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日米亜欧州戦争記  作者: √2
第二章 12月8日
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第二章 第二話

「まったく、つまらん話ですねぇ」

 ドイツ空軍第27戦闘航空団「黄色中隊」隊長アウグスト・アーダルベルト大尉の耳に、無線を通してそんな愚痴が届いた。

  同感だ。だが、五月蝿いぞ若造。

「『黄色の1番』より『黄色の14番』。黙って操縦しろ」

  アウグストは呆れた声で、愚痴の発生源に命じる。

「こちら『黄色の14番』。とは言いましてもねぇ。たまらんですよ、実際。日本人の船団を見つける。出撃。船団の上で旋回。んで、帰る。こんなのは戦闘機の仕事じゃありませんよ。もっとこう、パッとした仕事はないんですかね?」

「黙れ、『黄色の14』。これも仕事だ。黙らんと貴様の機体を取り上げるぞ」

「『黄色の14番』より『黄色の1番』。了解。了解。黙りますよ。そんなことになったら、それこそつまらん、じゃすみませんから」

 全く。この小僧は。

  アウグストは小さくため息をした。

  コールサイン『黄色の14』こと、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ中尉は最近、ホーランディア基地の第27戦闘航空団に転任してきたばかりのまだ22才の男だった。アウグストも26才で、まだ若輩と言える年齢だったが、このマルセイユの少年のような無邪気さと無思慮さを併せ持った言動が、どうにも気に入らなかった。

  そのくせ戦闘機パイロットとしての腕前は、控え目に言って天才的だ。アウグスト自身もバトル・オブ・ブリテン終決までに8機の敵機を撃墜し、エースの称号を手に入れている。だが、総撃墜数7機のマルセイユと戦って勝てるか、と自問すると答えは否なのだ。

  彼らが所属する第27戦闘航空団において、日本からオーストラリアへ、あるいはオーストラリアから日本へ向かう船団上空での示威飛行は日常業務の一つだ。規模はその時によって異なるが、戦闘機一個小隊と大型の哨戒機が1から2機程度、というのが定番だった。

  あまり効率的な編成とは言えなかった。

  可能なら爆撃機なり飛行艇なりにやらせるべきことだ。だが、ホーランディア基地でドイツ空軍が洋上哨戒に使えるのは基本的にFw-200哨戒爆撃機と戦闘機だけだった。

  これは空軍首脳部、厳密に言えばゲーリング、が戦闘機による洋上での示威行動に拘ったためと、洋上飛行をできる爆撃機乗りを現地司令官が温存したからだ。爆撃機乗りは来るべき開戦のおり、第一撃に使用すべきだとの判断だった。

  今回、アウグスト達はBf-109T3型4機とFW-200哨戒爆撃機による部隊で日本船団上空を旋回し、示威を行うことになっている。

  こう書くと単純な任務なのだが、実際はそうでもない。

  まず、日本の船団には必ず護衛が張り付いていた。大抵の場合はコルベットクラスの小型艦数隻と軽巡洋艦クラスが1、2隻、そして小型空母が1隻だ。

  情報によるならどの護衛艦も高角砲と大型の機銃を搭載しており、一定の対空能力を確保しているようであったし、何より小型空母が面倒だった。

  この小型空母は艦上戦闘機と対潜水艦用だろう、艦上雷撃機を積載しているのだが、この戦闘機が厄介なのだ。

  小回りが効くくせに高速であり、Bf-109でも容易には振り切れない。そのため時には敵船団上空に入り込むことにすら、失敗することがあった。

  アウグストがホーランディアに赴任した直後には、情報部は日本の艦上戦闘機について、かなり楽観的な意見を持っており、まだ固定脚の機体を使っている、などと言っていた。だが、彼は固定脚の日本戦闘機など見たことがない。

  また、それ以上に問題なのが飛行距離と飛行経路だ。

  彼らが乗っているBf-109T3型は、Bf-109F型を元に主翼を艦上機型であるT1型の大型翼に変更し、翼内に燃料タンクを増設して航続距離を延伸した機体だった。大型落下増槽を使用した場合、1400キロ程度の航続距離を持った太平洋方面向けの新鋭機だ。

  だが、太平洋の広さはドイツ空軍の想像を絶していた。欧州とは異なり島と島の間に海が横たわる太平洋の場合、1400キロ程度の航続距離では、「足が長い」とはとても言えない状況だった。

  そしてドイツ空軍は地上とは異なり、海上には目印になるものが全く存在しないことを失念していた。

  太平洋において航空機の迷子とはイコールで死なのだ。事実として太平洋に進駐した当初、洋上飛行訓練に出た一個飛行中隊が帰り道に迷い、文字通り全滅したことすらあるのだ。

  現在はドイツ空軍で太平洋方面へ配属されたパイロット達は、全員がイギリス海軍の艦載機パイロットから推測航法の講習を受けていたし、その補助として無線帰投方位測定装置も戦闘機に搭載されている。

  これらの努力の結果、航法に関してはある程度の解決は見られていたが完全なものではなかった。そのため、戦闘機隊は洋上へ出撃する場合、原則として大型機に追随することになっている。

  これは、大型機には専門の航法士が乗っていることの他に、イギリスが開発したGEE電波誘導装置が取り付けられているためだった。ドイツ空軍はイギリスから購入したGEE用の航法電波発信局をニューギニア島やシンガポールに設置していたから、これを使えば行きも帰りも、夜でさえも迷う心配は少なかったのだ。

  本来、GEE電波誘導装置は夜間、爆撃目標へ向かうために開発された装備だったが、太平洋方面のドイツ空軍は全く逆に、帰還誘導用として利用していた。

  だが、GEE電波誘導装置はそのサイズ上、大型機にしか取り付けることが出来ない。

  Fw-200のような大型の機体は、ドイツ空軍でも数が少なかった。新型の噂やイギリス空軍の大型爆撃機の話は聞いてはいるが、太平洋まで回ってくるのは当分先の話だ。

  つまり、何らかの故障で誘導機であるFw-200が墜落すると、アウグストが直卒するこの小隊は、全員が迷子になる、つまり死ぬ可能性があるのだ。

  その辺のことを理解しているのか? この小僧は。

  アウグストが気をもんでいることも知らず、マルセイユは鼻歌を歌っている始末だった。もともとマルセイユは素行不良により、半ば懲罰的にニューギニアに送られている。だが、その辺りの理由をこの天才は理解していないようにすら思えた。

  実はアウグストも似たようなものなのだ。アウグスト自身の素行や経歴には別段問題はない。だが叔父が共産主義運動家であり、今現在も投獄されている。上官には理解のあるものも多かったのだが、周囲の視線には耐え切れず、ニューギニア島勤務を志願していた。

  比較的寒冷なドイツの気候と比較すると、ニューギニア島の高温多湿は人体にとっても機械に取っても、あまりに過酷だった。駐留ドイツ軍にはマラリアなどの伝染病感染者が続出していたし、航空機材も故障率が上昇している。

  このBf-109T3もあえて新型のDB605エンジンの搭載を見送って、実績のあるDB601エンジン熱帯仕様を改良したものを搭載していた。

  結果、速度は低下したが信頼性は確保できた。もっとも、ドイツ本国の稼働率と比較するなら、それでも十分低い稼働率であったが。

「『コンドル』より『黄色』全機へ。ラダールに反応。正面より複数機。日本機と思われる。距離はおよそ100キロ」

 Fw-200『コンドル』から日本機の情報が入る。

  このFw-200は、各種の電子装備が詰め込まれた哨戒専用機として改造されていた。爆装は出来なかったし武装も一部取り外されていたが、対空用と対水上用のラダール、つまりレーダーを搭載している。サイズの関係上、いずれも表示方式はやや古めかしいAスコープ方式だが、性能は確かだ。

  皮肉なことだが、イギリスが降伏したことでドイツのレーダー技術は飛躍的に進歩していた。何しろ、当時、世界最高の電子技術を持った国から全面的な技術支援を受けることができたのだ。これまでは難しかった航空機搭載レーダーによる空中哨戒を、ドイツ空軍は自らのものにしていた。

「『黄色の1』より『コンドル』へ。日本機は了解。日本船団についての情報は?」

「『コンドル』より『黄色の1』へ。海上目標には反応なし。おそらくラダール探知圏外と思われる」

「『黄色の1』より『コンドル』へ。了解。後退してくれ」

 Fw-200は高価である上に、貴重な機体だった。そもそも、小隊の灯台でもあるのだ。万が一にも失われては困る。

「『黄色の1』より『黄色』全機へ。命令だ。絶対に撃つな」

「『黄色の2』了解」

「『黄色の15』了解」

「『黄色の14』、こっちが撃たれてもですか?」

「『黄色の1』より『黄色の14』。常識で考えろ。行くぞ」

 アウグストはもう、マルセイユの話に付き合うのはやめよう、と心に決めた。少なくとも、目視できたあの日本機を振り切るまでは。

  アウグストの小隊は増槽を落とす。これで残りは翼と胴体内の燃料だけだ。

  スロットルを開き、エンジン出力を上げる。Bf-109T3の心臓部たるDB601は過酷な南国の環境でも整備兵の努力のかいあって、その性能を発揮できていた。

「『黄色の1』より『黄色』全機へ。高度を上げる」

 アウグストは自らの小隊の高度を上げることを選択する。

  彼はこれまでの経験から、日本の艦上戦闘機を振り切るには、Bf-109の加速では不十分であるを知っていた。少なくとも、高度か遭遇時の水平速度のいずれかで勝った状態でなければ、すれ違った後であっても追いつかれるのだ。

  現状の高度は4000メートルほど。日本人の戦闘機が一般的に飛行する高度だ。振り切れるか、となると不安があった。

  異様に加速の早い戦闘機。アウグストは日本の艦上戦闘機、零式艦上戦闘機、にそのような感想を持っていた。

  そして、最高速度も高いはずだった。

  Bf-109T3はBf-109F型より大型の翼であり空気抵抗が増加していたため、最高速度は低下していた。だが、それでも時速570キロ以上は出せる。しかし、あのほっそりとした小柄な空冷戦闘機は、場合によってはその速度に食いついてくるのだ。

  情報部はあの戦闘機を1000馬力級の空冷エンジンを搭載した、軽戦闘機であり最高速度はBf-109E型を超えることはないと考えていた。

  だが、実際はどうだ。

  その軽戦闘機は少なくとも560キロ以上の最高速度を持ち、自分たちの機体を超える加速性能を持っている。急降下性能は試していないが、相応のものを持っているだろう。

  武装についても情報部の軽武装で、7ミリクラスから13ミリクラスの機銃2から4門という話も怪しいものだ。

  アウグスト達4機のBf-109は、日本の戦闘機、つまり零戦のシルエットがはっきりと見えるまでの時間で日本の戦闘機より400メートルほど高い位置に遷移していた。

  アウグストは軽く周囲を見回す。やはり、日本の船団は見えなかった。

  これは、完全に引き離すのは難しいかも知れないな。

  そう考えながら、アウグストは乗機を下降させる。これまでに稼いだ高度を速度に転換するためだ。そのまま加速しつつ、編隊の鼻先を掠めるようにして、零戦とすれ違う。

  三十秒程飛んだところで、アウグストは機体を振って後方を確認する。

  零戦編隊はループを描きながら下降し、ロールをかけ水平を取り戻したところだった。

  さて、ここから追いかけっこか。

  アウグストはスロットルを全開にする。此処から先は帰投用の燃料以外は、全て使い切る覚悟が必要な局面だった。

  燃料と空気を限界まで供給されたDB601Eは、その高度における限界出力を絞りだす。Bf-109は加速を続け、最終的には水平最大速度に近い570キロ弱の速度を維持していた。

「『黄色の14』より『黄色の1』へ。信じられない。連中、付いてきてやがる」

「『黄色の1』より『黄色の14』。事前に説明したはずだ。日本人の戦闘機は遅くはない」

「『黄色の14』より『黄色の1』。付いてきてるどころか、近づいて

 ますよ。信じられねえ」

「なにっ?」

 アウグストは機体を揺さぶり、背後を確認する。速度的には損であるが、確認は必要だった。

  背後を確認して、アウグストは目を疑った。これまでなら差が縮まらないことはあっても、縮められることは滅多になかった。今回は高度と出足で優っていたはずだ。

  で、あるのに詰められている。つまり、最高速度で負けているということだった。

  信じられん。連中の機体は新型か?

  アウグストは自分の思考の結果に愕然とする。

  Bf-109T3はBf-109シリーズの中でも欧州・中東方面向けのG型を除くなら、最新の機体だった。太平洋方面に展開しているBf-109はT3型とT2型が主流だ。T2型は主翼を大型にしただけのE型であり、速度性能はアウグスト達のT-3型に劣る。

  他に太平洋方面に配備されている戦闘機は、対地攻撃任務用のBf-110やFw-190が主流だった。Fw-190は戦闘機としてみた場合、どちらかと言うと対爆撃機向けであったし、Bf-110はそもそも戦闘機としては失格の烙印が押された機体だ。

  それは太平洋方面の対戦闘機戦闘において、ドイツ空軍の優位性が大きく薄れた、ということだった。

  彼らを追いかけている零戦は確かに新型だ。

  それはこれまで、一貫して金星系エンジンを搭載してきた零戦の最終進化形、零戦三三型だった。エンジンを出力1500馬力の金星六二型に換装し、水メタノール噴射による緊急出力を使用すれば、実に時速597キロもの最高速度を絞り出すことができる機体だ。機体構造はエンジン出力の向上に合わせて強化されており、急降下性能もBf-109に引けをとらない。

  今アウグストたちを追跡している4機の零戦は、緊急出力を使っていなかったがそれでも570キロ強の速度を出すことができる。アウグスト達が追いつかれつつあるのも、当然だった。

  この追いかけっこはそもそも、日本海軍機が圧倒的に有利なのだ。零戦は増槽なしでも1400キロ程度は飛ぶことができたし、近距離に母艦がいる。いざとなれば母艦から応援を呼び、帰投すればいいのだ。

  アウグスト達が今まで、この追いかけっこに勝つことができていたのは、Bf-109T3の速度性能が零戦に勝っていたからだ。だが、今のアウグスト達にはその優位性がなかった。

  せめて、船団がいる方向だけでも分かれば。

  口惜しさに唇を噛み締めながら、アウグストはそう思った。方向さえ分かれば、引き離す手段が無いわけではないのだ。

「『黄色の14』より『黄色の1』。後ろの奴ら、蹴散らして来ましょうか? 俺たちなら楽勝ですよ」

「『黄色の1』より『黄色の14』。黙れ」

 すいません、黙ります。

  朗らかさすら感じさせる笑い声とともに、マルセイユはそう言った。

  この小僧が。

  アウグストはマルセイユの悪戯に苦々しい気分を抱く。他の小隊隊員の緊張を解す効果はあっただろうが、少し不謹慎にすぎる冗談だった。

「『コンドル』より『黄色』全機へ。海軍のUボートより通信。日本の護衛艦を目視とのこと。概要位置を傍受。『黄色』よりおおよそ12時30分の方角。距離およそ130キロ」

 アウグストは少し考える。距離が微妙だった。アレが持つかどうか分からない。

「『黄色の1』より『コンドル』。船団の正確な位置情報が欲しい」

「『コンドル』より『黄色の1』。正確な位置情報は伝達出来ない。こちらのラダールは船団を捉えていない。海軍のUボートは哨戒結果を区域番号で報告している」

「『黄色の1』より『コンドル』。了解。当該方向に進路を向ける」

 これは、賭けるしかなさそうだった。正確な位置情報はわからないが、Uボートの情報ということは、それなりの精度があるだろう。航空機と比較した場合、艦船の移動速度は微々たるものであったし、確認できる範囲は格段に狭い。Uボートの報告から、船団はそれほど遠くには動いていないはずだった。

「『黄色の1』より『黄色』全機へ。ブーストを使って日本人を引き離す。準備しろ」

 全機から了解の返答が返ってきた。

  アウグストは深呼吸し、これから始まるであろう加速に身構え、ブーストのスイッチに手をそえる。

「カウント。3。2。1。オン」

 アウグストはスイッチを入れた。僅かな間を置いてエンジンが急激に振動を初め、音が明らかに変化する。機体が急激に加速し、アウグストの体を慣性の力がシートへ押さえつけた。

  速度計は急激に上昇を始め、600キロの大台を超え、620キロ近辺で停滞した。

  説明は受けた、実験もした、だが、やはりなれない。

  それがアウグストの感想だった。

  この出力増競ブースト装置は、一般には水メタノール噴射装置と呼ばれるものの一つだ。

  内燃機関は吸気温度が低いほど効率がいい。しかし、過給器を通った吸気は酸素は豊富だが高温となる。このブースターは水とメタノールの混合液を過給器を通った吸気に吹き込み、その気化熱で吸気温度を下げると共に、見かけ上の吸気容量を増やすことで出力を上昇させる仕組みだった。

  アウグストたちの機体に搭載されているのは、水メタノール噴射装置「MW50」の原型だった。「MW50」は後にDB605やBMW801などのドイツ空軍の主軸となるエンジン達にも搭載される装置だ。

  この装置を使用した場合、彼らの機体のDB601は短時間であったが実に、1650馬力もの出力を発揮する。

  これによって、Bf-109T3はカタログ上では時速627キロの最高速度を出すことが出来た。

  もっとも、エンジンを猛烈に消耗させるため、整備隊からはできるだけ使わないでくれ、と懇願されていたが。

 アウグスト達は角度を取り、上昇する。ブーストが切れた後に、その高度を速度に変換するためだ。

  上昇を行っても速度はさほど低下しなかった。アウグストは上昇開始直後に後方の零戦を確認する。

  零戦も何らかの増速措置を取ったのだろう、思ったよりは離れていなかった。だが。確実に距離は稼いでいる。

  アウグスト達のブーストの持続時間は、5分弱しかなかった。Bf-109に積載できる水とメタノールの量がその程度であったし、何よりもエンジンが持たないのだ。

  だが、エンジンにそれだけの無理を強いても、ブーストには意味があった。ブーストが切れるまでの5分弱で、零戦たちはアウグスト達から数キロも後ろに置き去りにされていたからだ。

  この後は稼いだ高度を速度に変換しながら飛行が可能だから、目的空域までに追いつかれる心配はまずなかった。

  アウグスト達はブーストが切れた後、10分程飛行を続けた。そろそろ、目標の海域のはずだった。

  アウグストは小隊全機に周辺海上の捜索を命じる。

 ここから先は、もはや自分たちの2つの目以外に頼れるものはない。小隊の全員が海上を見回した。

  何も見つけられずジリジリと時間がすぎる中、小隊を散開させようか、という考えがアウグストの頭をよぎる。だが、その考えを振り払った。あまりにもリスクが高かったし、単機では示威の効果があまりにも薄いからだ。

  焦燥がアウグストの心を焦がす。

  日本の戦闘機は一旦は振り払ったが、さほど間をおかずに追いつくか、交代の戦闘機がこちらに向かってくるだろう。

「『黄色の14』より『黄色の1』。敵艦発見! 2時方向、1隻!」

 マルセイユから報告が入った。待望の報告だった。

  マルセイユが明確に「敵」と呼んだことに気づかないほど、その時のアウグストはその報告を待ち望んでいた。

  アウグストは報告の方向に視線を向ける。水平線の上に微かに船影が見えた。

  アウグストの視力では、船であることしか分からない。

  よくもまあ、あんな距離が見えるもんだ。

  アウグストはマルセイユの視力に、呆れとともに羨望を覚えた。視力は戦闘機パイロットの重要な資質の一つだ。アウグストの視力は平均よりも遥かに良いが、マルセイユ程ではなかった。

  アウグストは船影に機首を向ける。零戦たちとの距離を維持するため、かなり高度を落としていたため、さほど時間はかからず船影は細部まで見えるようになった。

  それは確かに日本の護衛艦だった。これまでアウグストがよく見かけたコルベットよりも更に小型の艦ではあったが、単装砲塔2機と多連装爆雷投射機の類だろう、箱型の装備が確認できる。

  しかし、周囲にはその艦以外には船は見えなかった。

「『黄色の1』より『黄色』全機へ。周辺に他の船はないか?」

「こちら『黄色の2』。見えません」

「『黄色の14』より『黄色の1』。少なくとも視界内には見えませんよ」

「『黄色の15』より『黄色の1』。確認できません」

  やられた。

  アウグストは内心で毒づく。

 日本海軍は護衛艦艇から1、2隻程度の前進警戒艦を割くことが、たまにあった。これは潜水艦や航空機の接近を早期に察知し、後方の船団に伝えるためだ。

  これは日本のコルベットの数が多い時でなければ、実施されないことであった。

  だが、これをやられると多くの場合は船団に逃げられることになる。日本のコルベットはレーダーを搭載している場合が多く、前進配置されたコルベットからの通報で、後方の船団が進路を変えるためだ。

  アウグストは燃料計を見る。そろそろ燃料が限界だった。

  アウグストはそろそろ切り上げるべきだと考え始めていた。そもそも、この示威行動は嫌がらせ以上の意味はない。帰還不能となるリスクを犯すほどの価値がある行為だとは、アウグストは考えていなかった。第一、叔父のお陰で彼の評価は、空軍上層部ではもともと悪いのだ。

  引き上げよう。

  アウグストは決断する。その時だった。

「『黄色の14』より、『黄色の1』へ。2時方向に航空機。機数2。おそらく日本機です」

  アウグストは報告の方向に目を向ける。

  確かに2機の航空機が飛行していた。一瞬、日本の艦上戦闘機か、とも思ったが、飛行方向がアウグスト達の進路とほぼ平行している。それに、距離があるため断言はできないが、よく見ると戦闘機にしてはキャノピーが長く、また先程の戦闘機と比較するなら一回り大きいように思えた。

 雷撃機だな。アウグストはそう判断する。

  これまでにも数回、視認したことがある機体だ。噂ではあの巨体で、海面スレスレまで降りて魚雷投下をするための機体と聞いていた。

  正直、正気の沙汰とは思えない。

  一瞬だけ、アウグストは考える。

  ここまで来て、なんの成果もなしではつまらない。それに、戦闘航空団の司令官からは、船団上空での旋回ができない場合、できるだけでも嫌がらせをしてこい、と言われている。

「『黄色の1』より『黄色』全機。日本船団上空での旋回飛行任務は遂行が困難と判断。これを破棄する。ただし、これより2時方向の日本機に対して、示威行動を行う。連中を目標と仮定しての攻撃訓練だ。1度のみ実施し、その後帰還する。以上」

 全機から了解の声が返ってくる。皆、弾んだ声だった。

  それもそうだ。皆若いのだ。こういう悪戯は大好きだろう。

  アウグストは機首を日本の雷撃機、九七式四号艦上攻撃機へ向けた。

  九七式艦上攻撃機は日本本土の連合艦隊所属の空母では、すでに旧式機扱いとなっている機体だった。新型の「天山」艦上攻撃機が急ピッチで配備されているためだ。

  だが、世界レベルで見るなら、雷撃機としては未だに優秀な機体だった。九七式四号艦攻は、その九七式系列の機体の中でも、海上護衛総隊向けに生産、あるいは改造された機体だ。

  発動機を中島の「栄一一型」から三菱の「金星四四型」へと変更したことで、最高速度は400キロ弱にまで伸びていた。発動機を換装したのは、電探を搭載した上で対潜爆弾を搭載するためだ。

  また、零戦と同系列のエンジンを搭載することで、資材面でも人材面でも、層の薄い海上護衛総隊が整備と部品調達の簡素化をするためでもある。

  アウグストたちは、その九七式艦攻の後方上空に遷移していた。

  案外早いもんだ。

  アウグストは、日本の雷撃機を見てそう感じた。彼が初めて乗った戦闘機である、Bf-109C型あたりなら、追いつくのに苦労しそうな速度だった。

  九七式艦攻は海面から100メートルもないような低高度を、2機分離して、大きく蛇行しながら飛行していた。それはいささか奇妙な機動だった。

  何かを目視で探しているのか?

  アウグストはそう思った。九七式艦攻の主翼からは数本のアンテナが突き出ており、あの機体がレーダーを搭載していることは見た目に明らかだ。だが、あの大きな蛇行はレーダーによる捜索では、あまり意味が無いはずだった。

  Uボートを探している可能性も考慮したが、潜水艦を探知できるレーダーなど、ドイツ空軍どころかイギリス軍ですら、さほど配備されていない。第一、Uボートは艦長がよほどのアホでも無い限り、潜行しているだろう。シュノーケルを出している可能性はあったが、潜水艦の艦橋と比較してもはるかに小さなそれを探知可能なレーダーなど、アウグストは聞いたことがないし、あの蛇行の理由がつかない。

  そもそも、日本人達がそれほどの電子装備を持っているとは、アウグストには思えなかった。

 それは、多分に人種的偏見を含んだ見解だった。だが、当時の世界での一般的な傾向でもある。

  満州における共闘の結果、人種的な偏見にある程度の緩和を見せているアメリカや、商取引による付き合いのある中南米ならば、また違った見解を持っていたが。

  この時、九七式艦攻が行なっていたのは、確かに潜水艦の捜索だった。ただし、電探と磁気探知機MADを併用しての、だ。

  日本海軍とアメリカ海軍は第二次欧州大戦での数少ない海戦において、ドイツのUボートが上げた戦果を高く評価し、その対策を幾つか打ち出していた。

  その一つがMADの開発だった。ゼネラルエレクトロニクスと日本電気、そして昭和電気が共同で開発したMADは、水面下に潜行している潜水艦も探知可能であったため、対潜哨戒を主任務とする部隊にすでに多数が配備されている。

  この時期のMADは探知範囲が狭いため、確実な探知のためには潜行している潜水艦の直上を通る必要があった。九七式艦攻が大きく蛇行を描いて飛行しているのは、MADによる捜索の範囲を、可能な限り広めるためだ。おおよその位置は、「鵜来」からの通報で掴んでいたし、相手が潜行していることも電探からわかっていた。

  そのため、MADによる捜索を実施していたのだ。一応、保険として電探による捜索もしていたが。

  しかし、アウグスト達から見る限り九七式艦攻の行動は意味不明だった。ただ、アウグスト達にはこの機動の意味以上に重大な問題があった。

  まずいな、なんて狙いにくいんだ。

  低空を大きく蛇行しながら飛行する九七式艦攻は、Bf-109に取ってはひどく狙いにくかったのだ。

  Bf-109T3は元々艦載機型に採用される予定だった大型翼を持つ、Bf-109系列の中では比較的低速運動性の高い機体である。だが、それでも一撃離脱の戦闘を主眼に開発されたBf-109にとって、低空の機体は狙いにくい相手だった。下手をすれば、海面とキスしてしまう恐れがある。

「『黄色の1』より『黄色』全機、一旦高度をとる」

 Bf-109の本領は、あくまで一撃離脱だ。

  アウグストはそう信じていた。故に、一旦高度を取ってから一撃離脱の「攻撃」をするつもりだった。九七式艦攻は一定のペースで蛇行しており、先読みは比較的容易だったという理由もある。

  アウグストの小隊はアウグストの指示により、高度を取った。

  さて、どちらを狙うか。

  アウグストは軽く機体を傾け、九七式艦攻を見下ろす。

  単純な蛇行だな。簡単にいける。

  だが、次の瞬間九七式艦攻達は蛇行を停止し、急に旋回を始めた。

  そのため、アウグストは「攻撃」のタイミングを逃す。あまりに急激に機動が変化したからだ。

  2機は同じ地点を中心として旋回しているようだった。アウグストが「攻撃」のタイミングを図っている間に、一機の九七式艦攻が海面に何をを投下する。「何か」が海面に着水して数瞬後、海面が赤く染まった。

  色素マーカーだった。

「『黄色の14』より『黄色の1』へ。連中が色つけた海面を見てください。潜水艦がいます」

「何?」

 機体を傾け、海面を凝視する。この時、この海域の海水透明度は、海流の影響のためか非常に高かった。

  目を凝らすと微かに海面に影が見えた。全長で言えば先ほど見かけた日本海軍のコルベットと大差ないだろう。そのぐらいのサイズの影だ。

  どうやら、あの雷撃機たちの目標は、この潜水艦のようだった。

  目視で探していたのか。随分非効率的だな。

  アウグストはそんな感想を抱いた。もちろん、九七式艦攻はMADで探索をしていたわけだが、アウグストにはそんなものの存在は知らないため、消去法で目視だと判断したのだ。

  マーキングされた海面に、もう一機の九七式艦攻が再度何かを投棄する。

  それは、海面に着水してから数秒後、爆発音とともに水柱を上げた。

「なっ?」

 アウグストの部下達が騒然とする。無理もなかった。

  彼らには潜水艦が攻撃を受けたようにしか見えなかったからだ。そして、この近海に展開している潜水艦は基本的に枢軸国のものだけであり、その多くがドイツ海軍のUボートだった。小さな可能性としてイギリスやオランダ、フランスの潜水艦の可能性もあったが、どのみち友軍だ。

  彼らには友軍が攻撃を受けたように見えた。

 だが、アウグストは知っていた。彼には海軍に行った兄がおり、その兄から聞いていたのだ。

  「音響警告弾」の存在を。

  独特の爆発音により、潜行中の潜水艦への警告に使われる特殊な爆弾だ。当然艦艇に危害を与える能力は、非常に低い。直接接着して爆破させれば、多少は問題が出るかもしれないという程度のものだ。

  だが、水上に上がった水柱は派手だった。

  あまりにも派手だったのだ。

「この野郎!」

 音響警告弾の存在を知らない、若い天才を逆上させる程度には。

「やめろ! 『黄色の14』」

 アウグストは逆上して九七式艦攻への攻撃へ移る、マルセイユを静止しようとする。しかし、頭に血が上りすぎたマルセイユにはその言葉は届かなかった。

「クソ!」

 アウグストは吐き出すように言うと、マルセイユの後を追う。

  場合によっては、マルセイユが日本機に何かする前に、自分がマルセイユを撃墜するつもりだった。

  あるいは、マルセイユが普通の優秀なパイロットであれば、それは成し得たかもしれない。

  だが、ハンス・ヨアヒム・マルセイユという男は、後の世で讃えられる通りに、掛け値のない天才だった。

  マルセイユは一気に急降下して九七式艦攻2機の間に入り込むと、即座に旋回し、まず、警告弾を投下した機体に対し射撃を加えた。銃弾はそのほとんどが操縦席とエンジンへと集中しており、刹那の間で九七式艦攻は致命傷をおう。マルセイユはそれを確認せずに、旋回を開始する。

  アウグストからすれば、信じがたいほどに小さな旋回半径を描いて、マルセイユの機体は旋回を終え、残ったもう一機の九七式艦攻に対し射撃を加え、これを撃墜した。

  この間にマルセイユが使用した銃弾は、7.92ミリ機銃弾が30発、20ミリ機銃弾がわずかに5発。かかった時間は20秒と少し。驚異的な効率の早業だった。

「畜生! なんてこった」

 アウグストは、誰に向けるでもなく罵った。

  彼はマルセイユの機動にまるでついて行けなかった。彼にはマルセイユを落とすことも、止めることも出来なかったのだ。

「『黄色の1』より『黄色の14』の糞馬鹿野郎! いくら潜水艦の件があるとはいえ、先に手を出すなんて。畜生」

「『黄色の14』より『黄色の1』へ。ま、まずかったですか?」

 マルセイユはさすがに落ち着いたのだろう。少し狼狽した声で答える。

  まずくないわけがないだろうが。畜生。呪われちまえ。クソが、どうやって帳尻をつける?

  警告弾の投下は、国際法上はグレーの行為だ。ただ、誰何行為の一種とみなす事もできる。

  対して、雷撃機の撃墜はブラックだった。紛れも無い黒だ。

  仕方ない。

  アウグストは覚悟を決めた。無線機の周波数を哨戒機向け

「『黄色の1』より『コンドル』へ。日本軍機が友軍と思われる潜水艦を攻撃。自衛のため、これを撃墜した。繰り返す。自衛のためこれを撃墜した。至急退避を。日本人は本気で落としにくるぞ!」

「『コンドル』より『黄色の1』へ。間違いなく日本側が先に手を出したのだな?」

「『黄色の1』より『コンドル』。潜水艦に対して爆弾を投弾したのは、日本人が先だ」

「了解。『黄色の1』退避を。こちらも退避する」

「了解」

 これでいい。

  アウグストは軽くため息をつく。これでいい。これで、上の方が適当に「正当性」を描き上げるだろう。

  だが、と思う。マルセイユだけは後でぶん殴ってやる。

  アウグストが固く決心した直後、彼らの周囲に爆発が発生する。

  高射砲による対空射撃だった。

 雷撃機の前に見かけた、コルベットからの砲撃だ。あまり正確な砲撃ではないが、小さな破片が機体に当たる音が聞こえる。もたもたしていたら、大口径機関砲での射撃もやってきそうだった。

  Bf-109は最初期の型と比較して、T3型はその防弾性能を飛躍的に増していたが、機関砲や高角砲の近距離炸裂に耐えるような、デタラメな強度は保有していなかった。また、艦艇に対して有効な武装も持っていない。

  こんな暑いところでくたばるのは、ごめんだ。

  アウグストはFw-200と連絡を取り、最短の帰還経路を教えてもらう。もう、手は1つだけなのだった。

「『黄色の1』より『黄色』全機。急いで逃げるぞ」

 アウグストは部下たちにそう告げると、スロットルを開き速度を上げた。

 

 後に「ニューギニアの星」と讃えられるドイツ空軍エース、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ。

  彼の第二次世界大戦における華々しい戦果と、凄まじい懲罰の記録は、この日より始まるのである。

 

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