

  それはこの事件が、ドイツ側過失によるものであることを認めることになるからだ。

  アドルフ・ヒトラーという稀代の人種差別主義的独裁者は、黄色人種である日本人に対してドイツ人が過失を犯し、謝罪する、という状況を好まないだろう。

  ドイツの外交官達はそう考えた。

  ナチス政権下のドイツにおいて、ヒトラーの機嫌を損ねると言うことは、自らのキャリアの終了を意味していたのだ。

  つまり、ドイツは政権がナチス政権であるがゆえに、彼らは陳謝と賠償を受け入れられなかった。

 戦力退去に関しては、もっと単純だった。

  枢軸軍上層部、正確にはドイツ軍上層部にとって、開戦時には事前に潜水艦と航空戦力を展開し、オーストラリアの海上封鎖を実施することは既定の路線だったからだ。

  ドイツ軍上層部は、作戦行動の前提が崩されることは容認出来ない事態である、と強く主張した。

 彼らは外交上の都合などという詰まらない理由で、作戦上の有利さを投げ捨てるような、そんな愚かな真似は好まなかったのだ。

 そもそも彼らの当初の作戦計画では、南太平洋での作戦行動の開始と同時に、満州へ直接侵攻をする予定ですらあった。

  物資輸送はソ連のシベリア鉄道を利用し、兵員もソ連領内を通過することが前提の作戦だ。

  「軍事的に合理的である」のだから物資と人員の領内通過ぐらいはソ連は容認する、と彼らは考えていた。

  この計画は、外交についてドイツ軍よりはまともな常識を持っていたヒトラー達ナチス政権の強行な反対により潰えたが、そうであるからこそ南太平洋での作戦行動について、軍部は譲らなかったのだ。

  結果、枢軸国は日米豪の要求を全面的に拒否。

  日米豪は、これを侵略的意図の発露と捉え、昭和18年2月に最後通牒の提示と同時に日米及びオーストラリア、カナダと欧州各国の亡命政権は軍事同盟を締結。回答期限である昭和18年3月15日を持って、日米を主軸とした連合国と、ドイツを主軸とした欧州枢軸は戦争状態に入った。

  開戦後の日米の行動は早かった。

  日本は仏印に、アメリカはニューギニアを中心とした蘭印へと、開戦から間を置かずに戦力を投入したのだ。

  すでに開戦は必至と睨んでいた日米は、比較的早い段階で台湾やオーストラリア、フィリピンやニューブリテン島などに戦力を集中していた。

  勿論、日米両軍の基準からするなら、万端の準備と呼ぶには程遠い程度の準備ではある。特に、日本の艦隊戦力においてそれは顕著だったが、それでも欧州枢軸側の準備よりは遥かにマシな状況だった。

  日本の陸軍と海軍陸戦隊は、当初より熱帯での戦闘を意識し、装備更新と訓練を行なっていたほどだ。訓練の主な舞台となった台湾南部はベトナム北部に比較的近い気候であったし、一部部隊は西表島の熱帯雨林でも訓練を実施していた。

  着々と準備を続けていた日米両軍は、開戦と同時に攻撃を開始した。

  特に日本は、早期に仏印の潜水艦根拠地を破壊する必要があった。仏印の潜水艦根拠地は、日本と中国大陸との貿易航路へ容易に攻撃を仕掛けることができる位置にある。この航路を確保しなければ、戦争をする意味すら薄くなるのだ。戦争が始まったとあれば、ためらう時間すらなかった。

  開戦の当日には、台湾とフィリピンから出撃した米陸軍航空隊と日本空軍の重爆部隊が仏印各地の飛行場とハイフォンを空爆。ハイフォンは当面、潜水艦根拠地として使用できない程度の損害を受けた。

  そしてその翌日には、海軍の舞鶴第2特別陸戦隊と陸軍第4師団を主力とした上陸部隊が、海軍の空母と巡洋戦艦による援護を受けつつ仏印中部の港湾都市、ダナンに上陸を敢行。

  フランス植民地軍は軍事的拠点の多い仏印北部と南部に戦力を集中させていたため、さしたる抵抗もできずにダナン周辺から後退した。

  日本軍は貿易港として整えられた、ダナン港のインフラを最大限に活用して第二陣、三陣を揚陸し、戦力を増強している。

  妹尾たち第1独立重戦車連隊は、第二陣として上陸した部隊だった。

  仏印に展開される日本軍は、基本的に歩兵部隊である。

  これは密林の多いベトナムでは戦車戦が発生しにくい、と見られていたたことと、日本陸軍歩兵師団の対戦車能力の向上からきた判断だった。

  この時期の日本陸軍歩兵師団は機械化が進み、甲師団であればすべての歩兵連隊が一式半装軌装甲兵車により完全に機械化されていた。

  騎兵連隊は軽戦車と装甲車装備の捜索大隊2個と中戦車装備の戦車大隊2個からなる捜索連隊に再編成されている。

  また、ノモンハンの戦訓から、歩兵連隊の速射砲は一式五七粍速射砲に、九七式中戦車の戦車砲は一式五七粍戦車砲に置き変わっていた。

  これは、自由イギリスから図面と技術提供があった、6ポンド対戦車砲をライセンス生産したものだ。これを装備することで、日本陸軍歩兵部隊の対戦車能力は大きく向上していた。フランスの一般的な軽戦車や中戦車なら、十分対抗できると思われていたのだ。

 しかし情報収集の結果、海戦直前にフランス植民地軍の装備詳細がわかり、状況が変わった。

  まず、フランス植民地軍は軽戦車や旧式戦車を含むとは言え、500輌にせまる戦車や自走砲を保有していた。

  そして、それらの戦車の中にはルノーB1ter重戦車やドイツのⅣ号戦車のライセンス生産品であるオチキスH41中戦車、ファシストイギリスから購入したモズレー歩兵戦車等の配備が確認されたのだ。

  B1ter重戦車は改良前のB1bis重戦車ですら、60ミリに及ぶ重装甲を持っていたし、イギリスの歩兵戦車は日本陸軍からは信じがたいほど極端に防御力を重視している。

  H41中戦車もフランス独自に改良されており、シュナイダー社の試作野砲を元にした75ミリ砲を装備していたから、その対戦車火力は決して侮れなかった。

  いくら対戦車能力の高い一式五七粍戦車砲に主砲を換装した九七式中戦車改が主力戦車となっているとはいえ、これらの有力戦車の相手をするには不安があったのだ。

  それらに対抗するために急遽派遣されたのが、妹尾達の第1独立重戦車連隊だった。

  第1独立重戦車連隊は、最新の重戦車である二式重戦車を170輛以上も装備する部隊だ。二式重戦車はソ連の新型重戦車に対向することを目標に開発された対戦車用の重戦車であり、最大で120ミリを超える装甲と、九九式九糎高射砲を転用した一式九〇粍戦車砲を装備していた。

  九九式九〇粍高射砲は、ドイツの88ミリ高射砲Flak38を参考に開発された高射砲だ。この高射砲は初速が高く、徹甲弾を使用した場合の貫通力に優れていたため、二式重戦車の主砲として採用されていた。

  ただ、二式重戦車は性能は優れていたが、その40トン以上にも及ぶ重量故に、補給に格別の配慮が必要だった。そのため、どうしても一般の師団とは共同運用が出来なかったのだ。

  戦車揚陸艦の日本版とも言える二等輸送艦や、クレーンに頼らない車輌運搬能力を持ったRORO船などの新しい種類の船が存在しなかったなら、前線への投入すら難しかったかもしれない。

  二式重戦車は、そういう戦車だった。

  結果として、二式重戦車は独立重戦車連隊として方面軍直轄で運用されることになっている。

  方面軍としても、第1独立重戦車連隊に対する期待は大きかった。装備が最新というのも理由ではあったが、この部隊にはノモンハンの生き残りが集中的に集められ、平均練度が高かったのだ。

  だが、何より指揮官が有名人なのが、大きな理由だった。

  飛田恒雄とびた つねお陸軍大佐。

  陸士を優秀な成績で卒業し、陸大も次席で卒業し歩兵科将校として任官したエリートであり、日本における戦車戦術のオーソリティの一人だった。

  ただ、この男が有名なのは単にエリートコースに乗ったからだけでもないし、戦車戦術に明るいからだけでもない。

  この男は、他者が苦労に苦労を重ねて駆け込むエリートコースに乗ったにも関わらず、平然とそのコースを逸脱しかねない行動を取り、その上でなお、エリートコースに居座り続けている。

  その点が異常であり、目立ったのだ。

  この男は歩兵科や騎兵科の将校の発言力が強く工兵と輜重兵が継子扱いされていた時代に、平然と「陸大には輜重兵と工兵の教育部門を作るべきだ」と発言していたし、戦車は歩兵や騎兵が運用する兵器ではなく、独立した兵科とすべきである、とも発言していた。

  事実として、昭和13年に歩兵科と騎兵科から戦車専門の兵科である機甲科が独立した時、飛田は周囲の引き止めや脅しの言葉を平然と無視して機甲科へと移籍している。

  飛田は当時少佐だったにも関わらず、そこで絶大な権限を握ることになった。

  飛田は自らが中心となって独自の戦術理論を組み上げ、提示してみせたのだ。彼のその理論はソ連のトハチェフスキーが提唱した縦深戦術理論を、独自に研究し対向するために導き出された理論だった。

  戦車を戦力の中核として、機械化された歩兵や砲兵、場合によっては航空機との緊密な連携による戦線突破と後方展開がその要訣であり、それは結果としてドイツの電撃戦のそれと、ひどく似通ったものになっていた。

  飛田の提唱した戦術理論は、極めて先進的かつ効果的であったし、少なくとも演習において、飛田は常に高い結果を示し続けた。

  演習において現実を見せつけられた機甲科の将兵たちは、飛田の戦術理論に対して、効果的な反論や対策が打ち出せず、結果として日本陸軍の機甲科は飛田の戦術理論の実現を目指すことになる。

  そしてこれは、いつの間にか日本陸軍全体のドクトリンともなっていた。

  もちろん、これは飛田一人の力ではない。

  陸軍上層部、特に現参謀総長である永田鉄山の意向が非常に大きかった。

  永田は宇垣大軍縮の結果、師団数と兵員数を大幅に減らした日本陸軍が、かつてのような「訓練された精強な陸兵を主体にした部隊」を取り戻せるとは、全く信じていなかったからだ。

  下士官と将校は十分な数を常に確保していたが、兵士を少数に抑えられている現状を鑑みるなら、戦時の兵士は徴兵により促成された者ばかりになる。そんな状況で戦力を維持するために必要なのは、火力であり、機械による機動力と装甲であり、通信装備だった。

  それらの装備を整える必要性を当時の将官の中で最も強く認識していたのは、永田鉄山だったのだ。

  また、1910年代から30年代中盤まで続いた高度経済成長で大きく増大した国家予算は、相対的に陸軍予算も増大させており、永田の構想を後押しした。更に、同時期に進展した日本社会の自動車化も大きな原動力だった。

  費用のかかる戦車や自動車、大砲を大量に確保するだけの予算的、技術的目処がついたからだ。

  だが、陸軍内部では一連の改革は、一般的には飛田の影響力によるもの、とみなされている。

  昭和10年の永田鉄山暗殺未遂事件のおり、刺客となった有末精三中佐の両肘と右膝をワルサーPPK拳銃で打ち抜き(本人は頭と心臓を狙ったと証言している)、永田の命を救ったのは、偶然その場に居合わせた飛田その人だったからだ。

  結果、飛田は永田と個人的に強烈なコネを持つこととなる。

  永田は命を救われた礼として、飛田との間に酒席を持った。その席で永田は飛田の戦術構想の説明、というか演説、を聞かされることとなる。常人であれば、辟易するか嫌悪を抱くべき状況だ。

  だが、永田は飛田の構想に興味を持った。

  永田も並の人間ではなかったからだ。

  そもそも飛田の戦術構想は、永田の構想する陸軍の将来像とはかちりと組み合っていた。飛田は行動力も知力もずば抜けた人材だ。永田にとって飛田は「呆れるほど癖は強い」が「使える」人材だった。

  それに、海軍基地航空隊と陸軍航空隊の統合による空軍設立が目前であったため、政府に陸軍としての明確な航空戦ドクトリンを示す必要があった。

  新空軍において、陸軍出身者と海軍出身者のどちらが主導権を握るかの争いだ。飛田の戦術構想は陸上部隊と航空機の連携が盛り込まれており、永田としてはこれに多少の手直し、航空撃滅戦構想などの追加、をして提示すれば、それが強烈なプレゼンテーションとなり得た。

  結果として、飛田は永田の強い信頼を得ることととなり、彼を嫌う人間達からは「総長代行殿」などと揶揄される程の影響力を持つことになった。

  最も、目の前の眼鏡でチビで小太りの男は、そんなことは一切気にしていなかったが。

「うん、旨いな。こういうものは、地元の屋台で食わなければ駄目だ」

 ニマニマと笑みを浮かべながら、飛田は言った。手には仏印料理なのだろう、汁入りの麺が入った丼を持っている。

  今は3月だというのに、ダナンの最高気温は30度を超えている。湿度も高く、日本で言うなら真夏のような気候だ。

  だというのに、この小太りの男は熱い仏印風の汁かけそばをすすりながら、汗一つ浮かべず、幸せそうに微笑んでいる。

「妹尾大尉。君もどうだね? 食わんと持たんぞ、この暑さでは」

「いえ、自分はもう、腹いっぱいです。先ほどのコム、なんとかという鶏めしで十分です」

 妹尾は飛田の旺盛というよりは貪欲、と形容した方がいい食欲を見て、背筋に軽く冷や汗が流れるのを感じた。

「そうかね。少食だな、君は」

 あんたが食い過ぎなんだよ。

  妹尾は、声を上げそうになるのをこらえる。仮にも上官だ。自分自身や部下のためにも、礼は失するべきではない。

「ところで、飛田大佐殿質問があるのですが」

「ん、何だね? あ、君、甘味を適当に10種ぐらい頼むよ」

「いえ、我々はここでのんびり構えてていいのか、と思いまして」

 妹尾は飛田の注文をスルーしながら言った。

  妹尾達の第1独立重戦車連隊はダナンに到着してから、もう一週間近くも待機状態が続いている。

  ダナンの郊外にはすでに野戦飛行場が設営されており、空軍の戦闘機隊と襲撃機隊が進出していた。彼らと沖合の空母群から航空支援を受けた友軍は、南北と西に向けて進撃を続けている。

  同時期に上陸した部隊や後続の部隊も忙しくダナンを経ち、前線へ向かっていた。ダナンでのほほんと過ごしている部隊は、第1独立重戦車連隊と軍団直轄の独立歩兵連隊ぐらいだ。

「不満かな?」

「いえ、そんなことは・・・・・」

「いいよ、いいよ。構わない。妹尾大尉。友軍連中は糞暑い前線で、虫にたかられながら悪戦苦闘している。空軍の連中も少ない頭数でもがいている。海軍さんも搾り出せるだけの空母を出して、頭を守ってくれている。だというのに、我々第1独立重戦車連隊が、ここでのうのうと飯を食っていていいのか? 友軍を助けるべきでは無いのか? 前線に我らが到着すれば、歩兵連中が苦労するトーチカを一発で吹き飛ばし、悠々とした前進をさせることができるのではないか? と、つまり君はそう思っているんだろう?」

「いえ、そういうわけでは・・・・・・」

「君は嘘が下手だな、大尉」

 そう言うと、飛田はからからと笑った。

「君の考えは全面的に肯定だよ、妹尾大尉。我らが前線に立ば間違いなく友軍の損害は減るよ。賭けてもいい」

「では・・・・・・」

「何故、前線に向かわないのか、かね? 簡単だよ。私達の仕事はね、友軍の損害を減らすことじゃないんだ。味方の盾になることじゃないんだよ。少なくとも、今回はね。今回の私達の仕事は・・・・・・」

 底まで言うと飛田は、唇の両端を大きく釣り上げる。口が血色で縁取りされた三日月のように見えた。

「敵を叩きのめすことだ。打倒することだ。打ち据えることだ、轢き潰すことだ。つまり僕らは、握りしめられた一個の鉄拳なのだ。殴るべき相手は、すでに決まっているんだ」

「殴るべき相手、ですか?」

「ああ」

 飛田は大きく頷きながらそう言った。

「ただ、問題があってなぁ。どこに居るかがよく分からんのだ。あさっての方角に出かけて、空振ったら、君。大惨事だ。我らの相手は強力だぞ? ドスケから戦車戦術を直伝されたそうだからな。電撃戦をやるらしいぞ?」

 妹尾は怪訝に思った。

  彼の知るフランス陸軍の戦車戦術は各師団に重戦車と中戦車を小隊から中隊規模で分散配備し、主として歩兵支援を行うものだ。ドイツ流の電撃戦を行う部隊があるなど、聞いたこともない。

  妹尾の知るフランス陸軍の戦車運用法は、日本陸軍の視点からするなら、旧態然としたものと言える。事実、前線から届く情報でも、B1ter重戦車やソミュアS35中戦車などはそういう運用をされている、とあった。

  このような状況ならば、第一独立重戦車連隊は大隊、あるいは中隊の規模で各地に分散し、歩兵支援に回ったほうがいい。九七式中戦車改は対戦車能力は向上したが、榴弾威力は下がっていた。歩兵支援に関しては改造前の九七式中戦車の方が勝っている。

  妹尾はそう考えていたのだ。

「電撃戦を行う部隊が、フランスにあるのですか?」

「フランス陸軍第2機甲師団」

 飛田がアイスココアを啜りながら、つぶやくように言った。

「フランス人がドスケの命令で編成した、初めての機甲師団だ。まあ本邦で言うところの、戦車師団だな。我々が殴るのは、こいつらだよ。分散されて運用される戦車はさほど怖くない。例え重戦車でもチハ改で引きつけて、側面や背中に歩兵が一式速射砲やロタ砲、9ム砲辺りを当ててやれば撃破できる。なんなら連隊砲を直射してやってもいい。10センチ以上もあるんだ。榴弾でも喰えるだろうさ」

 ま、多少の損害は出るだろうがな。

  飛田はそう言って、アイスココアのコップをテーブルの上に置く。たっぷり4合は入っていただろう、そのココアはもうなくなっていた。

  確かに歩兵連隊の連隊砲は、四一式山砲から九九式一〇糎無反動砲(実口径105ミリ)に更新されている。

  九九式一〇糎無反動砲は新しい方式、後にクロムスキット式と呼ばれる発射形式を採用していたから、無反動砲としては初速が高く射程も長かった。分解運搬が可能で重量も300キロを切っている。操作要員数も減少していたから、弾道の低伸性の悪化以外は歩兵たちからも苦情は出ていない。

  例え通常の榴弾でも装甲の薄い側面や背面から狙えば、戦車に損害を与えることができるだろうし、新装備の穿孔榴弾、いわゆるHEAT弾を使えば重戦車であっても高い確率で正面から撃破可能だ。

「だが、機甲師団に戦線を突破されたら、そんな小さな被害なぞ問題にならない規模で被害が出る。司令部が危険になるのだからな」

「そんな部隊が仏印に来ていたのですか・・・・・・」

 妹尾は唖然とする。そんな情報は聞いたこともなかったからだ。

「まあ、こっちについてから判明した情報だからなぁ」

 そう言うと、飛田は新たにテーブルに届いた、プリンのようなものを食べながら言った。旨かったのだろう。かなりの量があるはずのそのプリンは、見る見るうちに量を減らしてゆく。

「背景はわかりましたが、こんな所でそんな話をしても良いのですか?」

 当然の考えだった、ここは市場だ。そこかしこで仏印の現地人が買い物をしたり、商売をしている。どこにスパイが居るかわかったものではなかった。

「構わんよ? むしろフランス人に知られた方がいい」

 飛田は平然と言い放つと、今度は果物が乗った塔のように巨大なアイスクリームらしきものを匙で口に運び始めた。

「向こうが慎重になるなら、それはそれで構わんし、準備を早めるならそれでも構わん。山下司令の方もそう考えてるからな」

 つまり、日本側がフランス軍機甲師団に対して備えている、という情報を流すことでフランス軍の動きを鈍くさせる、あるいは準備の不足を発生させる、ということだった。

「ま、私はきっちり準備してくれる方がありがたいがね。その間はこうして、旨い飯が食える」

「はぁ・・・・・・」

 全くこの人は。妹尾は軽い頭痛を覚え、頭を抱えた。こういう所が人に嫌われる所以だろうに。

  妹尾は自分が他者からは、その飛田の眷属だと思われているとはつゆ知らずそう思った。

  アイスクリームは順調に飛田の胃に消えてゆく。そろそろ、最後の数匙という所になって、飛田の横に男がやってきた。連隊司令部付きの連絡兵だった。

「大佐殿。軍司令部から電文です。至急、かつ最重要とのこと。連隊司令部にお戻りを」

 飛田はふむ、と唸るとアイスクリームの皿を持ち上げ残りのアイスと果物を全てその口の中に流しこむ。二、三回咀嚼をすると、そのままごくりと飲み込んだ。

「さあ、帰るぞ妹尾大尉。仕事だ」

 そう言うと、飛田は立ち上がり、椅子の背もたれにかけていた日差しよけの、白い私物の夏外套を肩に引っ掛けて歩き出した。

  妹尾も後を追う。

「全く、フランス人どもは忙しいな。もうしばらくのんびりしても、罰は当たらんぞ」

 不満そうな内容の割に、飛田の声は弾んでいた。

  なるほど、「至急、かつ最重要」とは、フランス戦車師団の動向情報のことなのだろう。

「妹尾大尉。各大隊の準備は?」

「万全です。重整備は昨日の間に終了しています」

「段列のトラックは?」

「定数いっぱいに」

「足りんな。軍直轄の独立歩兵連隊に連絡を入れて、トラックを回させろ。歩兵連中は必ず何台か帳簿外の車輌を隠してるはずだ」

「連中、虎の子を出しますかね?」

「出させろ。必要なら、俺に言え。山下司令に話を通す。さあ、妹尾大尉。フランス人共を殴りに行くぞ!」

 飛田は愉悦すら含んだ声でそう言うと、更に歩を早めるのだった。

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