第二章 第三話
「やりやがった!」
「鵜来」の艦橋で白井は叫んだ。アクリルガラスの向こうでは、一機のドイツ空軍戦闘機が、「大鷹」所属の九七式艦攻を銃撃している。
舐めているのか、自信があるのか、4機いる敵機の内、九七式艦攻を攻撃しているのは一機だけだ。
九七式艦攻は、発動機の馬力に余裕のない時期に設計された機体のため、防弾設備に難があった。四号艦攻へ改良された時に、多少の防御設備は増設していたが、それでも新型の「天山」には大きく劣る。
白井の眼前には、その現実が如実に映しだされていた。
1連射を受けた九七式艦攻が炎を上げて海面に激突する。
ドイツの戦闘機は大口径の機関砲を積んでいたらしく、胴体が半ばから折れていた。
アレじゃ、助かるまい。
白井は臍を噛む思いで空を見上げる。
「全艦、対空戦闘撃ち方用意!」
白井は艦内に対空戦闘の命令を出した。伝声管と電話にて、即座に艦内に彼の命令が浸透する。
高角砲と機銃が旋回し、敵戦闘機へ銃口を指向した。
「射撃待て! 敵が艦攻から離れない」
白井は対空射撃の開始命令を出せない状態だった。敵の戦闘機は1機目の九七式艦攻撃墜後に距離を取ることをせず、旋回してもう一機の艦攻への攻撃をしたのだ。
こうも味方に張り付かれたのでは、高角砲の砲弾を送り込んで脅すことも出来ない。味方機が巻き込まれる可能性が高いからだ。高角砲の砲弾破片は敵味方の区別をしない。
腹は立つが、敵機の操縦手は見事な腕前だった。
こちらの痛いところを知っている。きっと敵の操縦手は歴戦の強者だ。艦艇の弱みを知っているところからすると、イギリス海軍艦艇との戦闘経験もあるのだろう。
生き残った九七式艦攻は、海面を這うように飛び、必死にドイツ軍戦闘機から逃れようとする。
だが、ドイツ軍戦闘機は信じられない様な俊敏さで九七式艦攻の背後につくと、数瞬の射撃で艦攻を海面に着水させた。
「艦長、撃てます」
砲術長が言った。高射装置による測定が終わったのだろう。確かに今なら、味方を巻き込む危険性はない。
「いや、待て」
だが、白井はそれを止めた。
「艦長! 撃てます!」
砲術長はそれが不服らしく、抗議の声を上げる。
「駄目だ。連中が集まるのを待て」
ドイツ軍機が集まってから攻撃する。
それが白井の判断だった。
「鵜来」に搭載されている対空用射撃指揮装置である、九四式高射装置はやや旧式では合ったが、開発時期を考えるなら悪くない性能の機械だった。
だが、問題があった。
遠距離での精度が大きく低下するのである。
九七式艦攻を攻撃していたドイツ戦闘機の位置では、「鵜来」から砲撃してもあまり高い効果は望めないだろう。
「鵜来」が、例えば戦艦や巡洋艦とは言わなくても、せめて駆逐艦のように6から8門も高角砲を装備しているなら、物量で補おうと考えることもできる。
だが、「鵜来」の高角砲は2門だけだった。その2門はいずれも新式の九六式五〇口径一二糎七高角砲ではある。とはいえ、門数の不足を補えるほど極端な性能向上を果たしてはいない。
「鵜来」は対潜水艦戦闘を重視した護衛艦ではあるが、対空能力も低くはなかった。新型高角砲2門の他に、戊式四連装40ミリ機銃が一丁と恵式二〇粍機銃が数丁装備されている。だが、現状では機銃は射程が足りない状態だ。
敵味方機相互の距離が離れていたなら、援護として砲撃に意味もできたが、敵機は「鵜来」にその暇を与えてくれなかったし、単機の敵相手に砲撃するには高角砲2門という装備はあまりに効率が悪かった。
それならば、敵に固まってもらった方が、砲撃の効率は良くなるはずだった。損傷を与えることは難しいかも知れないが、小破片が当たる可能性は高い。
威嚇と警告という意味では、現状で発砲するより遥かに意味があった。
「了解」
少し、悔しさを滲ませる声で砲術長が言った。砲術長は伝声管にて、高角砲の操作要員に待機を命じる。同時に、速射の準備を勧める命令も出していた。
高角砲の発射速度は、最大速度を常時維持できるものではない。せいぜいが最初の数分間だけだ。
それ以降は兵員の疲労や、あるいは揚弾機等の揚弾能力の原因などの物理的理由によって、発射速度は低下する。
「鵜来」に搭載されている九六式一二糎七高角砲の場合は、最大発射速度の毎分19発が維持可能なのは最初の3分間だけだった。それ以降は、毎分14発程度にまで低下する。
揚弾機の揚弾能力の限界が主な原因だった。
それはそれで大したものではあるのだが、砲術長としては少しでも多くの砲弾をドイツ人たちに叩きこんでやりたいのだろう。それに関しては、白井も全くの賛成であったから、特に何も言わなかった。
4機のドイツ戦闘機は帰還するつもりなのだろう、編隊を組み始める。
白井の待った瞬間だった。
「撃ち方始め!」
白井は号令を下す。伝声管と電話にて「鵜来」の艦内に彼の命令が、わずかなタイムラグをおいて伝達され、そして発砲が開始された。
わずか2門の高角砲が火を噴く。
砲塔の内部では、半自動装填装置の力を借りながら、兵員たちが必死になって砲弾を高角砲に押しこみ、可能な限りの高速で発砲を続けていた。
悪くない。
白井は素直にそう思った。高角砲の砲弾が炸裂している位置は、ドイツ戦闘機にダメージを与えることが期待できるほどの近距離だったからだ。
すでに旧式化が始まっている九四式高射装置の性能を考えるなら、部下たちは機械の性能を十全に引き出していると言えた。
だが、さすがに限度はある。
高角砲による攻撃は、目に見えた損害をドイツ戦闘機に与えてはいないようだった。
「ドイツ軍機、主砲射程外に出ました」
電探員からの報告がとともに、白井は撃ち方止めを命じた。
数瞬の間を置いて、高角砲の発砲が停止する。ドイツ戦闘機は、「鵜来」から観測する限り、損害なく離脱したようだった。
「こちら水測室。不明潜水艦は離脱の模様」
潜水艦の方も離脱を始めたようだ。
戦果なし、か。まあ、仕方ない。
白井はそう判断する。あるいは、砲術長の指摘通りにあの見事な機動の戦闘機が、単機になった時点で砲撃を開始しておくべきだったのかもしれない。だが、もはや後の祭りであったし、白井自身はそれほど間違った判断を下したとも思ってはいなかった。
そもそも、日独は法的には戦争中ではなかった。それに、反省するよりも前にやることがあるのだ。
「これより本艦は溺者救助を開始する。見張り員は海面上に注意を」
白井はそう命じた。白井の命令により、鵜来は九七式艦攻の墜落地点へと艦首を向ける。鵜来の全艦に先ほどの砲撃時とはまた違った緊張感があふれるのを、白井は感じた。
最初に落とされた九七式艦攻は墜落の様子からみて、乗員の生存は厳しかったが、2機目の方は希望があった。
昨今、搭乗員の養成数は、ほとんど年ごとに倍々ゲームで増えている。だが、それでも実務経験のある搭乗員は貴重な存在だった。
何より、同じ味方の救助なのだ。
海上護衛総隊は守りの部隊だ。国民の人命と財産の保全を何よりも重要な事項である、と一兵卒までが叩きこまれていた。
気合も入るというものだ。
この日、鵜来は二名の艦攻搭乗員を救助し、一日を終えた。




