第六章 第六話
何が起こっているのだ?
彼は混乱していた。彼は配下の分隊が乗った4台のローバー4WDを率いて、夜明け前のラングーン市内を走り回っている。
そこかしこで銃声と爆発音が響いていた。市街地は大混乱であり、そこら中で銃撃戦が起こっている。
この街は、つい先程まで平穏だったはずだ。
住民たちは従順であり、平穏に生活していた。彼ら防衛隊は平穏無事な毎日に、少々の飽きを覚えながら日々の任務に就いていた。
彼はイギリス軍ラングーン防衛隊に所属する軍曹だ。分隊を率いて、市内の治安維持にあたっていた。
短機関銃を持って街角に立ち、不穏分子が居ないかどうか目を光らせつつ、その合間に、本国やドイツ、イタリアやフランスなどの枢軸国から続々と到着する戦車部隊や砲兵達、装備に優れた精鋭部隊に羨望の視線を送る。そんなのんびりとした毎日を送っていたのだ。
そして、それは当分変わらないと思っていた。
アメリカや日本がこの地域を狙っている、という話は彼も聞いていた。というより、部隊内で最もホットな話題はそれだ。
アメリカと日本は大量の航空機と陸軍をタイに集め、ビルマへの侵攻を狙っているらしい。
そんな話だ。
事実、彼等が駐留するラングーンも、何度か爆撃を受けている。
だが、それはごく小規模なものであり、空軍の戦闘機隊と高射砲部隊の迎撃により、敵爆撃機は爆撃を諦めて郊外に爆弾を投棄し、逃げ散っていた。
そんな体たらくだ。
枢軸国軍はアメリカ人達の侵攻は当面先の話だと判断していた。
だというのに、この騒ぎだ。
敵の侵攻が始まったのだろうか?
彼は一瞬そう考える。
だが、常識的に考えてラングーンは当面の間、平穏なはずだった。
ラングーンはタイ国境から、少なくとも100キロ以上離れている。
アメリカ人達が侵攻を開始したなら、その連絡はすぐにラングーンに入るはずだ。そうすれば、いかに末端の兵員でしかない彼といえども、その情報は耳に入る。
司令部の兵士の中には友人がいたし、その手の情報は、どれだけ統制をかけようとも広まるものだ。
だが、そういう話を、彼は全く聞いたことがなかった。
となれば、現地人の不平分子の蜂起だろうか?
だとすれば、それはそれで可怪しな話だった。
ビルマは鉱業関連の採掘施設は揃っていたが、工業施設は乏しい。鉱山から盗み出すことで爆薬は手に入るだろう。鉱山の爆薬管理は現地人が介在する関係上、かなりいい加減だ。誤魔化すのも容易だろう。
だが、銃器は難しい。
軍になら予備や備蓄として、余剰の兵器や弾薬はストックされている。そして、どんな軍隊にも不心得者は居る。
だが、防衛隊始め、アジア方面の軍の装備は厳重に管理されていた。特に前線が近づいたビルマ地域では、ここ数ヶ月は憲兵による抜き打ちの査察がかなりの頻度で入っている。
過去、何度か不心得者が武器の横流しをしていたことが発覚していた。
だが、それらを総計しても然程の数にはならないはずなのだ。
今、ラングーンで起こっている騒ぎは、鉱山からくすねた多少の爆薬と、横流しで手に入れた少量の銃で起こせるような規模の騒ぎではない。
銃声はそこかしこで響き、しかも連続している。
つまり、機関銃か短機関銃、最低でもそれに類するものを敵は多数装備しているということだ。
不平分子、詰まるところゲリラ、がそんなものを持っているとは、彼には思えなかった。
そんな装備をしているのは、軍隊か重武装警察、そしてドイツのSSぐらいなものだ。
何が起こっている?
何度目になるかわからない自問を、彼は繰り返しながら道を急ぐ。ローバー4WDは、軽快なエンジン音を響かせてラングーン市内を進んでいた。
ドイツのキューベルワーゲンやアメリカのジープを参考に開発されたローバー4WDは、もともと不整地で運用することを想定していたが、市街地でも十分な機動力を持っている。小規模部隊の移動用として、大量に生産され部隊配備され始めている車両だ。
もっとも、配備先は一線級部隊が優先されている。そのため、彼が所属するラングーン防衛隊、詰まるところ二線級部隊、に配備が始まったのはつい先月だった。
周囲では、まだローバー4WDを配備されていない警備隊の隊員達が慌ただしく走り回っている。彼等には元々はトラックが配備されていたのだが、現状、それらは別用途に利用されていた。
増援部隊への物資輸送用として取り上げられたのだ。
枢軸国のトラック生産力は、慢性的に不足している。ドイツは戦闘車両の生産を優先していたし、イタリアはもともとの工業生産力が低い。フランスは国土が半分になってしまっていたから、生産能力も下がっている。
イギリスの枢軸国参加により、かなり改善はしているのだが、アメリカの巨大な生産力とは比較にならない。
そのため、特に前線において枢軸国軍ではトラックが不足する場合が多い。
ラングーン防衛隊のトラックが取り上げられたのは、不足するトラックを僅かにでも補うためだった。もちろん、焼け石に水だ。だが、無いよりはマシだったため、ほとんど無理矢理取り上げられていた。
欧州から到着した増援は、多くが戦車を装備している。そのため膨大な量の物資を必要としたのだ。
結果として、一部のローバー4WD装備部隊以外、ラングーン防衛隊の兵員は徒歩が基本となっていた。元来の任務はラングーン市内とその周辺の治安維持だったから、それほど問題はない、はずだった。
だが、この騒ぎだ。
結果として、ラングーン防衛隊は後手に回っていた。
ラングーンに展開している枢軸国軍は防衛隊以外では、空軍の高射砲部隊や航空基地の防衛隊ぐらいだ。
増援部隊の方は、大部分がタイ国境近辺や比較的戦車の展開に適したビルマ中部に移動している。増援は期待できない。
タイ国境に向かう直前の、歩兵連隊が一個存在していたが、彼等は郊外に駐在していたし、船から降りたのは昨日の今日だ。装備の開封もまだであるから、すぐには増援に来ないだろう。
つまり、彼の分隊がとりあえずは時間を稼ぐ必要があるのだ。
厄介な話だった。鉄火場に、いの一番に飛び込まねばならないのだから。
彼のローバー4WDは、先頭を走っていた。指揮官陣頭云々と言うよりは、単に彼の乗車のエンジンが調子が良かった、というだけの理由だ
彼の車両が最初に射撃を受けたのは、当然の結果と言えた。
銃撃は、彼の車両が十字路に差し掛かった直後のことだった。
銃撃は右側からだった。
銃弾はローバー4WDの窓ガラスを貫通し、後部座席右側の乗員、彼が信頼する古参兵、の体にめり込んで止まる。
「停めろ!」
彼は運転手に対して怒鳴った。急ブレーキがかかり、ローバー4WDが急停車する。
「全員降車」
彼の命令に従い、ローバー4WDから4人の兵員が飛び降りるようにして、降車した。後続車も停車し、乗員は降車したようだ。
彼は右隣の兵士を引きずるようにして車外におろす。だが、ぴくりとも動かない。
脈を取るが、全く脈拍がなかった。
駄目だったか。
彼は、一瞬の苦悩を感じ、そしてすぐに切り替えた。
既に敵はこちらに対して銃撃を集中している。今はローバー4WDの陰に隠れている形になっているから、銃弾からは身を守れていたが、敵の射撃は激しく、楽観出来る状態ではなかった。
敵の武装は、短機関銃のようだった。
連続して射撃が行われ、そしてまれに途切れる。装甲のないローバー4WDが立派に障害物として機能することを考えると、ライフル弾を使用した機関銃ではないのだろう。板金を隔てれば、それなりに安全なようだった。
古参兵は運がなかったのだ。
彼は部下に命じて、敵への射撃を開始する。彼等はステン短機関銃を装備していた。量産性を徹底的に追求したイギリス製の短機関銃であり、ドイツのMP40などと比較するなら、集弾性能が悪く、信頼性にも疑問符がつき、作動音も大きいため性能的にはそれほど優れてはいない。
また、パイプに銃口と銃床と引き金と弾倉を取り付けたような、銃らしからぬ外観もあり、兵士からの人気は低かった。口さがない兵士からは、「ステンチガン(下水管銃)」などと陰口を叩かれてる有り様だ。
ただ、生産数は多かったから、二線級部隊であるラングーン防衛隊にも十分な数が配備されていたし、最低限の性能は確保されていた。
彼の命令に従い、部下たちは射撃を開始する。
敵との距離は100メートルと言ったところだ。ステン短機関銃の性能から考えると、いささか遠距離ではある。ただ、敵は数名のようであったから数的にはこちらが有利だ。
数を撃てば当たるだろう。
それが彼の考えだった。そして、それは正しかった。
敵は然程訓練を受けていないのか、銃撃を受けても遮蔽物の陰に身を隠すような、そう言う動作は行わなかった。敵はただ、棒立ちでこちらに対して射撃をするだけだ。
そのため、彼の予想よりもはるかに簡単に撃退できた。いや、全員射殺なのだ。撃滅の方が正しいのかもしれない。
彼とその部下は、周辺を警戒しながら撃ち倒した敵に向かって歩を進める。
完全に仕留めたかの確認は必要であったし、連中の正体を探る必要もあったからだ。
近づくにつれて鉄の匂いが鼻を突く。あまり良い気分ではなかった。
彼等は地面へ倒れこんでいる敵の傍らまで行き、足で蹴り飛ばして生死を確認する。
全員、死亡していた。
これで、多少は安心して確認が出来る。
敵は、明らかに現地人だった。服装はこの地域の気候に合わせた、薄手の生地の安物服であり、現地人がよく着ているものだ。肌の色は日に焼けて浅黒くなっており、顔のつくりもアジア人のそれだった。
日頃、彼等がその辺を歩いていても、彼は気にも止めなかっただろう。この死体は、それぐらいにごくありふれた現地人達のそれなのだ。
だが、普通の現地人とは明確に違う点があった。
彼等はその手に短機関銃を持っていたのだ。
明らかにゲリラだった。
ただ、これまでの現地人ゲリラと比較すると遥かに装備がいい。
これまでの現地人ゲリラは雑多な小火器、横流しや密輸で手に入れた小銃や拳銃などで武装しており、装備には統一感がないのが普通だ。
だが、このゲリラの死体が持っていたのは、全てが同一の短機関銃だった。
それは、これまでにはない特徴だ。
ゲリラたちが持っていた銃は、彼等が持っているステン短機関銃とよく似ていた。
パイプに銃口と弾倉、銃床と引き金、銃把を付けたような外見は、まさにステン短機関銃に通じる物がある。
ただ、ステン短機関銃では銃把に対して横向きに付いている弾倉が、銃把の前方に付けられているなど、銃器としてのレイアウトには違いがあったし、マガジンハウなどの部分に鉄とは異なる材料が使われているようにも思えた。
彼は知らないことだが、この短機関銃はステン短機関銃から派生した銃だ。
カナダで設計されたものであり、ロータリーマグステンと呼ばれる短機関銃だった。かつてイギリスが未だ連合国だったころ、カナダではステン短機関銃の生産準備を行っていた。生産会社は生産用工業機械を据え付け、ラインを設置し、生産直前の段階にまで準備を進めていたのだ。
イギリス軍とカナダ軍に供給するために。
だが、イギリスの降伏により、それらの需要は消滅することになる。
イギリスの降伏による欧州大戦集結後、カナダ軍にはアメリカから大量のM3短機関銃が供給されたため、カナダ軍では需要がなくなっていたし、イギリス軍への供給は論外となっていた。
そもそもステン短機関銃は生産性の向上のため、性能には相当な妥協が図られている短機関銃だ。装弾不良の問題と作動音の極端な大きさは、どれだけ改良を施しても、根源的には遂に解決出来なかった。ステン短機関銃ほどでは無いにしても、生産性に優れ、性能的にも安定しているアメリカのM3短機関銃と比較して、メリットが殆ど無かったのだ。
カナダの製造会社は、それでも生き残りを賭けて日本への売り込みを行ったりもしている。
だが、その試みも然程成功しなかった。
日本は確かにステン短機関銃に使用されている9ミリパラベラム弾を軍用拳銃弾として正式採用しており、軍の制式拳銃や自国製短機関銃である百式短機関銃でも利用している。
だが、日本軍の百式短機関銃は世界で最も早い時期に、プレス加工による生産省力化を取り入れた短機関銃だ。自国の正規軍が使用する程度の量は、十分に生産出来る。
結果、カナダ製ステン短機関銃は、日本の警察機関や海軍陸戦隊の後方部隊用に数千丁程度が売れただけで、商業的には失敗した、はずだった。
だが、第二次世界大戦の勃発がカナダ製ステン短機関銃の運命を変えることになる。
アジア植民地を開放した後に編成される、現地人による治安維持部隊用の短機関銃が足りなかったのだ。
アメリカのM3短機関銃はカナダ軍やアメリカ軍、オーストラリア軍への供給で現状は余剰が出ていなかったし、日本の百式短機関銃も似たようなものだった。
アメリカも日本も、開戦から僅か数ヶ月で数万から数十万のオーダーで短機関銃の需要が急増するとは、想定していなかったのだ。
そもそも当初の予定では、日米はアジアの植民地には当面の間、自国軍で編成した治安維持部隊を駐留させる予定だった。だが、日米の予想に反して枢軸国のアジア植民地開放は順調に進んだ。
進み過ぎた。
アジアの植民地は日米の予想を超えて広大だったし、交通事情は先進国で生活している人間からは想像出来ないほどに、劣悪だったのだ。
結果として、日米が送り込んだ治安維持部隊では手が足りなかった。そもそもアメリカも日本も、陸軍は比較的小規模なのだ。
特に、陸軍を極端に少数に抑えている日本軍にとって、治安維持は大きな問題だった。正直な話、仏印の治安維持だけで限界に近かったのだ。
その対策として日本が策定したのが、現地人による自治と治安維持の構想だった。
そもそもの発端は外務省の無責任な回答から始まった構想では有る。だが、それでもこの構想は日本軍には魅力的だった。治安維持のための人員が大きく削減できるからだ。
この構想は、アメリカからも賛意を持って迎えられた。この戦争の大義名分であるファシズムの否定の立場から、この「民主的な」統治方法は肯定せざるを得なかったからでもある。
その結果、現地人による臨時政府と治安維持部隊の設立が始まることになる。
だが、そのための装備が足りない。
せめて歩兵には小銃か短機関銃を持たせないと格好がつかないのだが、それらの殆どは生産された端から正規軍に回されており、数に余裕がなかったのだ。
このため、日米の補給担当者は、「安くて大量に作れて、補給に負担をかけない」銃を求め、各地を飛び回ることになる。現地の担当者からは、猛烈な催促が来ていたし、現地人治安維持部隊に装備を渡さないというのは、政治的にもまずいものがあったからだ。
そこで最終的に白羽の矢が刺さったのが、カナダ製のステン短機関銃だった。この時期のカナダ製ステン短機関銃は、カナダ独自の改良によりレイアウトに変更が加えられ、ロータリーマグステンになっている。
ステン短機関銃は生産性を徹底的に追求した短機関銃であったから、性能的には正規軍が使うには二の足を踏む装備だった。改良が加えられたロータリーマグステンであっても、その辺りに然程の変化はない。
だが、治安維持部隊用としてなら十分な性能はあったし、何よりステン短機関銃に採用されている9ミリパラベラム弾は、欧州各国の軍では一般的な拳銃弾だ。
イギリスやドイツ、オランダも採用しており、シンガポールなどには製造工場すら存在する。
そのため、銃弾は多くが現地で調達可能であり、連合国の補給に優しかったのだ。それに何より、ロータリーマグステンは安価だった。
カナダの製造会社はこの時期、倒産の危機を迎えていたのだが、降って湧いた巨大な需要によって経営は奇跡的な回復を見せることになる。
カナダ製の短機関銃、ロータリーマグステンはこの時期、カナダのみならずアメリカや日本、オーストラリアにおいても生産が行われており、すでに10万丁を軽く超える数が生産されていた。
そして、それらの生産分のうち何割かは、アジア植民地の独立運動派にも供給されていた。
このラングーンで、彼を攻撃したゲリラたちが装備していたのも、連合国から供給されたロータリーマグステンだった。仏印とビルマの国境を超えて密輸されたこの短機関銃は、様々なルートを通ってラングーンに集結していたのだ。
彼が目にしていたのは、オーストラリア製のロータリーマグステンであり、生産会社の製造能力の都合上、部品の一部がダイキャスト製に改められている。
連合国からの支援品か。
彼はロータリーマグステンをひと目みて、事実を看破していた。ゲリラが見たことのない短機関銃、少なくとも友軍のそれではない、を大量装備している、となれば、まあ、ある程度わかって当然なのだけれども。
だが、それを理解した瞬間に彼の背中には冷たいものが流れていた。
こいつらは、ゲリラの中でも末端だろう。そんな連中すら短機関銃を装備している。ということは、ゲリラの大部分が短機関銃を装備し、その運用に足りるだけの弾薬を確保していると考えるべきだった。
つまり、ラングーン防衛隊は火力においてゲリラたちと大差のない状況にある、ということだ。
増援を求めるべきだ。
彼はそう、判断する。
ラングーンは重要な拠点だ。これ以上の混乱は避けるべきだった。
彼は部下を連れて、ローバー4WDの元へ向かう。無線機が搭載されているからだ。
彼はそれで防衛隊本部に連絡を入れ、応援の派遣を要請するつもりだった。
ただ、それは少し甘い考えだった。
彼が無線機のスイッチを入れた直後、後方で爆発音がする。内蔵を揺さぶる、衝撃波すら伴ったそれは、明らかにラングーン防衛隊の基地方面で発生したものだった。
そして、彼の頭上を轟音とともに何かが通過していく。
航空機だった。
それも、1機や2機ではない。少なめに見ても、数十機は飛んでいる。
そして、おそらくは全てが敵機だった。
それだけではない。ラングーンの港湾の方では。白い落下傘が花びらのように舞っていた。
何が起こっているのだ?
彼は混乱する。
ゲリラに爆発に航空機に落下傘。
彼にはラングーンで何が起こっているのか、何が起こるのか、まるでわからない。頭はまるで動かず、何をすれば良いかも分からない。完全な混乱状態だった。
だが、これはただの始まりに過ぎない。
彼の人生において、最大の艱難辛苦であるラングーン攻防戦は、未だ始まったばかりなのだ。




