第六章 第五話
「相変わらず、獲物がいないな」
イタリア海軍中佐カルロ・バラルディは、潜望鏡を覗き込みながら呟いた。彼はイタリア海軍の潜水艦『アミラリオ・カラッチオーロ』の艦長だ。
現状、彼の任務は連合国所属船舶に対する、通商破壊とシンガポールの連合国艦隊の警戒任務だった。
バラルディが指揮する『アミラリオ・カラッチオーロ』は『アミラリオ・カーニ』級潜水艦の2番艦だ。『アミラリオ・カーニ』級潜水艦はイタリア海軍最大の潜水艦であり、最長の航続距離を持つ。イタリア海軍の大型潜水艦としては、最新鋭だった。
通商破壊用に設計されており、魚雷のサイズを一般的な53.3センチのものから威力に劣るもののサイズの小さい45センチ魚雷にすることで、魚雷搭載量を増やし継戦能力を増やす、などの工夫も見られる。商船を主目標に据えているため、魚雷の破壊力は然程必要ないとの判断からだ。
ただ、枢軸海軍の中ではこの『アミラリオ・カーニ』級は、通商破壊用潜水艦としては微妙な評価を受けていた。
基本戦術がドイツ式の通商破壊戦術、群狼戦術で統一されている枢軸海軍潜水艦隊においては、『アミラリオ・カーニ』級は大きすぎたのだ。
『アミラリオ・カーニ』級は運動性などの面で、他の中型潜水艦とは差がありすぎた。そのサイズ故に、『アミラリオ・カーニ』級はにぶすぎるのだ。
だが、『アミラリオ・カーニ』級は中型潜水艦には劣るものの、大型潜水艦としては運動性が良好だ。他の大型潜水艦と組ませるのにも問題があった。
群狼戦術には一海域全体に遍在する潜水艦が必要だ。例えば、ドイツの大型航洋潜水艦のように、近い性能の艦が70隻を超える数あるならば、立派に運用出来る。
だが、『アミラリオ・カーニ』級は4隻しか存在しない。
また、ドイツの基準ではイタリアとフランスの潜水艦隊は練度が低いと判断されていた。つまり、他国の潜水艦と組ませるのには向いていないと考えられていたのだ。
それは多分に偏見を含んだ意見だったが、枢軸海軍内部では固定観念と化している。
そのため、『アミラリオ・カーニ』級は基本的に単艦で運用されていた。航続距離の長さ故に、長期間の作戦行動には適しており、偵察潜水艦としてはそれなりに使い勝手がよかったためでもある。
パラルディが指揮する『アミラリオ・カラッチオーロ』も、主任務は偵察及び警戒だった。シンガポールには連合国の艦隊が集結しており、セイロンに集結している枢軸海軍は警戒をしていた。そのため、『アミラリオ・カーニ』級4隻は、全てがマレー半島西岸やマラッカ海峡近辺に集められている。
彼ら以外にも、イタリア海軍の『バリッラ』級大型潜水艦や『ピエトロ・カルヴィ』級大型潜水艦、フランス海軍の『レスポアール』級一等潜水艦や『パスカル』級一等潜水艦のような、比較的大型で航続力に余裕のある仏伊の潜水艦は、揃ってこの海域に警戒任務のために投入されていたし、独英の潜水艦も当然、投入されていたから、潜水艦による監視の目は非常に濃密だ。
監視任務に投入されている仏伊の大型潜水艦には、通商破壊も補助的任務として割り振られてはいた。
もちろん、重要度は監視任務よりは数段下るのだが。
ただ、バラルディ自身は通商破壊にはそれなりに積極的だった。
現在の『アミラリオ・カラッチオーロ』には、新型のレーダーとソナーが搭載されていた。
それは、イギリス海軍の艦船搭載用レーダータイプ273やアクティブソナー、アスディックのコピー品ではあったが、一定の性能を示している。
これらを駆使すれば、バラルディの艦は通商破壊作戦でも高い戦果を上げる事ができるはずだ。
彼はそう信じていた。
ただ、彼の艦が配置されている海域には、連合国の船舶や艦艇はほとんど存在しない。マレー半島西岸の海上優勢は完全には確定しておらず、連合国の商船はほとんどが航行していなかった。
マレー西岸のタイ領近辺では少数の商船が活動していたが、それらは殆どがタイ船籍の老朽船であり、獲物としては魅力が薄い。
また、それらの船舶は大抵が沿岸部を航行していたから、大型潜水艦であるバラルディの艦にとっては襲撃が難しかった。
これらの船舶には、思い出したように枢軸国の中型潜水艦が襲撃を仕掛けることがあった。だが、その頻度は少なく、また、連合国軍の対潜哨戒機部隊がマレーやタイに進出してからは、マレー西岸の沿岸部は潜水艦にとって非常にリスクが高い地域となっている。
連合国の対潜哨戒機は能力が非常に高かったからだ。潜水艦乗組員の間では、浅深度であれば潜行中の潜水艦を発見することすら可能であると噂されているほどだ。
枢軸国の技術部は透明度の高い水域のため、肉眼による発見か、あるいは新型の赤外線探知装置によるものであると結論していたが、水深の浅い沿岸部が危険であることに違いはなかった。この時期、マレー西岸沿岸部での商船と潜水艦の交換比は、4対1程度となっている。
話にならない数字だった。
老朽船と中型潜水艦の交換比4対1では、割にあわないにも程がある。
潜水艦とは、排水量1トン辺りの価格が非常に高い艦なのだから。
そのため、枢軸国の潜水艦部隊は水深の浅いマレー半島沿岸部での活動を、半ば放棄していた。彼等はその分の戦力を、ティモール海やアラフラ海、あるいはオーストラリア大陸を南回りで回っての、オーストラリア大陸東岸部での通商破壊に投入していた。
そちらの方が戦略的にも意味があったし、敵国の優良商船が多く航行しており交換比率も悪くなかったからだ。もちろん、そちらの海域の商船は護衛船団を組んでいたけれども、群狼戦術はこの時期は十分に機能しており、それなりの戦果を積み上げていた。
ただ、バラルディにとっては口惜しい事実では有る。
やる気はあっても獲物がいないのだから。
「艦長。逆探に反応があります」
逆探要員から報告が入る。
バラルディは内心で舌打ちをする。
この地域でレーダーを使っているとすれば、まず間違いなく連合国の哨戒機だった。彼等は常に対水上レーダーを使用し、枢軸国潜水艦を発見しようと、躍起になっている。最近、連合国の対潜哨戒機は沿岸部のみならず、相当な遠距離にまで足を伸ばし始めていた。
枢軸国の戦闘機は概ね足が短く、対潜哨戒機の脅威となる場面が少ないことを、彼等は学んでいたのだ。
現状は昼間であり、彼の『アミラリオ・カラッチオーロ』は潜行していたが、深度は浅い。噂が確かなら連合国の哨戒機は、その搭乗員の能力か装備か、そのいずれかによって浅深度を潜行中の潜水艦を発見する力を持っている。
危険だった。
「潜行する。深度、80」
バラルディは命じた。
彼の命令から10分とかからず『アミラリオ・カラッチオーロ』は前傾姿勢となり、より深いところへと潜行を開始する。
『アミラリオ・カラッチオーロ』はバラストタンクの水量を微細に調整し時々モーターを動かしながら、深度を維持し、時間が経過するのを待つ。
この時期の潜水艦は、深度を自動的に維持する装置を持っていない場合が多かった。この手の装備を持っているのは、自動懸吊装置の開発に成功した日本と、その技術を供与された他の連合国だけだ。
そのため、枢軸海軍の潜水艦が潜行深度を維持するためには、時々モーターを動かす必要が有り、どうしても静粛性の面では劣るところがあった。
ただ、今回の相手は対潜哨戒機だ。
この時期の対潜哨戒機は、音響探知手段がなかったから、多少音を立てても問題はない。
少なくともバラルディは、そう判断していた。
この海域では、連合国の艦艇船舶はほとんど活動していない。
音響で探知される危険性は無いはずだ。
ただ、それは少し楽観的な考えだった。
「艦長。推進器音を感知しました。水上艦艇。2軸推進の艦艇が、少なくとも2隻。他、多数の推進器音が聞こえます」
聴音手からの報告に、バラルディは内心で焦りを覚えた。
彼は気づかないうちに、敵の水上艦艇がいないことを前提に行動していたからだ。
彼に与えられた任務が連合国艦隊の監視であったことを考えるなら、それは明らかな油断だった。
ただ、補いは付く。どのみち水上艦艇であろうが哨戒機であろうが、接近された場合の対処法には大差ないのだから。
バラルディは少しの間、考えこむみ、命令を発する。
「潜望鏡深度へ浮上」
「危険では?」
副長が、少し震えた声で言った。
アメリカ製のレーダーは、潜望鏡を発見できる。
そんな噂があるからだ。副長は発見されることを恐れている。
実際のところは、余程に好条件が揃わない限り、そんなことは発生しない。この時代のレーダーはフィルタリング技術の低さ故に、多少の波でもあれば、それで潜望鏡程度の反射波は紛れてしまい、判断はつかなくなる。
潜望鏡を発見出来るような、そんな高性能のレーダーは枢軸国には存在しないし、レーダー技術で枢軸国を上回りつつ有る日米でも未だに試作段階でしかない。
だが、船乗りはその手の噂には敏感だ。何より、枢軸国の潜水艦、それも練度が高いとされるドイツやイギリスの潜水艦の損害が多くなっている事実が、その噂に対する恐怖を助長していた。
「任務を考えろ」
バラルディは咎めるような声で言った。
「視認し、確認しなければ報告も糞もない」
その通りだった。せめて、船団なのか艦隊なのか、程度は確認しておかねば話にならない。欲を言えば、どの艦種がどの程度存在するのか、まで確認しておきたいところだ。
それに、そろそろドイツやイギリスの海軍連中を見返してやりたい。そういう気持ちもある。
イタリア海軍は練度が低い、という評価は、バラルディにとっては侮辱以外の何物でもなかった。
ドイツ海軍のもと、統一的に指揮が取られるようになった枢軸海軍において、イタリアとフランスはやや冷遇されている。
「練度が低い」からだ。
バラルディには、それが正当な評価であるとは、とても思えなかった。
なぜなら、イギリス海軍もドイツ海軍も水兵の質はイタリア海軍と大差無いからだ。
先の欧州戦争の頃であれば、確かにイタリア海軍の練度は低かった。
訓練用の燃料の確保すら、難儀していたからだ。
だが、欧州戦争が集結してから3年。彼等はルーマニアやソ連から確保した燃料により、訓練を繰り返し練度を向上させている。
イタリア海軍の評価は他の軍隊との客観的な比較の結果ではない。単に固定観念から練度が低いものとして扱われている、というだけなのだ。
バラルディはその現状を打破したい、と思っていた。
『アミラリオ・カラッチオーロ』は潜望鏡深度にまで浮上し、潜望鏡を上げる。
バラルディは潜望鏡を覗きこみ、そして愕然とした。
少なくとも4隻の戦艦と多数の護衛艦艇が見える。
大艦隊だ。
そして、味方ではあり得ない。
枢軸国の艦隊は、未だにトリンコマリーに待機しているのだから。
「艦長! こちらに接近する機関音複数」
「潜望鏡下げ! 急速潜行! 深度100」
バラルディは大声で命じる。
彼の視界にも、数隻の駆逐艦が接近してくるのが見えていたからだ。
最近の連合国駆逐艦は、前方投射爆雷を装備している。イギリス海軍のヘッジホッグをコピーしたような装備だが、ヘッジホッグより射程が長く、爆雷の散布範囲も広い。
潜水艦乗りにとっては恐ろしい装備だ。
未だ駆逐艦とは距離があったが、油断はできなかった。
「敵艦、アスディックを使用」
「水面に着水音多数」
数分の間に聴音手から、立て続けに報告が入る。悪い知らせの連続だった。
「機関全速!」
バラルディは急いで指示を出す。
アスディックが使用された以上、既に自艦の位置は特定されているはずだ。
一箇所にとどまっているのは、むしろ危険だった。
なんとしても逃げ延びてやる。そして、敵艦隊の発見報告を上げて、ドイツ人やイギリス人を見返してやるのだ。
バラルディはそう、心に誓い部下に指示を出し続けた。
『アミラリオ・カラッチオーロ』はこの日、連合国の駆逐艦4隻からの攻撃により、多量の浸水が発生した上、レーダーとアスディックが完全に破壊される、大きな被害を受けることになる。
だが、『アミラリオ・カラッチオーロ』の乗組員達は、辛くもダメージコントロールに成功し、逃げ切った。
連合国艦隊発見から5時間後、『アミラリオ・カラッチオーロ』は「敵艦隊発見」の電文を送信。
これが、連合国のビルマ侵攻開始の第一報となる。
枢軸海軍は直ちにトリンコマリーの艦隊に出撃準備を命令。それと同時にインド洋に散らばっていた潜水艦を、ビルマ沖合への集結を下命。
これによりしばらくの間、日米の護衛艦隊と枢軸国潜水艦の壮絶な消耗戦が生起することになる。
ただ、『アミラリオ・カラッチオーロ』はこの消耗戦には参加できなかった。大破に近い中破にまで傷ついた艦を修理するために、イタリア本国まで戻らねばならなかったからだ。
彼等が戦場に戻るのは、ビルマ戦線が落ち着いた後だった。
そのため、ビルマの戦いに彼等は直接的には参加できなかったのだ。
この事実に、バラルディはひどく悔しい思いをすることになる。
だが、この戦いに参加できなかったことが、逆にバラルディと彼の艦の価値を相対的に上げることになるのだが、それはまた別の話だった。




