第六章 第四話
トリンコマリーはセイロン島北東部の港湾都市である。
インド洋における重要拠点であり、また、イギリス海軍東洋艦隊の根拠地ともなっていた。
そのトリンコマリーには現在、枢軸国海軍の艦艇が集結していた。
近々発生するだろう、連合国のビルマ侵攻へ対応するためだ。
「イタリア空母『アクィラ』『スパルヴィエロ』が先ほど入港しました」
「そうか。これでやっと空母の数が揃ったな」
参謀の報告に、ドイツ海軍大将ギュンター・リュッチェンスは頷きながら答えた。
戦艦『ビスマルク』の艦橋からは、今朝まではみかけなかった、2隻の空母が見えた。あれが、イタリアの空母なのだろう。商船からの改造空母だと聞いていたが、ゼロから建造された、と言われても信じてしまいそうなほどに複雑な造形をしている。
「これでやっと日米の艦隊と戦える」
現在トリンコマリーには、戦艦11隻、巡洋戦艦1隻、装甲艦2隻、空母8隻、軽空母5隻を基幹とした艦隊が入港している。巨大な艦隊と言えた。
一国すら灰燼に帰することが可能だろう。
だが、リュッチェンスは不安だった。
日米の海軍は、この大艦隊すら上回る規模の艦隊を投入可能であるからだ。
事実として、シンガポールに集結中の日米の艦隊は、スパイの報告を信用する限り膨大な数になる。
スパイの報告によるなら、日米はシンガポールに、戦艦だけで6隻以上、空母に至っては少なくとも7隻を入港させていた。
特に、空母は脅威だった。日米の空母は搭載可能な機数が多い。艦の数は、枢軸艦隊有利だが実際の戦闘力は逆転されているだろう。
それに、そもそもの話としてスパイの報告が正しいとは限らない。シンガポールに潜入しているスパイは促成教育を受けただけの、程度の低い連中が少なくなかった。シンガポールの陥落があまりにも急であったため、金で雇った現地人をにわか仕立てのスパイにせざるをえなかったのだ。もちろん、きちんとした専門教育を受けたスパイもいたが、そう言った連中は、数が圧倒的に少ない。
そのため、スパイたちが空母とタンカーを見間違えたり、あるいはその逆をしでかしている可能性は決して低くはないのだ。
それに、連合国はシンガポールの軍港地域への立ち入りを強く制限している。
スパイの観察は遠距離からのものにならざるを得なかったから、どうしても不正確なのだ。
最悪、もっと多い可能性がある。いや、確実に多いだろう。
リュッチェンスはスパイの報告から見積もられた連合国艦隊の戦力に対し、そういう評価を与えていた。
現状、トリンコマリーに集められている戦力は、枢軸国海軍がインド洋に投入可能なほぼ全力だ。アメリカ海軍が東海岸から直接奇襲をかけてくる可能性がゼロではない以上、枢軸国は大西洋方面を空にするわけには行かなかった。
結果として、トリンコマリーに集められた艦艇には、多数の旧式艦が混じっている。新型と呼べそうなのは、ドイツの『ビスマルク』級戦艦2隻と空母と軽空母、イギリスの空母『コロッサス』、イタリアの戦艦『リットリオ』と空母2隻ぐらいなものだ。巡洋艦以下にも若干の新型艦は存在しているが、やはり数は少ない。
それら以外は、ほとんどが30年代前半以前に設計、生産された艦ばかりだった。
それに対し、連合国の艦艇、特に日米の艦隊はその構成艦艇の多くが新鋭艦だ。彼等は30年代後半から始まった無条約時代にその経済規模に見合った、大規模な建艦計画をたてつづけに実施していた。
その結果、日米両海軍を構成する艦艇の多くは新造艦に置き換えられ始めている。もちろん、開戦に伴う海軍の急激な規模拡大のため旧式艦は未だ一定数存在してはいたが、その比率は枢軸国海軍と比較するなら、圧倒的に低いのだ。
枢軸各国も、本国の造船設備をフル回転させて新型艦の建造に勤しんでいる。ドイツやイギリスでは潜水艦で取り入れられていた、溶接工法を大型艦にも適用することで、新造艦の早期の戦力化も行われていた。
イギリス海軍の空母『コロッサス』や、ドイツ海軍の空母『グラーフ・ツェッペリン』、軽空母の『ヴェーザー』『アドラー』『ファルケ』『シュヴァルベ』『ヴィルガー』などが間に合ったのは、溶接による建造期間短縮のたまものだ。
これらの空母が間に合わなかったなら、リュッチェンスは連合国の艦隊に海戦を挑もう、などとは考えなかっただろう。例え、ヒトラーから罷免されたとしても、だ。
昨今、航空機の重要性は、海戦においても強くなっている。
昨年のインドシナ沖海戦において、日本海軍は唯一優勢であった海上航空戦力を活用して、戦力的な不利を覆して見せた。数的な優位にあった英仏合同艦隊の海上砲戦力は、日本海軍の空母群から出撃した航空隊の攻撃によりその戦闘力を漸減され、最終的には夜戦によって仕留められることになったのだ。
少なくとも、枢軸海軍の分析ではそういうことになっていた。
せめて、艦隊上空を防空出来なければ話にならない。
リュッチェンスが必死になって空母をかき集めたのは、それが理由だった。
防空も出来ない状態の艦隊を出撃させたとしても、インドシナ沖の再現にしかならないのだ。
現状、450機程度の艦載機を枢軸艦隊は確保している。その6割程度は戦闘機であったから、一定以上の防空能力は期待できた。
リュッチェンスは艦上戦闘機による艦隊防空を行い、その後の海上法雷撃戦で決着をつけるつもりだ。
日米の艦上機の性能など、不安要素は多い。
非常に投機的な作戦だ。リュッチェンスもその点は自覚している。
だが、リュッチェンスには他に手段がなかった。
ヒトラーからは矢の催促であったし、困ったことに要求していた空母も揃ってしまっていた。ビルマは重要な地域であったし、枢軸陸軍の展開も終了してしまっている。
リュッチェンスは出撃しないわけには行かなかったのだ。
分の悪い賭けだ。
だが、賭けない、という選択肢は既にない。退路はないのだ。
それに、せめて連合国の艦隊に一撃を加えておかなければ、インド洋での海上優勢すら危ういだろう。連合国海軍に海上優勢を完全に握られてしまった場合、Uボートを使った補給路への攻撃も難しくなる。
最近の連合国は、対潜戦闘の技量を加速度的に向上させているからだ。せめて、航空機や海上艦艇と共同しなければ、まともな船団攻撃は出来ないだろう。
やりにくいことこの上ないな。
リュッチェンスはため息を吐いた。連合国の艦隊は、おそらくは数的にこちらに対抗可能な戦力を投入してくるだろう。それを相手に枢軸海軍は寄せ集めの艦隊で対抗しなくてはならない。
そして、その責任者は自分なのだ。
「閣下。イタリア海軍のフェルディナンド・カサルディ中将が、ご挨拶をしたい、と」
「了解した。これより向かう」
従兵からの連絡に、そう答えるとリュッチェンスは椅子から立ち上がる。
これから、指揮権と作戦を固めねばならない。やるべきことは山積していた。だが、時間はない。
急がねばならないな。
リュッチェンスは、今後のスケジュールを頭に描きながら、歩き始めた。




